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番いの鳥05





 あれは猟犬だ。
 鋭い隻眼の武将を遠目に、徐庶はぼんやりと心の中で呟いた。
 その隣りに立つ甲冑に身を包んだ小柄な武将に視線をやり、あれもそうだと、胸中で続ける。
 あっちの丸坊主は忠犬。あっちの太っちょは愛玩犬――――に見えるが、やはり忠犬だろう。
 と言葉を交わした日から、徐庶は曹操に仕える武将や文官たちを動物に喩えるのが癖になっていた。
 今、目にしたのは皆一流の毛並みを揃えた一種の天才だが、当然それに入らぬ者たちも居る。決して駄犬と言うわけではない。人並みに優れた将だという事が出来るのに、天才の前では翳ってしまう哀れな犬たち。
 文官も同じだ。荀彧や程昱と言った天才の影に、何人もの非才の名を与えられた秀才たちが隠れている。
 決して無能であるわけではないのに、努力では超えられぬ場所に立つ者が、この城には多すぎるのだ。
 犬は主を喜ばせるために獲物を追い、猫は策を巡らせて、そして鳥は美しく歌う。
 たった一人の主の寵を得んがため。時に同胞を食い殺し、謀略を巡らせて。
 それがどんなに奇妙で滑稽なことなのか、今の徐庶には分かる。だが、の忠告を受けていなかったら、自分もそのうちの一人になっていたのではないかと恐ろしくなった。自分の非才を嘆き、劣等感に苛まれていたかもしれない。
 今こうして遠くに彼らの姿を見ている、どこか達観した自分は、あの言葉なしには得られなかっただろう。最初こそは劣等感を見抜かれたようで衝撃だったが、ある意味憑き物を落とされたように気が楽になったのは確かだ。
 の言う鳥籠の生き方とはつまりそういう事なのだろう。
 才能に潰されぬよう、同胞であるべき者に食われぬよう。
「また、助けられてしまったかな……」
 ぽつりと呟いた徐庶の前に、にやにやと笑みを浮かべた賈詡が現れた。
 彼は――――なんだろう。狐だろうかとぼんやり考えながら、賈詡の顔を見返す。
「何を考えていたか当ててやろうか」
「当てなくていいよ。俺はもう君の言葉に惑わされるつもりはない」
「あははあ。惑わされたと言いなさるか。ま、間違っちゃいないがね。しかし、聞いたあんたも同罪じゃないかな?」
「否定はしないよ」
 徐庶は苦笑を浮かべて呟いた。
 なぜのあの言動を、気があるなどと勘違い出来たのだろう。賈詡の言うとおり、相手は曹操のお気に入り。鳥に喩えるならば見目麗しき孔雀か美しい声の不如帰なのだ。なぜ自分のような文鳥如きに、そんな想いを抱いたりしよう。
 あれはただの同情だった。徐庶はそう自分に言い聞かせていた。
 だが、
「さて、そんなあんたに朗報だ。件の姫君は最近塞ぎこんで、部屋に篭っておいでらしい。花の一つでも摘んで見舞いにゆかれてはいかがかな?」
「人の不調を……朗報だなんて」
「戯言と受け取るかどうかはあんたの自由。だが、恩ある御仁に花の一つ贈っても罪にはならない」
 だろう? と賈詡は上目遣いに唆す目をした。
 まったくこの男はこれだから狐なのだ、と徐庶は溜息を漏らす。だが、賈詡がこういうしたり顔で徐庶にそれを話したという事は、徐庶が思い通りになると分かっている証だった。
 まったく軍師というのは厄介な手合いである。
「分かったよ。彼女は俺にとって恩人だ」
 しぶしぶと言った風体を装って、徐庶はの私邸へと向かったのだった。





 一介の楽師にしては贅沢すぎる私邸の造りに、やはり曹操の力はここまでも表れるものなのかと徐庶は驚嘆した。
 それにしても、石柱の一つ一つ、小さな窓枠の端を取っても、鳥の絵が象られているそれは鳥籠にしてはあからさますぎるようにも思う。
「不如帰……いや、この尾の長さは孔雀か?」
 架空の鳥のようにも見えなくもないが、鳳凰などの吉祥の霊鳥とは違うようだった。酷似しているが、どれも片翼である。何か意味があるのかと石柱を前に思案していると、庭先から聞き覚えのある声が響いた。
「そろそろ色よい返事がもらえても良い頃かと思うが? つい先日も、あなたは同じ言葉で私を追い返したと記憶している」
 徐庶が密かに狼と渾名をつけた軍師の一人だった。司馬懿は鋭い視線と詰問のような口調をに向け、苛立たしげにとんとんと指先でこめかみの辺りを叩いている。
 あの凍てついた氷のような男が、苛立ちを露わにするなど何事だろうか。ともかくも、とても自分が何食わぬ顔で入っていける雰囲気ではない。
 侍女に話を通して早々に退散しようと思ったその時、聞きなれぬ男の名が司馬懿の口から飛び出した。
「それほどまでに……郭嘉殿が忘れられぬのか」
 郭嘉――――その名が、かつて曹操が絶対の信頼を寄せていた軍師であると思い出すのに、徐庶はしばらくの時間を要した。確か若くして亡くなっており、徐庶が魏にやって来た頃にはすでに故人となっていた。
 その名がなぜここで出るのか、徐庶は好奇心に駆られ足を止めた。
「郭嘉様のことは……関係ございません。あの方とは兄妹のように親しくさせていただきましたが、ただ……それだけの相柄です」
「それだけの仲だと言うのなら、なぜあなたの邸の鳥たちはいつまで経っても片翼なのだ。片割を失ったままでは……一羽だけでは満足にも飛べまい」
 その言葉を耳にして、徐庶はあれが比翼の鳥なのだと理解した。雌雄で一枚ずつ羽を持つ比翼の鳥は、一羽だけでは飛ぶことは叶わない。
 石柱に象られた鳥が自身だと言うのなら、失われた片割は――――
「私では……あなたの片翼になる事は出来ないのか? なぜ、妻になると頷いてくれぬ……」
「つっ……!?」
 司馬懿の口から飛び出した思いもよらぬ言葉に、思わず徐庶は声を上げてしまった。突如、誰だ!? と鋭い声が上がり、木陰に身を隠していた徐庶の姿が露わになる。
 その時の司馬懿の顔を、徐庶はきっと忘れる事はないだろう――――
 狼に豆鉄砲を食らわしたら、こういう顔をするのだ。
「きゃ、客人があるのなら私は失礼する!」
 司馬懿は耳の先まで真っ赤に染め上げると、照れ隠しに大声と足音を鳴らして足早に去っていったのだった。



end


色々と軍師たち出てきました。
とりわけ司馬懿と郭嘉はこれからも絡めていくつもりです。