その指が喉に食い込む時
「どーして、俺の命令きかなかったの?」
自然と声が固くなる。
は戸惑うような顔で半兵衛を見つめていた。
「私……」
理由はわかっている。が半兵衛の命令を無視して、前線に飛び出していってしまうことも。
でも…
「いいよ、言い訳なんてきかない」
伝令の報告を聞いて、どれほど肝を冷やしたことか。
一瞬、世界が暗転するような不安感。
胃の中に押し寄せる気持ち悪さ、苛立ち、気が狂いそうなほどの焦燥感。
気がついた時には、前線に向けて馬を走らせていた。
軍師が突出するなんて論外だ。
だけど、そうせざるを得なかった。
あのままでは、頭がおかしくなってしまいそうで――――
「命令違反は……わかってるよね?」
は目を伏せて、小さく、はいと答えた。
その潔さに腹が立った。
もっと最悪の事態も起こりえたのに、それすらも今みたいな潔さで受け入れてしまうのだろうか?
敵兵に捕らえられたら? 男共の慰み者にされたら?
軍師だからだとか、誇りだとか、因縁だとか、そんな下らないもの要らない。
戦に出るなら自分の命も身体も守り通す覚悟が必要なのだ。それなのに、そんなものなどどうでもいいという顔をするから…
「わからないならわからせてあげるよ。俺――――けっこう怒ってるから」
そう宣言して、唇に噛み付いてやった。
柔らかい唇に歯を立て、傷を作る。
唇を伝って広がる鉄の味さえも無視して、貪るように結合させた。
舌をねじこんで、唾液を飲み干して、このまま呼吸困難で死んでしまえばいいと殺気を込めて。
「おいで――――お仕置きだよ」
ひやりと冷たい手を取って、半兵衛は立ち上がった。
「半兵衛様、どこへ――――」
手を引いて足早に進む背中に問いかける。
「閨だよ」
振り向きもせず短く応える。
らしくない。いつも飄々としてる彼が、初めて見せた怒りには戸惑っていた。
あの時は、何が起ころうと、それこそ討ち死にしようと構わないと思ったのに。
今、自分は目の前の男の怒りにおびえている。恐れている。まるで怒りが陽炎のように揺らめいて、振り向かない背中から放出されているようだ。
タンと、高い音を鳴らして、半兵衛は襖を勢いよく開いた。
薄暗い部屋に、薄っぺらの白い布団がぼんやりと浮かんでいる。
予想していた事だが、彼の仕置きの意味を理解して、ぞくりと悪寒が走った。
と、次の瞬間、半兵衛がの背中を乱暴に押した。体勢を崩され、は布団の上に膝をついた。
肩越しに半兵衛を見やると、冷ややかな眼差しで半兵衛はを見下ろしていた。
後ろ手で障子が静かに閉められる。
「言ったでしょ――――お仕置きだって」
と対峙するように、布団の上に両膝をつく。
「俺さ、自分でもびっくりするくらい取り乱しちゃったんだよ? ほんと、軍師失格だよ。笑っちゃうよねぇ。将が一人突出したくらいで、本陣を空けちゃってさ」
くっと、半兵衛は自嘲的な笑みを浮かべる。
だが、瞳は妙に冷めていて、湖の底のような暗さを投げかけていた。
「このまんまじゃまずいよね。俺、このままが戦に出るなら、いつか馬鹿みたいな死に方するかもしれない。危険だよね。うん――――危険なんだよ、は」
じり、と布団の上に片手を付き、にじり寄る。
「官兵衛殿にも言われちゃった。冷静になれぬなら戦に来るな。邪魔だ、って。そうだよね。たかが将一人のために稀代の天才軍師が死ぬなんて、勘定が合わないでしょ? でも、は勝手に戦について来ちゃうだろうし。だったらどうするのが一番いいんだろって、俺考えたんだよね。それで――――わかったんだ」
何を、と問わずとも、半兵衛の瞳が答えを告げていた。
口元を歪ませて半兵衛は嗤う。
「繋いじゃえばいいんだ。が勝手にどこかに行かないように。心も、身体も、俺のそばから離れられないように……」
顔を覗き込むように、半兵衛の顔がゆっくりと近づいてくる。
互いに目を閉じることもせず、ただ瞳の奥にとらわれるように、目を見開いて、その深淵を見つめていた。
「もしも逃げたりしたら……その時は、殺すから」
両の指先が細い首に絡みついた。ぐっと力を込められて、息ができなくなる。
ああ、これは狂気だ。
静かな口付けを交わし、確信した。
私は、俺は、もうこの瞳から逃れられないんだ――――
end
(続き書くとしたら絶対裏だな、コレ…)