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 護衛の任の一つに、がァ千代と何を語るのか探って来いという、間諜まがいの指令があった。
 何だそれは、と当然官兵衛に噛み付きはしたものの、相手は秀吉の片腕とも呼べる軍師であり、とても自分達のような下っ端が逆らえる相手ではない。
 こそこそするのは男らしくて好かないと文句を言いつつも、仕方なしに任務を遂行しようとする三人は――――まさか、二人の会談の場が浴場になるなどとは思いもよらず、散々討論を重ねた挙句、不名誉極まりないが女湯と隔てる垣根に耳をそばだてる事になったのだ。
 そんな事をしている所を偶然宗茂に見つかって、垣根もろとも張り倒されたわけだが――――彼らの言葉を尊重するならば、これはまったくの不可抗力。致し方ない事故である。
 よって変態、覗き魔、痴漢、助兵衛と――――散々の心無い罵倒を受けたが、それは一切の誤解であり、如何に三成が自慢の一眼レフを携えていようと、正則が垣根に覗き穴がないか隈なく探していようと、清正が一言すら聞き漏らさぬよう垣根に張り付いて耳をそばだてていようと――――それは全て、謂れの無い誹謗である。
 繰り返すが――――決して、覗こうとしたわけではない。
 もし彼らの視界にめくるめく官能の女湯が開けてしまったのなら、それは任務遂行のために生じてしまったやむを得ぬ犠牲というやつなのだ。




恋花 03





「馬鹿」
 と、幾度目かの雑言を飛ばして、は仲良く布団に包まった三馬鹿の額に手ぬぐいを載せた。
 が制裁を与える前に、ァ千代の容赦ない攻撃が三人に見舞ってしまったため、はそれ以上三人を咎める事が出来なくなってしまった。
 むしろ怒る機会を逸してしまったようにも思う。
 心を満たすのはただただ呆れたという気持ちばかりで、馬鹿だと思いながらもこうして甲斐甲斐しく看病をしているのは、そんな馬鹿さ加減をが愛おしく思っているからだろう。
「本当に仕方のない子たち」
 ため息と共にむぎゅっと頬やら鼻をつまむと、三成がやめろ、とその手を払い除けた。
 未だ残りの二人はうんうんとうなされている中、三成だけ覚醒したと言う事は浴びた雷の量が少なかったらしい。それでも辛そうに目の上に手の甲をあてている所を見ると、やはり共に覗きを企てたのは言い逃れ様のない事実だろう。
 レンズにひびが入った一眼レフを枕元に引き寄せ、損傷を確かめると、忌々しげにくそっと毒づいた。
 まったく呆れて物も言えない。
「どうしてこんな事したの」
 三成がこの南蛮の写真機を気に入っているのは知っているが、それで覗こうとはあまりにも馬鹿げている。そもそも不遜で傲岸な性格ではあるが、その三成がカメラ小僧の真似とはあまりに卑小すぎる。何か他に理由があるのでは――――は考えるわけだが、三成は仏頂面で黙り込むだけだった。
 実際には三成の盗撮――――もとい、蒐集趣味はの想像の斜め上をいくわけだが、それはこの際置いておき、三成の脳裏には官兵衛の降した指令が巡っていた。
「あの女と何を話した」
 と、寝転がったままの状態で、三成の切れ長の瞳がを見上げた。
「何って……べつに、」
 言いかけて、ふとァ千代の言葉がの脳裏に甦った。
『馬鹿だな、お前は。それは恋と言うのだ』
 見る見るうちに耳の先まで赤く染まり、三成は怪訝そうに眉間に皺を刻んだ。
、お前は……」
「お、お水、替えてくるね!」
 は三成の言葉を遮ると、水の張ったたらいを手にそそくさと部屋を出た。
 あまりに不自然なの反応に、三成はますます顔をしかめると、
「くそっ」
 ごろりと寝転がって、不機嫌な顔を柔らかな布団に埋めた。





 庭先の井戸まで出てきて、はふうっと息を吐き出した。
 心なしか鼓動が早い。ァ千代の言葉が、耳の奥から消えない。
 考えた事がないと言えば嘘になるのだ――――
 確かには、半兵衛に決まった伴侶がいない事を、嬉しく感じた事がある。
 あの歳で秀吉の軍師を務めるのならば、妻や側女の一人がいてもおかしくない。出会った頃から、すでに半兵衛は一回り以上大人で、あの官兵衛でさえ妻子がいるのだから、むしろそうなのだろうと思い込んでいた。さぞかし半兵衛の妻は美しい人なのだろうと、勝手に想像していた。
 それが、ひょんな事から独り身だと知り――――その時自分は、何故かほっとしてしまった。
 誰の物でもない事を、嬉しく感じた。妻を娶らないのかと聞かれ、俺はいいやと緩い顔で笑う半兵衛の姿を――――今も鮮明に覚えている。
 だが、それは違う。
 これはただの、幼い嫉妬心だ。
 仲の良い人を誰かに取られたくない、それだけの矮小な感情だ。
 だから、これは決して恋などでは――――
「あれ程の雷撃で寝込むとは、織田の将も大した事は無いな」
 背後より声をかけられ、ははっと顔を上げた。
 淡い色の小袖と袴を着たァ千代が、闇の中から現れる。
 の戸惑ったような表情に、
「またぐちぐちと考えていたのか」
 とァ千代は目を細めると、おもむろにの手首を取った。
「えっ」
 驚くに行くぞとだけ短く告げて、ァ千代はずんずんと歩を進めた。
「行くってどこへ」
 問いかけるに、ァ千代は振り返らない。
 ただ、凛々しい顔に挑むような笑みを浮かべ、
「酒盛りだ! まだ酒宴は終わっていないぞ」
 ァ千代が手を引くその先には、緋毛氈のしかれた縁台と満開に咲き乱れる藤の花が月明かりに照らされていた。



end


不貞寝三成。
ァ千代は酒豪です。