その子はいつでも三成の側にいたからだ。
生まれた時からずっと、親同士の仲が良いこともあり、休みのたびに一緒に過ごしていた。
小さいころはあまりにも一緒にいるのが自然だったので、実の兄妹なのだと思っていた。その度に、大人たちが笑いながらそれを訂正した。
『違うよ。ちゃんは三成の従兄妹だよ。ママのお姉さんがちゃんのお母さんなんだよ』
そうなのかと思ったが、一人っ子である自分たちには、実の兄妹でも従兄妹でもどうせ同じ事だろうと思っていた。他に清正や正則、官兵衛といった従兄弟がいたが、遠方に住んでいる事もあり、性格も合わなかったので三成はとばかり一緒にいた。
ご飯も、お風呂も、寝るときも。の事が大好きでいつも手を繋いで一緒にいた。
だが、ある日、三成の心にとある疑問が生まれた。
『男のくせに、女と一緒にいるなんてへんなのー!』
正則がとばかり一緒にいる三成のことをからかったのだ。
よく意味がわからなかった。何が変なのか、男だと女の子と一緒にいてはいけないのか、母親に質問した。
母は笑いながらそんなことないわ、と言ってくれた。お互いに大好きだったらずっとずっと一緒にいていいのよ。男の子は一番大好きな女の子と結婚するのよ。そしたら、ずーっと一緒にいていいの――――と。
今考えれば、それは幼稚園に上がったばかりの息子への、母親からの優しい回答だったのだろう。
結婚すればずっと一緒にいれるのだと無邪気に喜んだ。
そして、小学校へ上がるころ、三成は従兄妹同士は結婚ができるという事実を知り、胸をなでおろした。
結婚が何であるのか、どうすれば結婚できるのか、その意味も深くしらないまま。
だが、ある日、彼らに悲劇が訪れる。
ある年のゴールデンウィーク――――凄惨な事故が起こり両親を失くした二人は、秀吉に引き取られ“兄妹”になってしまったのだった。
倫理だとか道徳だとか05
図書室のドアを開くと、学習机に突っ伏している女生徒の姿が目に付いた。
すでに六時を回りかけた図書室に他に人はおらず、窓から西日が差し込んでいる。
「?」
声をかけても、はすやすやと軽い寝息を立てて起きる気配がない。三成は隣りの椅子に座り、が枕にしている図鑑を横から覗き込んだ。
植物図鑑だった。紅い花弁を開いたヒナゲシの花が、解説と共にページいっぱいに広がっている。
ヒナゲシ(雛罌粟)。ケシ科の一年草。またの名を虞美人草、シャーレイポピーとも。園芸種として栽培されており、形は似ているが麻薬物質を持つケシとは別の種。
「ヒナゲシ……?」
花に興味などないだろうに、なんでこんなものを調べているのだろう、と三成は訝った。花といえばねねが好きでよく庭弄りをしているが、母の日が近いわけでも、誕生日が近いわけでもない。そもそもプレゼントであれば、他の兄弟たちにも一声かけるはずだ。
訝りつつ解説を読んでいると、ふとヒナゲシの花言葉が目に付いた。
恋の予感やいたわり、思いやり。妄想。
もともと花言葉に興味などない三成にとって、どれも適当につけた名前のようにしか思えない。妄想、という花言葉を目にして、思わずふっと笑みが浮かんだ。
モルヒネから連想された花言葉なのかもしれないが、こんな花言葉を名づけた古人は一体何のつもりでいたのか。
花には詳しくないが、ケシから麻薬の一種であるモルヒネが精製される事は知識として知っている。薬でありながら人を堕落させる最大の毒。
試してみたいとは思わない。だが、溺れたら楽なのだろうかと夢想する事はある。
目覚めないを置き去りに、三成は法律の書棚へ向かうと、民法の書を手にした。
指先がページを覚えている。何度も何度も、繰り返し調べた場所。
『第七百三十四条
直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。但し、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない。
2 第八百十七条の九の規定によつて親族関係が終了した後も、前項と同様とする。』
養子同士の婚姻が可能なのかどうか、調べるたびにこの規定にぶつかる。
三親等内の結婚は出来ないという事は、つまり兄妹では結婚できない。養子であるならその限りではないとしつつ、親族関係が終了した後でも前項と同様となる。
つまり、最終的にはどちらなのか。インターネットでも関連するページや、質問サイトは片っ端から調べつくした。だが、あまりにレアケースなためか、実例は探せず、回答もまちまちである。
そして何より、仮に戸籍を抜くなどの法的な条件をクリアできたとしても、モラルの問題は越えがたい壁だった。
一度兄妹になった人間同士の婚姻。しかも、元の関係に戻ったとしても、もともと従兄妹なのだ。
法が、モラルが、家族が、が、三成の心を苛む。
決して結ばれる事はない。想いを伝えることさえ叶わない。
生まれた時からずっと、誰よりも近くにいる異性であるはずなのに、この手は決してを抱く事はない。そうして虚空で宙ぶらりんになったまま、は人生のステップを歩み進め、誰かと恋をし、結婚し、家庭を築くのだろうか。その家庭を、三成は兄の一人として、間近で一生見続けなければならないのだろうか――――
狂ってしまう。
今でさえ下らない日常に押しつぶされて、おかしくなってしまいそうなのに。
が三成の悪評に反応するたびに、誰のせいだと叫びだしたくなった。半兵衛がいうように適当な女で妥協できたら、いくらか救いになるのだろうか。
適当に三成に憧れる女子を選んで、適当にデートをして、キスをして、セックスをして。罪悪感の一つでも覚えれば、諦めもつくようになるのだろうか。
無理だ。自嘲的な笑みがこみ上げる。
無駄に真面目な自分に、そんな事が出来るはずがない。兄妹婚という禁忌さえ、極力合法的に正しい道を選ぼうと模索しているのだから、自暴自棄になる事さえ彼の理性が許さない。
三成は無意識にヒナゲシの話を思い出し、モルヒネを連想した。
ギリシャ神話の夢の神に由来する、悪の薬。もしその薬を手に入れたら、面倒な理性などかなぐり捨ててしまえるのだろうか。
倫理だとか道徳だとか。モラルだとか人倫だとか。
そんなものを捨てて、を自分だけのものにしてしまえるのだろうか。
三成が恐れるのは自分自身だ。今でさえ抑圧されたこの想いが、いつか爆発して、決してしてはならない事をしてしまいそうで、それが恐ろしい。
膨らみきった風船が破裂するように、それはいつ自分に訪れても可笑しくはない。それを律しているのは、がまだ自分の手の届く範囲にいるという安心感と、自分が最も近くにいるという優越感だけだ。
それに亀裂が入った時、自分は――――は、このままでいられるだろうか?
その日はいつか必ずやってくる。
緩やかに、穏やかに、崩壊していく日常。ぶち壊したいと思う反面、それを恐れる矛盾を痛いほど感じつつ、三成は今日も日常を演じるのだ。
彼にとってすでに日常など存在しない。否――――そもそも存在していない。あの事故の日から、二人が兄妹になってしまったその日から、日常は奪われたままなのだ。
「、おい、起きろ」
民法の辞典を書架に戻し、未だ目覚めないの肩を三成は揺さぶった。
はううん、と声を上げて、眉根を寄せる。
寝起きが悪いのはいつも通りだな、とどうでも良い事を考えたその時、
「ん、……たけ……中せんせ……?」
まどろんだの瞳が熱っぽい潤みを帯びて三成を見上げ。
三成の張り詰めた空間に亀裂が走った。
end
更新が遅くなってすみません。
ちょっと不穏な雰囲気になってきました。