ぼんやりとした薄暗闇の中に人影が揺れる。
「アローン……?」
恐る恐る影に声をかける。ハーデス城の最奥に隔離されたこの部屋は、限られた者しか近づけない。がこの部屋で出会ったのはハーデスとして目覚めてしまったアローンと、彼の側近であるパンドラだけだ。
だが、暗闇の中で荒い呼吸を繰り返す人影は、そのどちらの気配が違っていた。
は恐怖を覚えながら、暗闇の中で目を凝らす。
影は荒い息を繰り返しながら、ゆっくりとベッド際へと足を進めた。
そして、
「人間の小娘ごときが……我らの女王を騙るか……」
暗闇から伸びた手がの首を掴み、そのまま身体ごと後方へと引きずり倒した。
「!?」
混乱の中、の双眸に移ったのは
盲目のプロセルピナ07
コツリ、と。
ヒュプノスの手にした白のポーンが、黒のクイーンの斜め前に置かれた。
「まさかお前が私の策に賛同するとはな。小細工は好かんと一蹴されるかと思ったぞ」
カツン、と白のポーンを刎ね飛ばし、タナトスの手にした黒のクイーンが前に出る。
「性に合うとは思わん。だが、他に手が思い浮かばなかっただけよ」
「今のようにか?」
クイーンの前にルークが現れる。一掃してくれるとばかりにタナトスはクイーンを手に取り、ふとルークの後方にビショップが控えている事に気づいた。
飛び込めば痛手を負う。ならば後退すべきかと後ろを見やれば、その先にもまるでこの手を読んでいたかのようにナイトが構えている。
「強力な力を持つクイーンは、盤上を自在に飛ぶ。天界へも、地上へも、冥界へも。だが、それ故に自軍から離れた場所で囲まれてしまえば、助けはなかなか届かない」
まるでペルセフォネ自身を指しているような口ぶりだ。
「慢心は自滅を生む。無理にクイーンを助けようとすれば軍そのものを壊す。時にはクイーンを見限る非情さも必要だろう」
ヒュプノスは淡々と続ける。
この遊戯はキングが勝てば良いのだ――――
だが、タナトスはふんと詰まらなそうに鼻を鳴らすと、後方のキングを動かしルークとクイーンの道を塞いだ。
「チェックメイト」
トンッと、ヒュプノスのルークがキングを叩く。だがタナトスは手をどけず、キングが倒されまいと力を込めた。タナトスの子供のような態度に、ヒュプノスは忍び笑いを零す。
「キングがルークに負けるなど有り得ぬと? そう言いたいのか、タナトスよ」
「そうだ。それともお前は、我らがキングがクイーンの危機を看過するとでも? たかだかルークごとき、あの方の前では虫けらも等しい」
タナトスはヒュプノスの手のうちから駒を奪うと、握りつぶし粉々にしてしまった。
そんな理屈では遊戯になどならない。だが、稚拙な負け惜しみに悔しさも沸かなかった。ヒュプノスもまた同じ気持ちだったのだ。キングが格下のルークに負けるなど、矛盾している。そして真に力を持つものならば、クイーンを犠牲にするか、自分が犠牲になるかなどと言う下らぬ二択も起こり得ない。
少なくとも二人が主と慕うハーデスならば、そんな愚かな選択肢など有り得ないだろう。
「……そろそろか」
夜空に浮かぶ月を仰ぎ、タナトスが呟く。
ヒュプノスの画策した小細工の最初の歯車が、今頃動き出しているはずだ。
「案ずるな。あの方の影には
「流石の周到さだな。そうでなければこんな策は思いつかんか?」
「そう責めるな」
ヒュプノスは静かな笑みを浮かべたまま、駒を元の場所へと戻していく。中央の四角には、白と黒のキングとクイーンだけが相対するように残された。
「元よりあの方のお力添え無くとも、この聖戦われ等に敗北はない」
ヒュプノスはくるくると指先で黒のキングを回すと、その先でコンッと白のキングとクイーンを倒した。
聖戦を収めるのにクイーンの力は要らない。そもそもハーデスと自分たち二人の力があれば、
「だが、このままではあの方の魂は永遠に解放されぬ。あの方が目覚めなければ、お前の胸の花も枯れたままであろうな」
ヒュプノスはくるくると駒を回し、その先をタナトスに向けた。黒い衣の胸には枯れた花が一輪刺さっている。
神話の時代ペルセフォネより賜り、以来枯れる事がなかった花が聖戦の始まりと共に生気を失ったのだ。
「ああ」
タナトスは胸の花を握り締め、同じように枯れ果てたヒュプノスの花を見やった。
どんなに美しい色でも、どんな大輪の花でも、冥界に持ち込めばすぐさま枯れてしまう。ペルセフォネの女神の力が必要なのだ。
あの色を再びこの手にしたい。
そのためならば、どんな事でもしようと双子神は思った。たとえそれがペルセフォネ自身を傷つける、不敬な行いであろうと。
「案ぜずとも、此度の一件はすべてパンドラの責任だ。我らは何も与り知らぬ。今頃、人間の……という少女がどうなっていようと、我らは何も関知しない」
ヒュプノスは笑みを浮かべたまま、黒のキングで次々に白の駒を倒していった。
「ああ、そうだな」
タナトスは呟くと、自陣に置かれた黒のルークの一つを、隣りのビショップの角で倒した。
end
双子神の謀。