ああ、この身はもう永くないのだと、否応無く思い知らされる。
寒いと思ったら、窓の外は雪が積もっていた。
真白な雪に気が、遠くなりそうになる。
逝く時は一緒
「半兵衛……加減はどうだ」
枕元から声が降りてきて、半兵衛はうっすらとまぶたを開いた。官兵衛のいつもの無表情がそこにある。
「加減……ね。あんまり上々とはいかないかな」
官兵衛の手を借りて身体を起こすと、障子の向こうから漂う冷気に気がついた。
「雪、降ってるんだ」
「昨夜から降り始めた。初雪だ」
そう言って、官兵衛がわずかに障子を開いた。
庭に降り積もる雪があまりに白くて、一瞬あの世の風景かと戸惑ってしまう。
桜の木も、蓮の池も今はすっかり雪化粧に覆われ、咲き乱れた頃の面影は無い。あの桜を見ることはもう無いのだろう。そう思うと、妙な寂寥感が身を襲った。
「……は?」
「茶を淹れさせにやっている。直に来よう」
「あの子も病状が良くないって聞いたよ。原因のわからない奇病に冒されてるって」
官兵衛はわずかに片眉を上げた。
病床にいても肝心な情報だけは掴んでいる。さすが知らぬ顔の半兵衛といったところか。
「ならば噂も知っていよう。何者かがの食事に毒を盛っていると……」
官兵衛はじっと半兵衛の顔を見つめた。
その視線から逃れるように、半兵衛は顔を窓の外にやる。
深深と降り積もる雪が、何もかも埋め尽くしていく。春を謳歌した桜も、夏を楽しむ蓮も、秋を彩る紅葉も、何もかも冬の凍てつく雪花の下に埋もれていく。
「噂は噂だよ、官兵衛殿。それに……本当に毒なんか入ってたら、が気づかないはずないじゃん」
千里の彼方も見透かすといわれる常世の目。その力を宿したには、いかなく謀略も通じるはずが無い。
「……そうだ。気づかないはずなどない。だが、気づいた上でそれを喰らっていたらどうする?」
いつの間にか官兵衛の視線は、罪を咎めるようなものへと変わって行った。暗く重い、怒り。滅多に感情を表すことのない官兵衛が、毒々しいほどまでに黒い感情を立ち上らせている。
「そんな事、寝てばっかりの俺には分からないよ。それに……知っている上で毒を飲んでいるなら、止め様が無い」
「卿が止めれば聞くと思うが?」
「聞くかな? はけっこう頑固だし、これと決めたらてこでも動かないからなぁ」
そういう所、官兵衛殿に似てると思うよ?
そう言って、わずかに笑う。
官兵衛は強く拳を握り締めた。
「官兵衛様、半兵衛様、お茶が入りました」
二人の剣呑な空気を破るように、がそっと襖を開けた。盆に入った湯飲みが三つ。それぞれ半兵衛と官兵衛の元に置く。
痩せたな……
茶を置くの白い手を見つつ、半兵衛はぼんやりと思った。
もともと線の薄い病弱な娘だった。今はまるで幽鬼のように、存在感さえも希薄になっているように思う。
このままでは……きっと春までもたないだろう。
「……湯飲みが欠けている」
茶を口にしかけて、官兵衛がふと手を止めた。
「えっ、あ、失礼しました! すぐに代わりのお茶を…」
「良い」
言うが早いか官兵衛は盆の上に乗った、の湯飲みを手にしていた。そのまま口に運びかけて――――
「いけませんっ!」
が力いっぱいそれを跳ね除けた。
飛び上がった茶が盛大に障子にかかり、湯飲みは畳の上を転がった。幸い熱湯を浴びた者はいなかったが、それよりも気まずい空気があたりを覆った。
「あの……拭くもの! 拭くものを取って参ります」
が思いついたように立ち上がり、そのまま炊事場へと消えていった。障子は開け放たれたまま、冷たい冷気が部屋の中へ流れ込んでくる。
「意地悪だね……官兵衛殿は」
官兵衛は答えなかった。
じっと茶のかかった障子を見やる。
薄緑の透けた障子紙の淵が、じわじわと青紫に変わっていく。
強い毒ではない。だが、こんなものを毎日飲み続ければ、やがては身体が朽ち、命までも危うくなるだろう。
「本当は俺のこと、疑ってたんでしょ? だからあんな真似をして、を試したんだ」
「……卿は知っていたのか」
「まあね。確信はなかったけど、なんとなく。俺が死んだら……きっとこの子も死んじゃうんだろうなって」
そして、何もかも知った上で、知らぬ振りをし続けたのだ。
少しずつ蝕まれる己の体と、少しずつ朽ちていくの体と。
「ねえ、官兵衛殿……お願いだから、あの子を死なせてあげてよ」
「……快諾できんな」
「だろうね。……でも、俺はあの子をもらっていくよ? 他の誰にも、渡したくないから……」
だから頂戴?
そう言って笑う姿は、とても穏やかで。
綺麗な顔をした死神のようだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息が上がるのは走って来たばかりではないだろう。
体を蝕む毒が徐々に広がって、生命力を搾り取られていく。
空咳をすると、再び手の平に鮮血が広がった。
炊事場の格子窓から、粉雪が入り込んできて、血だまりの中に溶ける。
官兵衛は気づいていたのだろうか。
が半兵衛の病状にあわせ、少しずつ毒を飲んでいた事を。
怒らせたに違いない。せっかく救われた命を、己の手で絶つなんて。この命は泰平の世のために使うと誓ったのに、己の望みのために潰えさせようとしているなんて。
でも、それでも……。共にありたいと願ったから。
「ごめ……なさい……」
両眼から透明な雫が、静かに零れ落ちた。
end
疑いつつ鎌をかける官兵衛と、自ら命を絶とうとするヒロイン。
でも一番自分勝手で酷いのは、それを知っていて止めない半兵衛という話。