容赦なく顔面に叩き込まれた拳は、再び振り上げられると更に凶暴な力を込めて二度、三度と放たれる。
相手が女だとか、それなりに整った顔をしていたとかいう躊躇は当然なく、そのまま粉々にぶち壊してやろう、むしろブチ殺してやろうという意思がごつごつした拳から感じられた。
冷たいコンクリートの壁に叩きつけられ、衝撃と共に崩れ落ちそうになるのを、胸元を掴み上げられ宙吊りにされる。そしてそのまま太く無骨な両手がの細首に絡みつき、ぎりぎりと締め上げた。
窒息させるような生ぬるい殺し方ではない。これは首の骨を折ろうとしているのだ。
みしりみしり、と自分の骨が軋む音を聞きながら、はどこか他人事のように思う。
丈夫に出来ているとは言え、こんな巨漢に圧力をかけられればやがてそれは折れてしまう。あと五秒か、十秒か――――いずれにしろぎりぎりと肌に食い込む指先が、喉ごと潰すように手折ってしまうだろう。
霞む視界の中で、の首を絞める男が何か言ったようだった。
耳はとっくのとうに攻撃を受けて、声がよく聞き取れない。
おそらく、死ねとかくたばれとか、そういう言葉を吐いたのだと思う。
所謂、勝者が敗者の死の間際に告げる言葉。
馬鹿だな、とはぼんやりと思う。
そんな戯言など吐いていないで、さっさと殺せばいいのだ。通常の力で五秒かかるなら、三秒で。渾身の力を込めて無遠慮にあの世に叩きつければいい。
それをしないのは勝者の驕りだ。今まさに死なんとしている敗者に向って、優越感を得たいのか、自分の強さに酔っているのか。
いずれにしろ、戦場では無駄なナルチシズムに違いない。
そんな下らない事をしている暇があったら、さっさと殺せと教えてくれる者はいなかったのか。勝利を感じた瞬間ほど、無防備になると忠告してくれる者はいなかったのか……
そんなだから――――逆に自分が殺される事になる。
はぼろぼろの両腕を男の背に回すと、身中に残された最後の力を振り絞ってその身体を抱きしめた。
一瞬、怪訝な顔をしたのかもしれない。
だが、その怪訝な表情のまま――――の全身から飛び出した刃に、男の身体は穿たれていた。
化物姫
血煙がまだ空気中に漂っているように、空気が淀んでいた。
一体、何人の死体が転がっているのかは分からないが、まあ壮観とでも言っておこうか。いくらか味方が交じっているかもしれないが、血まみれの屍の中では、どれがどれだか分からない。
しかも今回の敵は、自分たちと同じ夜兎族だった。幾人かは味方も食われてしまっただろう。共食いを好かない阿伏兎にとって何とも詰まらない仕事である。
とは言え、向ってくる敵は叩き潰さねばならない。それが上からの命であれば尚更だ。
「さて、と。うちのお嬢様は無事かねェ」
阿伏兎は味方の被害状況を確認しながら、別の部屋で戦っているであろうを探しに向った。
どうやら自分があたった部隊は本隊ではなかったらしい。
同じような状況下だが、もう一方の部屋はより一層血の匂いが濃厚で、転がった死体も阿伏兎の居た部屋に比べ軽く二倍はあるだろう。味方の被害もそれなりに大きく、残り少ない同族を無駄に死なせたという思いが強くなった。
それに加えて――――
「これまた扇情的なお姿で」
死体の山の前で佇むは、満身創痍の体だった。
鼻腔からぼたぼたと血が溢れ、目の上を切ったのか片目を閉じている。髪はぼさぼさに乱れ、唇の端には血がこびり付き、したたかに殴られたのか頬が腫れていた。
腕も足もぼろぼろ。左腕を庇うようにしている所を見ると、骨がイカれているのかもしれない。
一張羅も返り血と埃で汚れ、スリットが腰辺りまで裂けて下着の端が丸見えだ。
それを極力見ないようにしながら、阿伏兎はとりあえずの無事に安堵した。
「今日の敵、強いね。死ぬかと思っちゃった」
阿伏兎の姿に気付くと、は場違いな明るい声を出してぐちゃぐちゃの顔に笑みを浮かべた。
笑ってる場合じゃねェだろう、と阿伏兎は呆れて溜息を漏らす。
「まぁた無茶しなさって」
の実力は認めているつもりだが、それでも神威のように飛び抜けて強いと言うわけではない。常識的な夜兎の中の強さであって、今回のように敵が同族なら決して余裕の見せられる相手ではなかった事は、満身創痍の姿からも想像できた。
だと言うのに、転がった死体には無数の刃が突き立てられている。
これがの戦闘スタイルだと知ってはいるが、刃物で遊ぶくらいなら素手でさっさと片付けろと苦言を呈したくなった。
そうすれば――――少なくとも、顔面に受けた傷はもう少し減ったはずだ。
本人はまったく気にしていない様子だが、この姿を神威が見たら何と思うだろう。とりあえず、アンタ死んでて良かったな、とを屠ったらしき死体に向けて胸中で呟く。
「とにかく……女の子なんだから鼻血くらい止めなさいヨ、アンタ」
色々と突っ込みたいのを我慢してとりあえず今一番にすべき事を伝えると、はまるで今更気付いたかのように、アハハと笑いながら鼻腔を押さえた。
が、手の平で押さえたくらいで砕かれた鼻から溢れる血は止まらず、ぼたぼたと鮮血を無機質な床に零す。
「ああ、もう。なにやってんだか」
阿伏兎は溜息を漏らすと、自分が羽織っていたマントの裾を破っての鼻先に宛がった。汚ねェけど我慢しろよ? と前置きして、
「上向け。んで、一分間くらい目ェ閉じてろ」
「そうなの?」
「民間療法だ」
適当な事を口走りながら、首の後ろをトントンと叩いてやると、は素直にそれに従った。
もともと個々のパーツが整っているせいか、それを滅茶苦茶に損なわれたの顔は妙に痛々しかった。治るんだろうな、とガラにもなく心配してしまう。
神威とはおそらく違う別の理由で、自分もこの顔が好きなんだろうなとぼんやり思う。
まァ、見てくれは可愛いンだよな。このお嬢さんは――――
観賞用に側に置くには、危険で凶暴すぎるけれども。
「ねぇ、阿伏兎」
「あん?」
目を閉じたまま、は唇に笑みを浮かべた。
「阿伏兎は共食い、嫌いかもしれないけど。今日はスッゴク楽しかったよ?」
の言葉に阿伏兎は一瞬言葉を失い、それから喉を震わせるようにクククと笑みを零した。
顔を傷つけられるより、一張羅を台無しにされるより、そんな事を言うなんて。
「鼻血垂らしながらナニ言ってやがる」
だが、それでこそ、うちのお嬢様だ。
そうでなければ、化物姫は務まらない。
end
リクエストの阿伏兎に介抱されるヒロインでした。
rikuさんすみません、鼻血になっちゃいました。
でも、鼻血って萌えま(ry
この度はステキなリクエスト、ありがとうございました!