4.真っ赤なスイカ
「あ゛つ゛い゛〜〜。あ゛つ゛い゛、あ゛つ゛い゛、あ゛つ゛い゛〜〜」
蝉の音の響くとある晴天の日のこと。軍師たちに与えられた執務室の隅で、半兵衛はぐったりと身体を畳に預け、気だるそうに繰り返した。
摂氏三十七度。人の常温を超える猛暑日である。
北向きのこの部屋でさえ、蒸す様な暑さが部屋を満たしている。開け放した障子戸の先から風は無く、日陰であるという事の他に屋外と大差ない暑さである。
暑さに弱い――――と自称するが、冬は冬で寒さに弱い――――半兵衛は、当に仕事を放り出し、少しでも涼を得ようと畳の上に横たわっている。すぐに自分の体温で生ぬるくなってしまうので、一定時間ごとにしゃかしゃかと虫のように畳の上を這いずるのだった。
分厚い羽織はとうに脱ぎ捨て、頭の上の帽子も外している。当然、暑苦しい防具などつけていないし、着物も夏用に麻などの材質のものを着ているのだが、それでも身体中からにじむ汗が止まらない。
首に濡れた手ぬぐいを巻き、少しでも体感温度を下げようと努力しているのだが、この猛暑では焼け石に水のように感じられた。
「半兵衛。遊んでいないで働け」
畳の上に寝転がった半兵衛を一瞥すらせず、官兵衛が厳しい声で言い放つ。その表情はこの猛暑であっても涼やかで、熱を吸い込む黒い衣をまったく崩さず折り目正しく着込んでいる。化け物だ、と半兵衛は胸中で思う。この暑さで汗をかかないヤツなど、人間のはずがない!
「この暑さじゃ無理だよ、官兵衛殿〜。頭が煮えて何も考えられないよ〜」
「心頭を滅却すれば火もまた涼し、という言葉を知らぬのか? 暑いと言って解決するならば苦労はない」
「そーゆう精神論はもういいよ〜。気持ちの問題じゃないんだって! もう物理的に無理! 俺、焼き魚になっちゃうよ〜」
「魚?」
「あー、暑い、暑い、暑い、暑い」
訝しげな官兵衛を無視し、暑いを繰り返す半兵衛。今孔明の渾名にかけて水魚の魚に自分を喩えたのだと官兵衛が思い当たったその時、徐に襖が開きが入ってきた。
畳の上にぐったりと横たわった半兵衛には少し驚いた顔をしたが、すぐに半兵衛なりの涼み方なのだろうと自答を得た。
「いい物がありますよ、半兵衛様。おねね様からの差し入れです」
ことり、と。赤い三角の乗った皿を、文机の上に置くと、それを目にした半兵衛が目を輝かせた。
「西瓜だ!」
子供のような弾んだ声を上げると、さっそく一切れ手に取りしゃくりと頬張った。十分に冷やされてから切られたのか、冷たく甘い食感が口いっぱいに広がる。
先ほどまで腐った魚のように陰気を振りまいていたくせに、今はそれこそ水を得た魚のように活き活きとしている。しばし官兵衛の小言が中断されたおかげか、はたまたが西瓜と同時に現れたせいか。ともかく現金なものだ、と官兵衛は密かにため息をついた。
と、
「お疲れ様です。官兵衛様もどうぞ」
ことり、と目の前に別の器が置かれる。小さく一口で食べれるような大きさに整えられた赤い果実が、涼やかな陶器の器によく映える。
官兵衛は無言のまま、そのうちの一つを竹串で刺すと、しゃくりと咀嚼した。
水気の多い甘い風味が口いっぱいに広がり、喉から身体の奥のほうへと熱気をすっと冷やしてくれる。
「美味いな」
ぼそりと呟くと、はまるで自分が褒められた事の様に嬉しそうに微笑んだ。
と、二人がほんわかと――――一人はいつもどおりの仏頂面だが――――師弟の愛(?)を育んでいると、それを遮るように、あのさぁと半兵衛が不満げな声を上げた。先ほどの活き活きとした魚はどこへやら、再び瘴気のようなものを纏って、
「な〜んか俺と官兵衛殿への対応が違くない?」
「え?」
「俺は普通の三角なのに、官兵衛殿のは皮も落としてるし綺麗に種も取ってるし」
「あっ、ごめんなさい。官兵衛殿には昔からこうやってお出しするのが、習慣になっていたので……」
「本当にそれだけ?」
じっと疑わしげな目を向ける半兵衛だが、の行動にそれ以上の意味など存在しない。当然、半兵衛もそれが習慣なのだと理解しているが、どうにも官兵衛ばかり特別扱いされているようで気に入らないのだ。
それに、何気なくの零した“昔から”という言葉も、二人の関係が浅からぬものだと言っているようで妙な疎外感を感じてしまう。
「下らん」
半兵衛の子供のような悋気に肩をすくめた官兵衛が、さくさくと団子状に竹串で西瓜を刺すと――――あぐっ、と横から首を伸ばした半兵衛にそれを掠め食われた。
「………」
空の器と、してやったりという顔の半兵衛を眺め、官兵衛は無言で文机の上の妖気球を手にする。一方、半兵衛は自分は悪くないとばかりに、そ知らぬ顔でそれに応じる。
「かっ、官兵衛様! まだお代わりありますから!」
慌てて仲裁に入ったの言葉に耳も貸さず、大人気ない軍師たちは武器を片手に立ち上がるのだった。
追う官兵衛と、逃げる半兵衛。
勝敗はともかくとして、結局その日、半兵衛が執務につくことがなかったと官兵衛が気づくのは、日が西に傾き始めた頃だった。
end
西瓜ひとつ取っても、半兵衛と官兵衛の間には越えられない壁があるのでした(笑)