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続・人に過ぎたるもの





 ぎゃあああ、と男にしては妙に甲高いような悲鳴で目が覚めた。瞳を開くと白い羽織の小柄な軍師――――半兵衛が信じられないといった顔で、自分を見下ろしている。
「たっ、た、太公望さん!? の膝の上でナニしてるわけ!?」
 膝の上と聞いて、そういえば自分は人間の娘の膝で眠っていたのだと思い出した。ふと視線を上げると、起こすどころかの方も寝入ってしまっている。ずいぶんと長い睫毛だ、としげしげとの顔を見つめていると、我慢を超えたのかだぁぁっ! と半兵衛が声を荒げた。
「とにかく起きてよ! 信じらんない! 眠ってる女の子の膝の上で寝るって、一体どーゆーつもりっ!?」
 ぐいぐいと腕を引っ張られ、不承不承起き上がった。先に眠ったのはこちらなのだが、激昂している半兵衛には何を言っても聞いてもらえないだろう。
 そもそも、なぜ半兵衛がこれほど怒っているのか。
 それを知らぬ太公望ではない。半兵衛がを気に欠ける豊臣傘下の一人であり、ねねや官兵衛とは別の感情を向けているからだ。
「言っておくが、私は無体を働いたつもりはない」
「はああ!? いい年してそーゆーコト言いますか。太公望さん、と何千年歳離れてると思ってんの?」
 何千年と問われれば由に二三千年は離れているだろうが。
 だからなんだとばかりに、太公望は涼しげな顔で半兵衛を見下ろす。
「で?」
「で!? 俺でさえにちょっかい出したら、犯罪だとか言われるのに……太公望さんじゃ犯罪どころじゃないよ!」
 もう大罪だよ、七つの大罪の一つに値するよ、となにやら興奮してまくし立てているが、どうにも要領を得ない。
 そういえば半兵衛も身なりは子供のようだが、三十は超えているのだったと思い出す。との歳の差は十程度。それで――――何をしたのかはしらないが、どうせ禄でもないことだろう――――犯罪だなんだと言われるのならば、確かに太公望のこの行為は大罪かもしれない。
 が。
「普段の知らぬ顔の半兵衛とは思えぬ慌てぶりだな。私との間に何かあったら問題でも?」
 あえて半兵衛の心を見透かした上で言ってのける。
「人目のつかぬところで男女が仲睦まじく寝ていれば、大方見当がつきそうなものだが?」
「は」
 ぴしり、と半兵衛が石化した。
 太公望を不埒者に仕立てることであえて無視してきた推測。もし、二人が知らぬ間に男女の仲になっていたらどうなのだ、と太公望は言っているのだ。
「さて。今孔明の回答や如何に?」
 クク、と忍び笑いを漏らしつつ、太公望の涼やかな顔に優越感のようなものが浮かんだ。
 半兵衛はおそらく脳裏で二人の睦み合いを妄想し、そのままへなへなとその場に膝を付いた。
 おそらくは、半兵衛にも千里眼を使っている事を悟られたくないと思っているだろう。ならば、今後のためにもそう勘違いしてくれていた方が都合がいい。
 そう太公望が勝者の笑みで半兵衛を見下ろしつつ考えていると、
「ふ、ふふふ……」
 途端に不穏な笑い声が半兵衛の唇から零れた。
 何事かと眉根をひそめる太公望。
 半兵衛はどこか病的な暗い笑みを浮かべながら、太公望を見上げると、別にいいんだ、と低い声で呟いた。
「べつに……ここで何があったって……あの二人にかかれば……」
「貴公は何を言っている?」
 半兵衛が太公望の問いかけに答えることはなかった。ふとその暗い表情に、不敵な笑みが浮かんだと思うと、
「おねね様、官兵衛殿―! が! が暴漢に襲われてる!」
 大声でそう叫んだのだった。
「半兵衛、何の真似かな……?」
 半兵衛の奇行に太公望が警戒を強めたその時、それは現れた。
「潰えよ」
 低い声と共に上空に現れた巨大な鬼の手が、太公望を圧殺せんと打ち落とされる。
 それを寸でのところでかわした太公望だったが、その着地点にどこからともなく湾曲した対の刃が飛んできた。それは太公望の髪をわずかに切り裂き、大きく弧を描いて持ち主の手へと戻った。
 そこには――――黒い空気を背後に背負った、凶相の軍師と笑顔のくのいちが立っていたのだった。
 この瞬間になり、ようやく太公望は己の不利を察知した。
 人間の子など、全知全能たる自分と比べれば卑小な存在だが、子を守る母の力と言うものを、自分は甘く見ていたかもしれない。
 官兵衛は男だ。ねねもの実の母親ではない。だが、二人のに向ける庇護の心は、きっとそう表現するのが正しい。
「悪い子だね。寝ている子に悪戯するなんて」
「い、いや、違う……」
「言い訳は聞かぬ」
「まっ、待て。私はただ貴公らの子を守ろうと……」
「お説教だよ!」
 ねねの声と共に二人の放った攻撃が、轟音と共に太公望を襲った。
 それは如何に全知全能たる仙人であろうと避けようがなく、これのどこがお説教だと――――太公望は消えゆく意識の中で思うのだった。


 翌日、
「ずいぶんと男前になったな、坊や。如何に神仙であろうと、女子との接し方を間違えると痛い目に遭う、と良い教訓になったろう」
 知り合いの仙女がにやにやと、きっと全てを知っていつつ向けているのであろう笑みを受け、太公望は傷跡を残した顔を不機嫌そうにしかめたとかなんとか。




end


おかんべえとおねね様の前では、
さすがの太公望さんも太刀打ちできませんでした。
母は強し! ですね。