Text

 春の訪れた大地のように、豊かな亜麻色の髪に色鮮やかな花弁が揺れる。
 髪飾りは買えないけれど、きっと君にはどんな宝石よりも花が似合うから――――
 恥ずかしそうに微笑んで、結わいた髪にそっとアイリスの花を挿した。
「受け取って。僕の気持ち」
 アイリスも花弁が示すその意味を理解して、は恥ずかしそうに、だが幸せそうに笑った。
「私も」
 桜色に染まった顔でにっこりと微笑み、同じアイリスの花をアローンに手向けた。
「私もあなたを愛しています――――




盲目のプロセルピナ





 いつの間に寝入ってしまったのだろう。
 目が覚めると見慣れた薄暗い部屋の天井がを迎えた。
 豪奢なシャンデリアに光はなく、大粒の雫にカットされたガラスが重く冷たい輝きをちらつかせる。
 この天井を幾度、落胆と共に見上げただろう――――
 まるで王宮の一室のような豪華なそれは、本来は喜びを与えるはずのものなのに、この光景には悲しみしか存在しない。
 羽毛を敷き詰めたようなふかふかのベッドも、繊細な彫刻を施されたドレッサーも、ベルベットに覆われたソファも、絵画も、ドレスも、宝石箱も、何一つ喜びを生み出さない。
 この部屋には色彩が欠けている。
 赤も青も緑も黄色も偽者、すべて色あせてしまった。
 この部屋の中で唯一色彩を保っているのは、の亜麻色の髪と空色の瞳だけ。他はすべて死に絶え、冥界の色に染まってしまったのだ。冥王ハーデスの統べる死者の色に。
 と、壁にかかった鏡に目をやると、自分の髪にアイリスの花が挿してあるのに気づいた。
 あの人が来たんだ――――
 自分の眠っている間にこの部屋を訪れ、の髪にアイリスの花を挿していったのだ。髪から抜こうと指を伸ばし、柔らかな花弁に触れ、手を止めた。
「なんで……」
 なんで、こんな事をするんだろう。
 優しかった彼はもういない。が大好きだったアローンは、人間だったアローンは消えてしまったのだ。
 だけど――――彼が本当に冥王ハーデスなら、どうしてこんな事をするのだろう。
 思い通りにならないものなど、力まかせにねじ伏せてしまえばいいのに、彼はそうしない。この固く閉ざされた部屋に閉じ込め、が眠ったその時だけ、この部屋を訪れる。そして、必ずアイリスの花を置いていく――――とアローンの思い出の花を。
 人間だった頃の記憶など、ハーデスにとっては下らない、不純物でしかないはずだ。
 なのに、何度も何度も、彼はアイリスに添えてあの時と同じ言葉をに届けるのだ。
 “あなたを愛しています”――――
 アテナを亡き者にし、この星を滅せようとしている恐ろしい人であるはずなのに、は彼を憎みきれず戸惑いを覚える。故郷は彼の率いる冥王軍に滅ぼされた。大切な人もたくさん死んでしまった。いくら恨んでも足りないくらい憎いはずなのに――――
「どうして……」
「その答えはすでに貴方様の御心の中にあるかと」
 突如響いた女性の声に、は驚いて顔をあげる。部屋の入り口に銀の盆を手にした黒髪の女性が立っていた。冥王の片腕、パンドラである。
 は声の正体を認め、顔を強張らせる。その反応にパンドラは心底戸惑っているようだった。
 銀の盆をテーブルの上に乗せ、
「どうか一口だけでもお召し上がりください」
 心配そうにいつもと同じ言葉を繰り返す。
 だが、は首を横に振ると、要りません、とはっきりとそれを拒絶した。
「下げてください」
 顔も見ずに告げられた言葉に、パンドラは戸惑いながらも、ゆっくりと盆を持ち上げた。
 ここでは珍しい瑞々しい果実が、一口も食される事もなく捨てられてしまうことに心が痛まないでもなかったが、それを口にしては二度と地上へ戻る事が出来なくなってしまう。
「それでは……、失礼いたします。ペルセフォネ様」
 パンドラの辞去の挨拶にも振り向かず、は顔を強張らせたまま、じっと膝の上に組みそろえた自分の手を見つめていた。
 パタンと扉が閉じて静寂が訪れてから、
「……私は、そんな名前じゃない」
 静かに、そっと呟くのだった。




end


またまた勢いで始めてしまいましたLC長編。
ネタバレ、捏造自重ナシ! どうぞご注意を。
神話知識はネットでかじったくらいなので、どうぞ鵜呑みになさらないでください。
それとアイリスの花言葉、正確には「あなたを大切にします」とかなんですが、
この話にはそれを「愛しています」に訳したほうがいいかなぁと思い
意訳しております。