Text

筒井筒・後編





「いい加減、手を離せ」
 うっそうと茂る竹林の中を走り、ようやくねねの声が聞こえないところまで逃げおおせたのを確認し、佐吉は自分の手首を握り締めるの手を振りほどいた。
 長時間握り締められていたためか、手を解いてもまだそこにの指先があるような感覚がある。温かいぬくもりの名残が奇妙な居心地の悪さを生み出していた。
「ああ、ごめんごめん。走るの速かった?」
「そんなはずがあるか。俺を巻き込んだ事を怒っている」
「まあまあ、仕方ないじゃん。ここはほとぼりが醒めるまで仲良く逃げようよ」
「で、仲良く怒られろと? ふざけるな」
 ばっちりねねにと話しているところを見つかってしまったのだ。どんなに言い繕ったとしても、飯抜きくらいは覚悟した方がいいだろう。
 それに――――何だかんだいって、ねねは女であるに甘いところがある。佐吉や市松が同じような事をすれば、一晩中締め出しをくらうような事でも、は女の子だからと夜半過ぎくらいで許されてしまった事があるのだ。
 不公平だ。
 女、女と言うが、は今までずっと佐吉たちと共に育てられて来た。ちゃんばらもしたし、木登りも、乗馬も一緒にした。それを今更、女と言われても佐吉にはその違いがよく分からない。むしろ、誰よりも図体がでかくて、ついでに態度がでかいこいつに、女という属性など不要だと思えた。
 今まで同種に思って来た存在が、得たいの知らない何かに変わってしまうようで居心地が悪かった。
「とにかく。そのみっともない格好をどうにかしろ。このまま帰ったらおねね様に大目玉だ」
「みっともない格好?」
「だから……」
 ぼけっと呆けた顔で自分の格好を見下ろすに、佐吉はただ苛立った。
 頭の上に竹の葉をひっかけ、どこで作ったのか頬には擦り傷。化粧は汗で滲みかけている。着物は奇跡的に無傷だが、素足で走ったせいで足は小さな傷と泥で覆われている。
 違う。こいつは絶対に女じゃない。俺の知っている女と言う生き物は、もっと淑やかで慎みのあるものだ。間違ってもこんな格好で、野生児のように竹林を走る奴じゃない。
 佐吉は呆れながら竹林の奥へと進むと、を小さな滝へと導いた。





「さーきちー! ねぇ、おいでよー! 気持ちいいよー?」
 滝の真下の岩場から佐吉を呼ぶ声が響く。佐吉は川辺で滝に向かって背を向けたまま、完全にその声を無視していた。
 やはりあいつは女じゃない、と川辺に脱ぎ捨てられた着物をたたみながら思う。
 滝を見つけた瞬間、は川だー! と驚喜しながら、躊躇い無く自分の着物を次々に脱いでいった。そして、驚愕する佐吉の前で一糸纏わぬ姿になると、そのままドボンと滝つぼへ飛び込んだのだ。
 羞恥を知らないに代わって、逆に佐吉が恥ずかしくなってしまう。
 やはりあいつは女じゃない。女なら、男の前であんな風に真っ裸になったりするものか、と思う。
 確かにずっと姉弟のように育って来たし、一緒に風呂に入った事もある。だがそれは二年も前の事だ。それ以来、一緒に風呂には入っていないし、寝所も別になった。前のように一緒になって遊ぶ事も少ない。
 だと言うのに――――
「あー、気持ちよかった」
 はぽたぽたと水の滴る髪をかき上げながら、岩場の上にその白い身体を晒した。そのまま身体を乾かすつもりでいるのか、太陽を仰ぐように身体を反らせる。
 冗談じゃない。そんな何時間もに付き合ってられるか!
 佐吉は苛立ちを抱えたまま、極力の方を見ないようにしながら、自分の羽織をの方へ放った。
「佐吉?」
「それでさっさと身体を拭け! 拭いたらすぐ帰るぞ!」
「ええー。もうちょっとゆっくり、」
「いい加減にしろ。それでおねね様に怒られるのは、」
 俺なのだぞ、と言いかけて佐吉は奇妙な違和感を覚えた。
 自然に口に仕掛けたが、なぜ自分が怒られるのだろう。嘘をついたのは自分の責任だが、が逃げたのはの責任だ。怒られるにしても、咎は半々であると言うのに。
 だが、どこかでねねに、こんな時間まで女の子を引っ張りまわして、と怒られる自分を自然と想像してしまったのだ。
 無意識のうちにを女扱いしている自分がいて、佐吉は戸惑う。
「なに?」
「いや……、なんでもない。早く服を着ろ」
 ぶっきらぼうに言い放ち、佐吉はの十二単を放った。こんなの一人じゃ着れないよと、がぶつくさ文句を言ったが佐吉はそれをまるきり無視した。
 そして、
「えっと……これって?」
 水気をふき取り着替えたの前に、佐吉が背を向けて身を屈ませていた。
「いいから乗れ」
 つっけんどんに言い放つが、はなんで? と小首を傾げるばかりで乗ろうとしない。三成の苛立ちは増すばかりである。
「その足で歩いてまた汚して帰るのか? 俺はお前と一緒に怒られるのはごめんだ」
「ああ、そういうこと。んー、でも、それじゃあ佐吉が……私はそのわらじさえ貸してもらえれば十分だけど?」
「俺に素足で歩けと言うのか」
「あ、じゃあ、着物交換する?」
「死んでもごめんだ」
「じゃあもう、着物を脱いで歩くしか……」
「そういう問題じゃないだろう!」
 佐吉は苛々しながら怒鳴りつけると、無理やりの腕を掴んで一本背負いをかける要領で負ぶった。
 ゆっくりとした足取りでを背負ったまま竹林を歩む。
 自分より背の高い人間を背負って重くないと言えば嘘になるが、何が何でもその言葉は口に出来なかった。を気遣ったのではなく、一人背負えないと認めるのが悔しかったのだ。
 竹林の静寂に身を委ねるように、二人の会話は途端に途切れた。その沈黙を佐吉が居心地悪く感じていると、が途端にねえと呼びかけてきた。
「さっき庭で言おうと思ったんだけど、佐吉は変わらないね」
「……なにがだ」
「変わらず優しいなってこと。口は悪いけど、なんだかんだで気にしてくれるし」
「……一言余計だ」
「ふふっ。でも、私、そういう佐吉のこと、嫌いじゃないよ?」
 突然にそんな事を言われて、佐吉は思わずの身体を取り落としそうになった。落ち着けと全神経を集中させ、身体中に命令する。
 どうせこいつはその言葉に特別な意味など込めていない。こいつは女じゃない。色恋には程遠い場所に、姉弟のように育った自分にとっては遥か遠くにいる存在だ。
 そう思うのに、なぜか佐吉の鼓動は高鳴り、身体中の熱が自分で実感できるほど高まる。
 意識を反らそうとすればするほど、背に当たる柔らかい感触や甘い匂いに意識が奪われていく。白粉も紅もとっくに落としたはずなのに、穂のかな甘い香りが佐吉の鼻腔をくすぐる。
 これ以上――――否定することなど出来ない。
「お前は……変わった」
 ぼそりと呟いた佐吉の声に、がえ? と怪訝そうな声を上げる。
「そうかなぁ? 自分じゃよく分からないけど」
「自覚がなくても知っていろ。お前は変わった。だから、俺は二度とお前と一緒にあの川には行かん」
「えっ、なんで?」
「知るか。おねね様にでも聞け」
 なんでなんで、としつこく聞いてくるを無視して、佐吉はただ黙々と竹林を歩いた。
 泥にまみれ、歩く度に小さな傷を作っていく己の両足を眺めながら、これが男と女の違いなのかとぼんやり思った。
 傷は傷で、男だろうが女だろうが、同じ道を歩けば同じだけ汚れる。
 だがそれを――――せめて女雛の格好をしたに同じ道を歩かせる事は、何故かさせては行けない事のように思えた。
 着物が汚れるとか、足が傷つくとかそういう事の前に。
 そんな風に思うようになったのは、もしかしたら佐吉の中でも何かが変わっていったからかもしれない。




end


佐吉、紳士に目覚める。の巻でした。
「朧月夜」様の10000打記念に捧げます!
相変わらず稚拙な文章ですが、楽しんでいただけたら幸いです^^