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倫理だとか道徳だとか





 倫理だとか道徳だとか。モラルだとか人倫だとか。
 下らないな、と濁った瞳で呟いた。
 教師である自分が成人しない子供を食い物にしているのだから、それはきっと職業倫理というやつにひっかかっるのだろう。職場に知れれば懲戒免職者。マスコミに知れれば目の部分だけが塗りつぶされた写真が、週刊誌に出回る事だろう。
 刑罰に値する事など百も承知。だが、これを罪だと言うのなら、果たして断罪されるべきは自分ひとりなのか?
 傍らのベッドで眠りこける茶髪の女の子を眺めながら、ふうっと気だるげに紫煙を吐き出した。
 細い肩。化粧で塗り固めた幼い顔。不安な心を短いスカートで武装して、自分は弱くないと虚勢を張る。そのくせ、自分の事が可哀相で可哀相で仕方がないのだ。
 親はどうせ分からない。友達なんてみんな偽者。大人なんて大ッキライ。みんなみんな死んじゃえばいい。私は世界で一人きり。
 なんとも皆、異口同音に自分だけが正しいと言えるものだ。
 悲劇のヒロインシンドロームというのがあるならば、この年頃の慢性疾患だろう。
 はしかのようなそれは、ある程度叫んで、拗ねて、諦めれば、年とともに忘れてしまう。だが、悲しくて寂しくてどうしようもない少女たちは、時にそれを紛らわせるために、大嫌いな大人に身を委ねてしまったりするのだ。そう、自分のような悪い大人に。
 それでも、半兵衛はそれが世間で非難されるほど、悪い事のようには思えなかった。
 誰も彼女たちを救えない。誰も彼女たちが必要としない。
 誰でもない、都合のいい誰か。
 慰めて、包み込んで、すべて肯定して、彼女たちの絶望をすべて正当化して――――そうする誰かを求めているから、自分がそれになっただけだ。
 倫理だとか道徳だとか。そういった者を教えるのが教師なら、悪徳を教えるのも教師だ。
 特段、悪いと思わない。
 罪を掲げられれば罰を受けるが、それは果たして自分だけの罪なのか。彼女たちを苦しめた人間、無関心な人々、自分の手を取った少女自身。皆、共犯者だ。
 名前も忘れた少女を部屋に置き去りにし、半兵衛は独り皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「倫理だとか道徳だとか、一体誰のための言葉なんだろうね」





 ホテルを後にすると、半兵衛は一度自宅へ戻った。
 八畳一間の狭い部屋には必要なものしかない。
 シャワーを浴びて冷蔵庫のミネラルウォーターを開けた瞬間、携帯電話が鳴り響いた。眠かったのでそのまま無視しようと思ったが、珍しい着信音に驚いて、慌てて手に取った。
 この着信音は一人にしか設定していない。
 個人を特定しなくていい他の有象無象と異なり、彼女だけは特別にしたくてこの曲を設定した。
 携帯電話を開くと、受信通知にの名前が浮かぶ。思わず顔がほころんだ。
『先生。世界童話名鑑の五巻が見当たりません。月曜日に忘れず持って来てください』
 なんと可愛げのない素っ気無いメールなのだろう。
 半兵衛は思わず笑い声を零した。
 そういえば今日は図書委員全員で、図書館の蔵書確認をしているんだったか。確かに気まぐれでそんな本を図書館から拝借したような気もするが、半兵衛は正しい貸し出し手続きを行っていない。つまり、いくらが図書委員でも、半兵衛がその本を持っているなど知らないはずなのだ。
 事務的な文面の裏に、が思いのほか半兵衛を気にしていると分かって、嬉しくてにやけてしまった。
『さぁ、違う人じゃない?』
 からかうように惚けてみる。が確信を得て、このメールを送ったであろう事を知りながら。
『誤魔化さないでください。ネタは上がっています』
 まるで時代劇の捕り物帳だ。
 続けて、
『三週間前、先生がその本を読んでいる所を見ました。それからずっと行方不明なんです』
 そんな昔の事をずっと覚えていたのだ。しかも、蔵書整理という理由にかこつけなければ、そんな話も出来ないなんて。
 高校生にしても初心すぎる。きっと処女だ。キスもした事がないんだろうな、と想像すると可笑しくて仕方がなかった。
 悲しくて、寂しくて、セックスを知る事で大人になったつもりの少女達とは、やはりどこか違う。
 どこにでもいる普通の女の子。真面目で、そんな自分に若干のコンプレックスと苛立ちを感じていて、悩みとか不安とかを覚えつつ、明日は明るいと漠然とした希望を持っている。まだ、絶望を絶望と知らない、ただの子供。
 だけど――――本当に?
 本当は、ただの子供の振りをしている、傷ついた捨て猫だとしたら?
 傷つく事さえ拒んで、致死量の傷をなかった事にして、普通の女の子を演じている。もしそれが真実なら、半兵衛はどうしてもその傷を自分の目で見てみたいと思った。
 触れて、撫でて、口付けて、抉って――――悪意をぶつけた時に、清廉に見える少女の顔がどんな風に歪むのか見てみたいと思った。
 さて、どうしようか。理由をつけて取りに来させてもいいのだが、この手のタイプは警戒心が強い。仮に美味しく頂けたとしても、きっとそれきりの関係になってしまうだろう。
 それではやはり勿体無い。しっかりと味わって、何度も何度も咀嚼したいのなら、そんな即物的な欲望に負けるわけにはいかない。
『ああ、ごめんね。勘違いだったみたいだよ。月曜日に返します。それでは、また学校で』
 ぷっつりと会話を切るような、素っ気無い返信。
 きっと携帯電話の向こうで、は消沈している事だろう。
 だが、それでいい。甘い飴ばかり与えていては、そのうち味に飽きてしまうから。苦味も辛味も味わって、苦しくて仕方なくなった時に飴を与えるからこそ意味がある。
「さあ、どうやって遊ぼうか」
 半兵衛はディスプレイのの名を眺めながら、悪い大人の顔で嗤った。




end


『教育現場』設定の現代パロです。
狂愛、三成も絡んで三角関係、と
美味しいリクエストをありがとうございました!
次回、三成回です。