『私は誰の元にも嫁ぎません』
戯れに好いた男はいないのかと聞かれて、そう返した言葉は、微笑と共に告げられたにも関わらず妙な決意に満ちていた。
恋花前話
夜半――――
縁側で月を眺めてぼんやりとしていた半兵衛の元に、眠れないのかい? と、背後より声をかける者が訪れた。
羽織を肩に引っ掛けた元就が、柔和な笑みを浮かべて立っていた。
「ええ、ちょっと……」
普段の無邪気な姿には見られない消沈した表情に、元就はふむと思案し、人を呼んで酒を用意するよう命じた。
「俺、酒は……」
と、遠慮する半兵衛に、
「いいじゃないか。どうせ眠れないのだろう?」
と徳利の口を傾ける。
半兵衛は渋々と言った顔で猪口を手に取ると、注がれた酒をちびりちびりと舐めるように飲んだ。
「……昼間のの言葉、気にしているのかい?」
問われて、半兵衛はまあ…、と曖昧な返事をした。今更隠したところで、この安芸の謀神の目を誤魔化せるとは思わなかったが、嫁に行かないと決意を固めた少女に向って、慕情を募らせていると知られる事が何か恥ずかしかった。
しかも相手は一回り近く年若い。こんな成りをしているものの、自分はとっくに元服を済ませた大の大人で、知らぬ顔の半兵衛などと渾名されている軍師なのだ。
こんな風に――――小娘に振り回されるなど、滑稽に見えるだろう。
「俺、いい大人なんだけどなぁ。なんだか格好悪いですね」
そう言って冗談めかしたつもりだったが、元就は笑わなかった。
「可笑しい事なんて何も無いよ。人を好きになるのに大人も子供もないさ」
さすが年の功というか、元就に言われると半兵衛も素直にそうですね、と頷く事が出来る。大分、自分は天邪鬼な性格だが、この酸いも甘いもかみ締めた男の前では、素直に自信の気持ちを吐露する事が出来た。
「俺、の事が好きです」
と、ぽつりと呟くように半兵衛は語った。
最初はちょっと綺麗な女の子、くらいな認識しかなかった。可愛い子は好きだし、頭の回転が速いところも気に入っていた。官兵衛と三人で、仲良くやっていければいいや、そんな風にしか思っていなかった。
それがとある戦で一転した。
「が俺の策に従わなかったんですよ」
と、思い出し笑いをするように、笑みを含んで半兵衛は楽しそうに語る。
今でこそ笑い話だが、あの時は本当に険悪な空気が流れた。普段、反抗しなかったが口答えをした事、自分を犠牲にするような策の提案に、半兵衛は腹立った。
なに馬鹿な事を言ってるのと怒った半兵衛に、もまた声を荒げて言い放ったのだ。
『馬鹿は半兵衛様です! なぜ、私の力を信じて下さらないのですか!』
と。
「信じてないわけじゃなかった。がみんなを守りたいって思う気持ちも分かってた。でも……には荷が重いと俺が判断したんですよ。それは本当でした。結局、は俺の言いつけを聞かないで飛び出して、俺がそれを追うように突出して――――あの時は、二人揃って官兵衛殿に怒られたっけ」
二人揃って罰を受ける間、はずっと殊勝な顔をしていた。だからてっきり反省しているのかと思いきや、
『私、後悔していませんから』
と、生意気な言葉。
元就がくすりと笑みを零した。
「彼女らしいね。芯が強くて、けっこう頑固なところがあるから」
「本当ですよ。可愛い顔してるくせに……その時は、ほんと可愛くない! って思ったりして」
だが、それから気になり始めたのだと思う。
初めはただの優等生かと思っていたのに、蓋を開ければとんでもないじゃじゃ馬で。
「子飼い達なんて、未だにの事が怖いんですよ。鬼姉だ、なんて言って」
色が白く線が細く、黙っていれば薄幸の美少女然としているのに、やる事なす事めちゃくちゃで――――でも、そんなに巻き込まれて、どたばたと騒ぎを起こすのが自分は嫌いではなかった。
秀吉がいて、ねねがいて、子飼いがいて、官兵衛がいて……皆が引きつけられる様に自分もすぐに引かれていって、彼女の事が好きになった。
初めは想うだけで満足していたのに、それは徐々に欲深く、相手の気持ちすら欲しがって。
「好かれてる自信はあるんです。尊敬されてると思うし、仲もいいし」
でも――――
それはきっと恋ではないのだと思う。恋に満たない平等な『好き』で、特別な感情ではない。
「俺、欲張りだから、誰よりもの気持ちが欲しいんです。子飼いよりも官兵衛殿よりも、もっともっと好きになって欲しい」
自分だけの唯一人になって欲しい。の心の誠が欲しい。
だが――――
「誰にも嫁がない、か」
ため息と共に零れた言葉に、半兵衛の心は深く沈んだ。
end
半兵衛が大殿相手にくだを巻いたり、弱気になったりする話。
時期的には「恋花」の前の話です。
ひよ様、素敵なリクエストをありがとうございました!