Text

 弱いものはキライだ。
 可愛がろうとしただけで、すぐそれは壊れて遊べなくなってしまう。
 脆いものも、儚いものも、みんなキライだ。
 どんなに綺麗でも、それは手を触れた瞬間、崩れ去ってしまう。
 欲しくても触っちゃいけないなんて、酷じゃないか。
 俺だって触れたいんだ。触りたいんだよ。感じたいんだよ。
 なのに、俺を裏切るようにそれは容易く壊れてしまって――――だから、大キライなんだ。



 

壊れ物・前編





 奇妙にひしゃげた四肢は、むかし飼っていた兎の事を神威に思い出させた。
 力加減を知らない幼い妹が、大好きだったのに壊してしまった。朝になってわんわん泣いていた姿を、神威はだから言わんこっちゃないと呆れて見ていた。
 弱いものはすぐに壊れてしまう。だから触れてはいけないし、いっそ好きになってはいけない。一度好きになってしまったら、壊れてしまった時、とても悲しい思いをするから。
 幼い頃にそれを知った神威は、以来お気に入りなど作らなかった。どんなものでも、彼が力を込めれば容易く壊れてしまうから、大好きだった蝶の羽も仔兎も、彼は嫌いな振りをした。
 振りをしている内にそれはいつしか現実になって、彼は何に対しても執着を持たなくなっていた。
 何を壊しても心は痛まない。唯々それは退屈で、ウンザリするほど緩慢な存在で世界は満ち溢れていた。
 だから、初めて出会った頑丈な玩具に、彼の心は夢中になった。自分と同じだけ強靭で、どんなに乱暴に扱っても壊れないそれは、彼を楽しませ慰めてくれた。
 愛していた。
 それは世間一般で言う愛情とはかけ離れたものだとしても、彼は確かに慈しむような愛情を一心に注いでいた。
 愛しているから本気で傷つけ、大好きだから乱暴に扱った。それでも損なわれずそこに在る事に、彼はどうしようもなく満たされていた。
 唯一受け止めてくれる存在だと感じたのだ。
 なのに――――
「ねえ……、いつまで寝てるの?」
 荒涼とした大地にまるで岩肌の一部であるかのように降り積もった瓦礫の山。その天辺で、彼のお気に入りはぐんにゃりとひしゃげた身体を折り曲げていた。
「ねぇ」
 呼びかけても、それは応えない。
 閉じられた瞳はまるで深海に眠る貝のようで、天に向かって伸びた長い睫毛を微動だにさせない。
 なぜだろう。それはいつも彼が呼べば、応えたはずなのに。

 神威は青い静脈を晒した腕を掴み上げ、己の目線の高さに顔が来るようの身体を吊り上げた。
 ぽたり、ぽたり、と靴の爪先から鮮血が零れ落ちる。

 神威が呼んでいるのに、それは応えない。
 神威はむっと眉根をしかめ、の胸に耳を当てた。
 柔らかな温もりが神威の耳朶に伝わる。
 なのに、心音は一切届かず――――ようやく彼は理解する。
 ああ、これは壊れている。命の音が止まってしまったのだ。
 瞬間、神威の緩めた手からするりとの腕が抜け落ち、は再び瓦礫の上に崩れ落ちた。
「ねえ、なんで寝てるの……?」
 仰け反らした白い喉元を睨みつけながら、神威は厳しい声音をぶつけた。
「誰が寝ていいって言った?」
 の身体の上に馬乗りになる。
 両手を組んで高く掲げると、力任せに叩きつけるように神威はの胸に突き落とした。
 がくんっ、とまるで壊れた人形のように反動での身体が跳ね上がる。
 だが、再び地面に着くと、それはまた動かなくなってしまうのだ。
「ねぇ、俺がいつ許した……?」
 ぶんっと勢いをつけて、再び組み合わせた拳を叩き込む。
 反動での体が跳ねる。
 それはもしかしたら、の肋骨を粉砕してしまっているのかもしれない。折れた骨が肺を突き刺してしまっているかもしれない。
 だが、神威は手を止めなかった。
 乱暴な音をさせながら、彼は何度もの胸を叩いた。
 何度も、何度も。心の臓の埋まる左胸へ。
 そして、幾度目かの助命処置を彼が取ろうとした時、ふいに夜兎の男が彼の腕を掴んだ。
「よせ、団長。それはもう……死んでんだぜ?」
 死んでいるんだ。
 まるで子供に言い聞かせるように、阿伏兎という名のその夜兎は神威の眼前でゆっくりと唇を動かした。
「死ん……で?」
 呆けた顔で反芻する神威に、阿伏兎は大仰に頷いて見せる。
 神威はゆるゆると掲げた両腕を下ろし、眼下に横たわるそれを初めて凝視した。
 四肢はおかしな方向に曲がっているし、体中から血の匂いがする。
 なにより――――彼が押し続けた左胸は鮮血に濡れ、まるで大輪の牡丹のように真っ赤な華を胸元に咲かせていた。
 ああ、なんだろう、これは。
 目の前のビジョンに理解が追いつかない。
 神威はの身体を抱き上げると、唇を重ねふうっと息を吹き込んだ。
 何度も角度を変え、まるで自分の命を吹き込むように息吹を送った。
 そうすれば生き返る事があると、昔テレビで見たことがあるのだ。心停止してもマッサージを続ければ、それは再び鼓動を打ち始めると。
 だから、彼は――――
「ねぇ……起きなよ。誰が勝手に死んでいいって言った?」




end


珍しく死にネタです。
兄ちゃんの場合、心臓マッサージとか
逆にあばらを粉砕しちゃいそうですね。