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盲目のプロセルピナ05





「ペルセフォネ様がお目覚めにならないだと?」
 パンドラは眉根をひそめ、地面に膝をついたチャシャを振り返り見た。
「そーなんですよ。ずっとめそめそ泣いてるだけで、あれじゃまるでただの人間の女の子みたいです。もしかしてあの双子神、転生先の少女を間違えたんじゃ、」
「あの方々に限ってそのような失態、有り得ぬ」
 チェシャの口にした言葉を、パンドラは厳しい語調で遮った。その厳しさはパンドラ自身の不安の表れであったかもしれない。
 ハーデス城へと連れて来られてからと言うもの、は部屋の中で泣いてばかりいる。現代の恋人であったはずのアローンさえ拒み、何も口にせず、誰とも会おうとしない。ただただ己の身に降りかかった過酷な運命を憂い、泣いてばかりいるのだ。
「でも、パンドラ様ぁ。覚醒の兆しも見えないし、このままって言うのも」
「わかっている」
 チャシャの懸念はもっともだ。冥闘士スペクターの中には、の存在そのものを疑う者さえ居る。本当にが冥界の女王、ペルセフォネの現世の姿なのか。ペルセフォネの降臨を待ち焦がれていたからこそ、覚醒しないへの疑心は募るばかりだ。
 何か手を打たなければならない。だが、どうすれば女神の覚醒を助けられるかなど、皆目検討がつかない。
「ハーデス様に進言してみてはどうでしょう」
 困惑ぎみのチェシャの言葉に、パンドラは首を横に振った。実のところ、すでにハーデスにはを攫って来てすぐに様子がおかしいと話していたのだ。
 アローンの時のようにすぐに目覚めるのではなく、いまだ人間の意識を強く保っているに、パンドラ自身疑念を感じないではなかったのだ。冥王軍を支える女神として、ペルセフォネの覚醒を期待していただけ、落胆は大きかった。
 だが、ハーデスは放っておけとパンドラの言葉を一蹴した。
「あれは神代の時代でも、最初は泣いてばかりの女だった。涙が枯れるまで、好きに泣かせれば良い」
「しかし、ハーデス様」
「くどい。ペルセフォネへの過分な干渉は余が許さぬ」
 身の回りの世話だけをしていろと、そう言い放ったも同じだった。
 ハーデスが殊更、ペルセフォネを大切にしている事は理解している。神話の時代から、略奪してきた女神を丁重に扱い、誠実な愛情を注ぎ続けた。今もには直接会おうとせず、が眠った時にだけ部屋を訪れ、そっと花を置いて去っていくのだ。誰よりも妻との再会を焦がれているはずなのに、そんな素振りを一切見せようとしない。
 そのいじらしさに胸が痛くなる。ハーデスのためにも、早くペルセフォネの覚醒を促したい反面、余計な手出しは禁じられている。
「くっ」
 自分は何も出来ないのか。敬愛するハーデスが悲しむ姿を、ずっと見続けなければならないのか。己の無力さに苛立ちが募る。
 とその時、巨大な小宇宙コスモを感じ取り、チェシャがフゥッと威嚇の声を上げた。
「何も出来ずもどかしいか、パンドラよ」
 何もない空間に影が浮かび上がり実体を得る。
「ヒュプノス様! タナトス様!」
 パンドラは驚きつつも即座に膝を折った。双子神に自身の不安を聞かれてしまったのは失態である。神話の時代より冥王を助ける双子神。だが、どこか得体の知れなさがあり、パンドラは彼らを信用しきれていなかった。
「お前ごときが神であるあの方の心中を測ろうとは小賢しい」
 タナトスの声は威圧的だった。
「まあ、そう言うな、タナトスよ。いじらしいではないか。我等が主のために胸を痛ませる心その姿、私は嫌いではないぞ」
 対してヒュプノスの声音は柔らかい。だがそれは決して慈愛などではない。単に神よりも卑小な存在である人間を、興味深く観察しているだけなのだ。
 パンドラは唇をかみ締めた。
「お前の感じる不安、分からぬでもない。我等も一刻でも早く女王の覚醒を願っている。だが、あの方の覚醒にはまだ足りぬ物がある」
「足りぬもの……?」
 ヒュプノスに代わり、タナトスがククッと喉の奥で笑う。
「分からぬか、パンドラ? あの方がいかに冥界の女王となられたのか、思い出すが良い」
 タナトスの嘲るような視線を甘んじて受けながら、パンドラは神話で起きた出来事を脳裏に思い浮かべた。
 地上より連れ去られたコレーが、如何に冥界の女王となったか。
 パンドラはあっ、と声を上げる。
「しかし……それは……」
 意味深な双子神の笑みを前に、パンドラはそれ以上の言葉を失った。
 パンドラの予想が正しければ、それを成し得るのは困難である。ましてや、自分たちがそれを強要するなどまったくの不遜だ。
「だが、試してみる価値はあろう。万に一つ……あの少女が偽者であったとしたら、事だからな」
 パンドラは不安の色に沈んだ瞳で、双子神を見つめた。
「お前独りでは荷が重かろう。我等が力を貸す。お前はそこで見ているが良い」
 クククッと笑みを浮かべ、双子神の姿は空気の中に霧散した。
 苛立ちと悔しさに頭がどうにかなってしまいそうだった。ペルセフォネの覚醒はパンドラの悲願である。ハーデスのためにも、一刻も早く女神の意識を取り戻してもらいたい。
 だが、そのために心を踏みにじる様な真似をするなど、いかに心を闇色に染めたパンドラでも出来なかった。否、冥王ハーデスを主と慕い、ペルセフォネを女王と認めるからこそ、そのような真似は許せるはずがない。
「あ、あのぅ、パンドラ様。双子神の言っていた、それって……」
 恐る恐る尋ねたチェシャを、パンドラはきっと睨み付けた。フギャッと猫のような声をあげ、チェシャは物陰に隠れる。
 だが、パンドラは消えてしまった双子神の影を睥睨するように、唇を震わせ呟いた。
「純潔の喪失と……復活……」
 物陰に隠れたチェシャがえぇ!? っと声を上げる。
「そ、それってつまり……」
 さすがのチェシャも、あまりの不遜な内容にその後に続く言葉を紡げない。
 こんな事が許されるのか。神を謀り、神の神聖を侵す事が。
 だが、それを成し得ねば女神は目覚めない。
 パンドラは途方もない苦悩に苛まれ、強く唇をかみ締めた。






end


死様、初登場。
人間に寛容なヒュプノスと違い、
タナトスは味方でも見下しまくってると思う。
ところで、今の状態のアローンの事をアローンと書くべきか、
ハーデスと書くべきかいつも悩むのですが、
今回はパンドラ視点なのでハーデスになってます。