盲目のプロセルピナ14
むかーしむかし、あるところに一人の女神様がいました。
優しく愛らしい女神様のことを、誰もが愛していました。女神様はたくさんの人に慕われ、とても幸せな生活を送っていました。
しかし、そんな女神様にも一つだけ胸を痛める心配事がありました。
優しく誠実だった夫がいつの日からか、地上の支配を目論む野心家へと変わってしまったのです。度々、軍を挙げては地上に侵攻し、女神様の姉上と戦を繰り広げていたのです。
女神様は嘆きました。
夫にも姉上にも争ってほしくなどありませんでした。
ですが、女神様は無力で、争いを止める術も戦う力も持っておらず、ただ冥界の奥深い場所でしくしくと泣く事しか出来なかったのです。
そんな女神様の元へ、ある日いっぴきの悪魔が現れます。
悪魔は嘆き悲しむ女神様にこう言いました。
「ご機嫌麗しゅう、女神様。誰からも愛され祝福された貴方が、なぜそんなに悲しそうな顔をしているのですが?」
女神様は悪魔に理由を話します。夫と姉上が争う事が悲しい、何もできない自分がもどかしい、と。
すると悪魔は不思議そうな顔でこう言います。
「聖戦を止めたければそうすればいい。世界でただ一人、貴方様にはそれが出来るのだから」
「私に……?」
「そうです、麗しの女神様。冥王は人間の少年を依り代に地上に現れます。だったら貴方が先回りして、その少年が依り代にされないよう守ればいい。そうすれば聖戦は起こりませんよ」
「でも……」
戸惑う女神様に、悪魔は励ますように頷きました。
「大丈夫。俺も協力します。依り代の少年の居所はわかっているんです」
「そうすれば……誰も傷つかないで済みますか?」
「もちろん! あなたにはそれが出来る。……いいや、あなたにしか出来ないのです!」
悪魔に励まされ、女神様は聖戦を止めることを決意しました。
悪魔の助力を受け少年を見つけると、魂の一部を切り離し人間へと転生したのです。いつでも少年を守れるように、彼と同じ街に住む人間の少女へと。
「そん、な……」
は頭を抱え、その場に膝を付いた。
「途中まではうまく行ったのに。残念だったね、女神様」
杳馬の言葉を否定するように、は知らない、と繰り返した。だが、想いに反して胸の中の罪悪感は、まるで泥水を吸った布のようにどんどん重くなっていく。
震えるの姿を、杳馬は嘲るように目を細めて見据える。
「そりゃあ、こんな事になるなんて思わなかったよねぇ。まさか、聖戦を止めに入ったつもりが、聖戦を引き起こしちゃうなんて! とんだはた迷惑な女神様だ」
「っ!」
杳馬は腰を下ろしてと視線の高さを合わせると、にかっと笑顔を向けた。
嘲笑よりも残酷な笑みを浮かべて、
「ぜーんぶ君のせい。せっかくアテナが守ろうとしていたのに。人間の生を捨てて、覚悟を決めて聖域へ行ったのに。それをぜーんぶ君が、台無しにしちゃった」
優しげな声音で続ける。
「これが君の罪」
「違っ……」
「これが女神の犯した大罪」
「わた、しは……」
大粒の涙を零すの空色の瞳を覗き込み、杳馬はにっこりと微笑んだ。
「貴方はいつも見ない振り」
まるで唄うように。
「貴方はいつも知らない振り」
朗々と詩を吟ずるように紡ぎだす。
「純潔にして永遠の乙女。誰からも愛されて、誰からも守られて……目隠しをされた愚かな女神。“知らない”ということ。それが貴方の――――一番の罪だよ」
「いやあああっ!!」
悲鳴と共に、の身体は――――肉体だと思っていた人の姿をしたそれは、まるでガラスを砕くように粉々に四散した。
ガラスの中から浮かび上がった光の玉が、杳馬の前から逃げ出すように加速して、背後の鏡の中へと飛び込む。
「あらら、また逃げちゃうのね」
杳馬は呟きつつ、だが楽しげな笑みを浮かべて光の消えた鏡を覗き込む。
そこには雄山羊のような黒い角の映えた一匹の悪魔の姿がある。
くくっと喉を震わせるように笑みを搾り出すと、杳馬は鏡の中へと声をかける。
「残念だけど、どこにも逃げ場はないのよ。君は大切なこの舞台のヒロインなんだから。まだまだ……くるくる回って、楽しい劇を見せてちょうだいよ」
end
すべて悪魔の手の上のこと。