盲目のプロセルピナ06
神話の時代においても、ペルセフォネが冥界の女王となるまでに多くの紆余曲折があった。
ペルセフォネ自身が受け入れがたく感じていたのと同じように、ハーデスに従う臣下たちも同様の戸惑いを覚えていた。
「あのような小娘が冥界の女王だと」
タナトスもそのうちの一人であり、戸惑いよりも苛立ちに似た感情を抱いていた。大神ゼウスと大地の女神デメテルの娘、血筋だけ見れば申し分ないが、その実体はあまりにか細く冥界を統べるには力不足に見える。
一年の三分の一しか冥界に留まらないのも気に食わぬし、花を咲かせるくらいの権能しか持たないのも呆れる。だと言うのに、時に亡者の減刑や赦免をハーデスに進言し、厳格な冥界の裁判に口を挟むのだ。
オルフェウスの例などまさしくその典型である。妻を追って冥界にやって来たオルフェウスに心を動かされ、ハーデスに嘆願しエウリュディケの魂を返してしまったのである。結局はオルフェウスが約束を破り、エウリュディケが地上に戻る事はなかったが、それでも冥界では前代未聞の出来事である。
ペルセフォネがハーデスの隣にいる以上、これからも絶対である死が脅かされ続けるのかと思うと頭が痛くなった。
「お前が嫉妬するなど珍しい」
影より現れた双子の弟を、タナトスは睨み付けるように見た。
「嫉妬ではない。死は誰に対しても公平であり、厳格なものであるべきだと思っているだけだ」
「なるほど、死を司る神としての言葉か。だが、私はオルフェウスのような情念は嫌いではないぞ。人の身でありながら冥界に降り、ペルセフォネ様のお心を動かした竪琴の音、見事だと言おう」
「ふん。お前は気楽で良いな、ヒュプノス。だが、いずれあの方がお前の権能である眠りにまで、口を挟んで来たらどうするのだ? 巷では死と再生の女神などと祀り上げられ始めている。お前からその権能を奪ってしまうかもしれないのだぞ」
「何とも。ペルセフォネ様が新たな力を得たところで、私の力が失われるわけではない。むしろ冥界の女王として、権能を広められる事は喜ばしい事だと思うが?」
「ふん。確かに花を咲かせる力など、この冥界では何の役にもたたんからな」
苛立たしげに呟いたタナトスに、ヒュプノスは意味深な笑みを向けた。
「ふっ、そう言うな。たかが花と馬鹿にするものでもないぞ?」
訝るタナトスを連れ、ヒュプノスは冥界の奥深くと向かった。英雄の魂が眠るエリシオン、そこは双子神の神殿もそびえる悠久の浄土である。
「なっ、これは……!?」
誰にも干渉され得ぬはずのエリシオンを前に、タナトスは唖然として立ち尽くした。真っ白な花しか咲かないはずの無限の野に、色鮮やかな花々が咲き誇っていたのだ。
どこからともなく、ニンフ達の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。美しい竪琴の音色と歌声、そして明るい笑い声の中心には冥界の女王となったばかりのペルセフォネの姿があった。
「私はニンフ達がこれほど美しい声で歌うのを初めて聞いた」
物悲しく静謐な空気に包まれていたエリシオンは、今や神に愛された者が暮らすに相応しい楽園と化していた。
誰にも変え得ぬエリシオンを変えてしまった、小娘と侮ったペルセフォネ自身がである。その力はもはや疑う余地がない。
「お前も死の神であるならば、死が厳しいものばかりでないと知っていよう」
「だが……」
「お前がどう思おうと、あの方は我らが主となられるお方だ」
ヒュプノスはそう告げると、ゆっくりとその場に片膝をついた。二人の存在に気が付いたペルセフォネが駆け寄ってくる。ヒュプノスに服の裾を引かれ、しぶしぶとタナトスも膝を折った。
「ヒュプノス、タナトス!」
まるで少女のようなあどけなさだ。子供のようなペルセフォネを前にすると、本当にこの小娘が冥界の女王に相応しいのかとやはり疑念がこみ上げてくる。
「見て、冥界にもお花が咲くのよ」
ペルセフォネはあどけない笑みを浮かべ、二人の前に花を差し出した。
瑞々しい生気に満ちたそれは、今まで咲いていた色彩を持たない白い花とは比べ物にならない。
「白い花も素敵だけれど、それだけじゃ寂しいもの。もっと綺麗な色でこのエリシオンを飾りたいの。死んでしまった人達もその方がきっと喜ぶから」
ペルセフォネはにっこりと笑うと、ヒュプノスとタナトスの髪にそっと触れた。
「綺麗な色。私はあなた達の金色も銀色も大好き」
「ペルセフォネ様?」
「でも、あなた達は白と黒しか纏おうとしないから。寂しいと思っていたの。だからこれをあげる」
そして微笑むと、ヒュプノスの髪に紅い花を、タナトスの髪に蒼い花を挿した。
金に差す紅と、銀に映える蒼がアクセントになって二人の色を更に際立たせる。ペルセフォネはぽんと手を叩くと、似合う似合うと子供のように喜んだ。
「……これではまるで女のようです」
タナトスはむっと眉根をひそめると、髪に挿した花をペルセフォネの目の前で取ってしまった。タナトスが無礼を働かないかと案じていたヒュプノスだが、タナトスは手にした花を胸に挿すと、
「ペルセフォネ様御自ら、見事な花を賜り恐悦至極にございます」
深々とこうべを垂れたのだった。
「ですが、子供のように走り回るのは宜しくありません」
すくっと立ち上がるとペルセフォネを見下ろし、彼女の髪に挿した花が変な方向に傾いているのを直す。
「あなたは冥界の女王なのです。転んで怪我などされれば、我が主も悲しまれる事でしょう。自覚ある行動をとっていただかなければ」
きょとんと目を丸めていたペルセフォネだったが、すぐに笑顔に戻りくすくすと笑みをこぼした。
「ふふっ、タナトスったらまるで母様のような事を言うのね」
「なっ……!?」
「でも、わかりました。これからは女王に相応しい行動を心掛ける事にしましょう。まだ分からない事だらけで、うまく出来ないかもしれないけど……これからも、仲良くして下さいね?」
陽光のような柔らかな笑顔を向けられ、二人は胸の奥に何か暖かい物が流れ込んでくるのを感じた。冷たく寂しい冥界では、久しく感じなかった光の暖かさだ。
「さすがハーデス様が“ペルセフォネ”(目もくらむ光)の名を与えられただけある。すっかりお前の心を溶かしてしまったようだな」
ペルセフォネの去って行く背を眺めながら、ヒュプノスがからかうような笑みを向ける。タナトスは煩いとそれを一蹴すると、胸に挿した花弁に触れた。
鮮やかな蒼は未だ地に根付いているかのように、強い芳香を放っている。白と黒、そして己の持つ銀の他に初めて手にした色だった。
「ハーデス様の選ばれた方ならば、俺にとって主も同じ。お仕えするのは構わぬが……どうにも純粋ゆえに危うい所がおありだな。これからしっかりと女王としての自覚を持っていただかなければ」
ヒュプノスは頷きながらも、クックッと喉の奥から笑みを零す。まるで母親の物言いだとでも言いたいのだろう。
タナトスはばつの悪そうな顔をしながら、
「お前……そうしていると、まるで女のようだぞ」
ヒュプノスの顔を睨みつけたのだった。
end
神話時代の物語。
べつにタナトスをオカンポジションにしたかったわけではないのですが、
なんとなくこんな感じになってしまいました……
かじったくらいのギリシャ神話知識ですが、
白い花しか咲かないエリシオンに色鮮やかな花が咲くようになったのは、
ペルセフォネが冥府に嫁いだからなんだとか。