教育現場
眼鏡とネクタイがなければ、同い年の男の子と言われても信じてしまうだろうな――――
そんな事をぼんやりと思った。
気だるげに睫毛を震わせて活字を追う姿は、一昔前の少女マンガの登場人物のようだ。
言葉を交わせば、彼はそんな妖精のような綺麗な男でない事は分かるし、予想以上に俗っぽく、怠惰で、いい加減で、ちゃらんぽらんな性格なのだと知ることが出来る。
毎年使いまわしたプリントを配って答え合わせをするだけのような授業だし、採点が簡単だと言う理由で現国のテストのくせに一問五点などという大雑把な設問を作る。副担に付いてはいるが行事ごとにはほとんど参加しない。口には出さないが、十も年下の子供たちのバカ騒ぎに興じるのは、きっと面倒なのだろう。
部活の顧問にもならず、大学時代についでに取ったという司書免許のおかげで、司書教諭として図書館に引きこもっている姿が、一番彼らしいように思えた。
読んでいるのは古典文学だったり、物理学の本だったり、京都のガイドブック、明日の献立、ティーン向けのライトノベルだったりと節操がない。
とても本気で読んでいるようには見えないのだが、活字を追う時の彼の横顔は授業をしている時の眠そうな顔よりも、何倍も真面目に見えた。
「竹中先生、そろそろ図書室閉めたいんですが」
時計が七時を過ぎ声をかけると、先生は私の顔を一瞥してから、
「んー、もう少し」
と、すぐに視線を紙面に戻してしまった。
いつものやり取り。そのもう少しが長くて、結局鍵を閉めるのは七時半ごろになる。
文句を言うのはとうに諦めているので、私は奥の電気を落としカウンター近くの明かりだけにして、自分も読書に耽る事にした。
図書委員の特権で、一ヶ月以上キープしている恋愛小説。
ベストセラーだとメディアが持て囃すから期待していたのだが、中身はどこにでもあるような、不治の病と殺伐とした若者が売りのラブストーリーだった。
こういう話はあまり好きではない。
若者が手を出しそうな手軽な悪徳をとりあえず詰め込んで、さも荒んだ若者たちが苦しみを抱えながら真の愛に気づくというストーリーが、なんとも陳腐に映るのだ。
売れているのだから好きな人間はいるのだろうけれど、果たして本当に共感できるのか不思議でならない。登場人物が皆十代であるのに、十代の目から見るとどれもこれも嘘臭いくらい大人びていて、同時に子供じみていた。
そんな文句を散々に並べ立てるくせに、この本を一ヶ月以上手元に置いているのは一つは手にした本はどんな内容でも必ず最後まで読みきるという決まりが自分の中にあるから。
もう一つは、どんなにページを手繰っても、目の前の童顔な教師の事が気になって、内容が全然頭に入ってこないからだ。
繊細な睫毛が瞬きと共に揺れて、一定の角度を保つ。
綺麗な顔だと思っていたけれど、同級生たちが黄色い声を上げるたびに何故か心が醒めていったのは、きっと私が天邪鬼なせいだろう。適当な授業をするくせに、生徒からの人気は高い。甘い顔で笑っていれば小娘などチョロイとでも思われているようで、そんな邪推が尚更、私を先生嫌いにさせた。
だが、今年の春から図書委員になり、窓際の席で真剣な顔でページを手繰る姿を見てから、私の認識は変わった。
『真面目な顔すれば普通にカッコイイじゃないですか』
そんな軽口を思わず口にしていた。
一年の頃から現国の担当だったが、ろくに言葉も交わした事がなかった生徒に、いきなりこんな事を言われたらどうだろう。ヤバイ、と慌てて弁解しようとすると、竹中先生はまるで子供のような顔で笑った。
そして、
『そうだよ。知らなかった?』
詫びも入れず、そんな風に自信満々に言ってのけた顔が忘れられなくて、私はうっかり恋に落ちたのだった。
小説ごしに竹中先生の顔を盗み見していると、ふいにあのさ、と彼が声をかけた。視線は紙面の上に釘付けになったまま、
「君、黒田先生の妹さんだっけ?」
「いえ……、従兄弟です」
ふーん、と気のないような返答をし、彼は再び黙った。
顔が似ていないので知る人間も少ないが、物理の黒田官兵衛と私は従兄弟の関係にある。顔が怖い上に授業も厳しいので、友達はあのクロカンとぉ!? と嫌な顔をするが、私には面倒見の良い兄だった。
「俺、大学の時の先輩なんだよね」
「え?」
「俺が先輩。黒田先生が二つ下のこーはい」
サークルが一緒だったんだよね、と彼は続けたが、そんな話は一度として兄から聞いた事はなかった。そもそも、あの兄がサークルに参加していたこと自体驚きだった。
「聞いたことない? 俺、新歓コンパの時、飲みすぎちゃった黒田先生を家まで送ってった事あるんだけど」
「いえ……」
その手の醜聞を兄が自分から話すはずはない。だが、入学早々ひどく飲まされて、以来アルコールが嫌いになったという話は聞いた事がある。その時の話だろうか。
「ふーん、聞いたことないか。仲いいみたいだから、知ってるのかなと思ったけど」
「仲……いい?」
あれ? と竹中先生は自分の予測が外れた事に驚いたのか、ふと視線をこちらに向けた。眼鏡越しの小動物のような瞳に、どきりと胸が高鳴る。
「よく職員室にお弁当届けに来てるでしょ? だから仲いいのかな〜って」
「いえ……それは、母が……」
世話好きな母が放っておくと食事が偏るからと、無理やり私にお弁当を押し付けて渡させているだけだ。従兄弟といっても学校で家族と親しげに話して、恥ずかしくない女子高生なんて居るはずがない。
「なんだ、そーなんだ。じゃあ、あんまり自重しなくてもいいのかな? 俺、黒田先生の妹さんだと思って、柄にもなく我慢とかしてたんだよね」
え? と言葉の意味が分からず聞き返した瞬間、徐に先生が眼鏡を外した。
開いたままの本の上に栞代わりにそれを置き、ゆっくりと歩み寄ってくる。
にこにこと、人畜無害な笑みを浮かべながら、
「ねえ。センセイと悪いことしない?」
カウンターの上に身を乗り出して、きょとんと目を丸める私の耳元で囁く。
「ここには俺達しかいないし、鍵かけちゃえば誰も来ないよ?」
悪魔の囁きで惑わして、かぷり、と彼の子供のような白い歯が私の右の耳を甘く噛んだのだった。
end
意外と楽しかった(笑)
きっと竹中先生はヒロインの好意を知った上で、誘ってるんでしょうね。
でも先生。それは犯罪です!