青い羊は思考する ー首の怪ー
「怪異ィ?」
筆を走らせていた書簡から顔を上げたは、明らかに小馬鹿にするような声音と表情で応えた。真っ昼間から仕事もせずに何を馬鹿な事をのたまりやがっているのですがこのお馬鹿殿は、と言外に告げている。視線がそう言っていた。
だが、そんなジト目を向けられようとも賈詡とて、俺が悪かった、お詫びにその山積みになった書簡の半分を受け取ろう、などと応じる事が出来ないのである。
「仕方ないだろうが。あのバカ殿様と享楽アホ軍師が、怪異殺人だってワクワクしながら言いやがったんだから」
所詮、自分は言伝を任されただけに過ぎない。上司をアホ呼ばわりすることで、賈詡はあくまで自分はそちら側ではないと自らの立ち位置を表明したつもりだった。
だが、からの返答はつれない。更に嫌そうな顔をして、視線を書簡へと戻してしまう。
「怪異殺人なんてこの世にあるものですか。どうせ怪異に見せかけた人間の仕業です」
「んな事は解ってる。だが、正論でバカ達が退くと思うか?」
「お二人がワクワク死でもしたら、怪異の仕業でしょうから捜査して差し上げます。だから末永くワクワクしていてください」
「あんたなぁ……」
賈詡は盛大にため息をついた。こっちだって出来ることなら同じことを二人に言ってやりたい。だが、それが出来ないからこうして執務室に出向いて、信じてもいない怪異の話しなどしているのだ。
そのくらい察しろと視線で訴えれば、はその意を汲みつつ尚も首を横に振った。顔を近づけ声を潜めると、
「貴方はこの部屋に満ちた殺気と瘴気に気づかないんですか。皆、寝ずに三日三晩働き続け、そろそろ発狂間近なんです。そんな下らない理由で中座などすれば、私は荀彧殿の冷徹な微笑みに微笑み殺されてしまいます」
と、ちらりと後方で一心不乱に筆を走らせる荀彧を一瞥した。
両目の下に大きな隈を作った彼には何か鬼気迫るものがある。穏やかな人柄であるからこそ、彼の怒りは静かで恐ろしい。
が恐れるのも理解らないでもなかったが、だからと言って退くわけにもなれず賈詡は困り果てた。力づくで連れて行こうとすれば女の体など容易く担げるだろが、それをしてしまえばに完全に嫌われてしまう。
さてどうしたものか。
と、思案しているとふいに荀彧がこちらを見やった。が悪戯を目撃された子供のように、びくりと両肩を震わせた。
「殿」
「は、働いてますよ!? 働いてます、だから微笑み殺さないで」
一体なにをされたのかは知らないが、の恐れぶりは尋常ではなかった。魏に来たばかりのといえば、傍若無人、唯我独尊、不遜で傲岸な小娘という印象だったが、ずいぶん調教ーーーーもとい教育されて丸くなったものである。
荀彧は無表情のままの前に来ると、あっさりと中座を許可した。
「構いませんよ? どうぞ行ってさし上げてください」
「は?」
「いいのか?」
賈詡の問いに、荀彧は穏やかな顔で頷く。
「はい。あの二人が働いてくれなければ、私も困ります。殿が行って済む話しなら、止める道理はありません」
「じゃ、じゃあ……」
申し訳無さそうな顔で腰を浮かせたに、荀彧はにこりと微笑んだ。
「ただし、一時間で済ませてください。それ以上は一秒たりとも遅れは認めません」
が声にならない悲鳴を上げたのは言うまでもない。
「こいつが犯人です! 全部こいつが仕組みました! 罪人死すべし、さぁ首を刎ねてくれましょう!」
呼び出された広間の扉を足蹴りで開いて登場したは、観衆の一人の胸ぐらを掴み上げると高らかに宣言し、腰の細剣を抜いた。
観賞用にしか使え無さそうな宝剣は、罪人の首しか斬れない。その剣が獬豸の角と呼ばれる由来である。
水晶のように澄んだ刀身を男の喉元に突き付け、は声を張上げると誰の同意も得ぬまま剣を振り上げた。
が、断罪の刃はその途中で遮られた。郭嘉が放った球体がの刃を受け止め、あっけなく彼女の剣撃を弾いてしまったのだ。
「いけないな、殿。決め台詞もまだだと言うのに」
「さあ、ジッチャンの名にかけて事件を解くが良い!」
広間に集められた人間たちは、事件の関係者と観衆という名の無関係な人間たちである。わざわざ曹操は解決劇の場を作り上げ、そこにを呼んだのだった。そして一人高みの見物とばかりに奥の玉座に腰を下ろし、郭嘉を横に侍らせて楽しむ気まんまんなのだった。
「ジッチャンなんて居ませんよ! そんなに事件が好きなら、曹操様が探偵をやればいいでしょう!」
自棄になっては叫ぶ。一時間という時間制限を設けられたにとって、こんな茶番は時間の無駄でしかない。だが曹操は何が自慢なのか分からぬが、甘いな、とドヤ顔を作って反論する。
「儂はさしずめ、無能だがいつも事件に出くわしてしまい探偵に協力を求める刑事役よ」
「では私は眼鏡のエリート警視総監かな」
くすんだトレンチコートの無精髭姿と、眼鏡のスーツ姿を幻視してしまい、はイラッとした。舌打ちしてやりたいのを精一杯こらえ、脳裏の砂時計を冷静に計る。
「……分かりました。では、無能刑事殿。事件の説明をお願いします」
が役柄を呼ぶと、曹操は無能のわりには偉そうな態度でよかろう! と応じ語り始めたのだった。
end
と思ったらつい、続いてしまいました。
事件のあらましも分からないうちに、暴かれる