何度追い払ってもいつの間にか側に寄り、馴れ馴れしくこうべを摺り寄せてくる。
温かい、子供のような体温。
柔らかな髪や小さな頭が背に触れるたび、鬱陶しいと文句を言った。
離れろ、邪魔だ、執務の妨げになる――――
だが、温もりは遠のくばかりか、嬉しそうに笑って擦り寄ってくるのだ。
己の迷惑など聞かぬとばかりに。
柔らかな感触も、花の香のような匂いも、高い声も、暖かな温もりも――――すべてが鬱陶しかったのに。
居なくなった今、重みのない背が無性に心細く感じた。
死人を想う
対面する男は、怒りを視線に込め官兵衛を睥睨したが、彼にとってそんなものは取るに足らぬ虚勢にしか感じられなかった。
天守から望む大阪城は、かつて間近で見上げた頃よりも脆く見える。大筒の一二発で落ちてしまうのではないかと思えるほど、官兵衛の目には脆弱に見えた。
「絶対に壊させるか……っ!」
男が――――かつて共に秀吉の臣として戦った加藤清正が、搾り出すような声で呻いた。
愚かしいと思う。
妄執だ。
清正が大阪城に拘泥するのは、現実が見えていないからだ。もし現実が見えているならば、あの城がもはや自分たちの家などではない事が理解できるはずだろう。
天守に住まう女は、秀吉の想い人である市の面影で秀吉を誑かした。豊臣の名を継ぐ秀頼は本当に秀吉の子であるのかも怪しい。
あのような虚像には、天下を統べる事は出来ぬ。力なきものの専横は大罪である。
だから、潰すのだ。二度と詰まらぬ戦を起こさぬよう、徹底的に。
「話にならぬ」
もはや言葉を交わす意味もあるまい、と官兵衛は清正の横を通り抜けて背を向けた。
次に顔を合わせるのは戦場となった大阪城かもしれないが、それはそれで構わない。城と共に一緒に消えてくれるならば、願ったり叶ったりだ。
くっ、と背後の清正が呻き声を上げた。
掻き消えそうな声で、
「は……」
と、呟いた女の名に、官兵衛は思わず振り返った。
数年ぶりに耳にする名である。
「は……お前がそんな事をすると知ったら、悲しむだろうな」
「……」
「秀吉様の軍師が、まさか豊臣をぶっ潰そうとしてるんだからな」
官兵衛はわずかに両眼を細め、小さくため息をついた。
良心の呵責や妙な感慨があったわけではない。そんな言葉で一矢報いたつもりでいる清正に、心底呆れたのだ。
下らぬ、と呟いて、官兵衛は清正の想いも怒りもすべて一蹴した。
そのまま睨みつける視線を無視して、すたすたと天守を後にする。
光の届かない暗い階段を降りながら、官兵衛は下らぬ、ともう一度胸中で呟いた。
死んだ人間を引き合いに出してどうする。
死者がどうやってこの状況を知ることが出来ると言うのだ。四方をふさがれた土の中で、とっくのとうに腐敗してしまった身体で、この世の事を憂えたりするものか。
そんなものは生きている人間の都合のいい妄想に過ぎない。生きていたらああだった、こうだったと、自分の思い通りに死者を動かして、慰めているだけだ。
官兵衛はの死後、一度として彼女が生きていたらという夢を抱かなかった。
死んだ人間は空想の中でも死んでいるのだ。彼にあるのは――――生きていた時にが残した、その思い出だけだ。
ふいに不愉快そうに、官兵衛は顔をしかめる。
官兵衛様、官兵衛様と――――まるで猫の仔のように纏わり付いて呼ぶ声が、まるで昨日の事のように思い出され。
鬱陶しくて、仕方がなかったのだ
end
鬱陶しいと思っていたのに、居なくなると意外とショックだった。