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 石が宝玉へと変化するように鳶色の瞳が翡翠のそれに変わる。娘はじっと遥か遠くを見つめたまま、決してここからは目にすることの出来ない光景を視る。
 千里眼とでも呼べばいいのか。
 その目は距離を飛び越えすべてを見せる。彼方を、遥か先を、物理的な障害を越えてそれを見せる。
 だが、
「人に過ぎたる力だ」
 太公望は仙人らしい尊大な口ぶりで言い放つ。
 その力は人に許されたものではない。仙界においても彼方を目にする力は、一部の神仙にしか許されぬ力だ。
 それを人が有していると耳にした時、まさかと疑った。確かに打倒遠呂智に決起した人の子らは、皆どこか卓越した力を持っている。自分の賛辞に値する優秀な存在だと、今では太公望も認めている。だが、それはあくまで人の力の範疇でのこと。
 その力は決して人の努力で手に入れられるものでもなければ、決して人に許される力ではなかった。
 視えるということ。
 それは全てを知るということ。
 そのような膨大な情報を、人の小さな頭のうちに収めきれるはずがない。




人に過ぎたるもの





「軍師と呼ばれる者は、皆それなりに賢いように見えたが、貴公は別のようだ。
 名を呼ぶと、木の幹に身体をもたれるようにしていた娘が、そっとその目を開いた。
 鳶色の瞳。
 視えてはいない。
 その事に何故か安堵する。
「……太公望様?」
 何故ここにいるのだと、問いたげな顔だ。
 人の子の考える事などお見通しだ、と太公望は目を細めた。
 ぐったりと木にもたれかかるその身体は明らかに疲弊して見える。顔色も悪く、青ざめていた。
「ここで何をしていた?」
「あの……すぐに戻ります」
 問われて答えに詰まったは慌てて立ち上がった。だが、身体が言うことを聞かないのか、ぐらりとその場に崩れ落ちる。
「無理をするな」
 声をかけながら、太公望はゆっくりとの身体を木にもたれかけさせた。糸のきれた人形のように、の身体は弛緩しきっている。それに手を触れて、やはりな、と太公望は胸中で呟いた。
「叱られるとでも思ったのか?」
「……いえ」
「では、心配をかけると?」
 答えはなかった。まったく浅慮な事だ、と心の中で呆れ返る。
 この娘が軍勢に加わってから、どうやらずいぶん甘やかされて育ったのだと感じた。皆――――特に秀吉の関係者は、とかくこの娘を労わり、気遣う。
 それはきっと彼らにとっては習慣に過ぎない。もともと身体が丈夫な方ではないらしい。幼い頃は何かと親代わりの者たちに心配をかけたらしいから、自然とそうなってしまうのは仕方が無い。だが、太公望はそんな皆の心配を、が心苦しく思っていることにも気づいていた。
「……他の方が戦っているのに、私だけ休んでいるわけには……いかないのです」
 どこか、罪を告白するような口ぶりだった。
「だから少しでも戦局を有利にするため、敵の偵察か。確かにその情報は有益だが、貴公がこのように疲弊するのでは、他の者はやり来れないだろうな」
「……」
「だから隠れて力を使ったのか? このような陣営から離れた場所に独りで来て、疲弊した所を敵に襲われたらどうするつもりなのかな?」
 は俯いたまま、何も返せずにいた。
 まがりなりにも軍師を名乗る者なのだ。そのくらいの事も分からなかったはずがない。
 だが、それでもに力を使わせてしまったのは、皆の抱える不安のせいかもしれない。
「犠牲になるつもりはありません。命を引き換えに何かを得るなんて、きっと間違っているから。でも、私も少しでもお役に立ちたいんです」
 鳶色の瞳に煌々と翠の光が集う。
「この目は私だけが持つもの。なら私はそれを最大限に使って、皆さんを助けます。決して犠牲にならないと誓います。だから……止めないでください」
 顔を上げたの双眸には、強い意思の光があった。
 太公望はその光を真上から受け止め、の意思の強さを感じた。やれやれと、ため息混じりに呟くと、の隣にすとんと腰を落とす。
「太公望様?」
 不思議そうなの顔。
 勘違いされては困る、と太公望は前置きした。
「私が止めに来たと思っているのなら、考えが浅いと言わざるを得ない。もし貴公を止めたいのなら、あの顔色の悪い軍師か、説教好きのくの一を連れてくるが?」
「あ……」
 やれやれ、と今度は声に出して呟く。
 付き合いは短いがの頑固な性格を自分が見抜けないとでも思っているのか――――
「全知全能たる私に不遜だな」
 ふん、と鼻を鳴らし、太公望はごろりとの膝の上に頭を預けた。
「あの……」
 ごく自然に、当たり前のように膝枕を強要され、流石のも突っ込む瞬間を失った。
「私は一眠りする。動けるまで回復したら、私を起こすといい。それまではゆっくり身体を休めるといいだろう」
 そして、ゆるゆると瞳を閉じる。
 完全なる眠りの体制に、はどうしたらいいのか分からなくなった。あのぅ、ともう一度声をかけようとした瞬間、全知全能たる軍師は、瞳を閉じたままの言葉を制した。
「言っておくが私を謀れるなどと思わない事だ。今後、独りで力を使う時は、私を連れていくように。もし言うことを聞かなかったら……」
 分かっているな――――
 紫水晶のような瞳がわずかに開き、ちらりとを見た。
 そして、再び瞳を閉じ、すぐにすやすやと穏やかな寝息を立て始める。自分よりも何段も上手な天才軍師に、はなす術なく、拒否の言葉すら忘れてしまった。




end


唐突ながらOROCHI夢。
さすがのヒロインも、太公望相手では調子がつかめないようです。