声のした先には、ステッキをついた一人の東洋人の老紳士が立っていた。背筋をぴんと伸ばし頭のボボーラーハットを手に取ると、目尻に皺を刻んで私に向けて会釈をした。
私はその人こそが手紙の主だと確信した。
100.再会
「そうでしたか、お孫さんでしたか」
老紳士は私の顔 ――――
彼にとっては若すぎるであろう顔を、老いた象のような優しい目で見た。
「若すぎるとは思っていましたが……。いやはや歳は取りたくないものですな」
不覚を詫びる彼に対し、私はひたすら恐縮していた。
勘違いしてしまったのも無理はない。この件で元々彼と連絡を取っていたのは祖父だった。何年も何十年も手紙でやりとりをして来た人間が、ある日を堺に入れ替わっていただなんて言われてもにわかには信じがたいだろう。ただでさえ”彼ら”に仕える人間は、時の歩みに鈍感になるのだ。
「祖父は……貴方とお会い出来る日を楽しみにしていました。もし祖父が健在ならば、誰よりも貴方との再会を喜んだでしょう」
「そうですか……」
彼は呟いて、そっと老眼鏡を外すと皺が幾重にも刻まれた目尻を指先で拭った。歳を取ると涙もろくていけませんな、と苦笑を浮かべる。その仕草がどこか祖父に似ていて、私は彼に祖父の面影を重ねた。
「ではこの手紙は貴方が届けてくださるのですか?」
彼は鞄から古い桐の箱を取り出すと、私の方へそれを押し出した。開けるようにと視線で促す。
箱の中には紙焼けした古い手紙が何通も詰められていた。日付はちょうど二次大戦の最中。一番新しい日付でも五十年以上も昔のものばかりだった。
「宛先は……ないのですね」
白い封筒には宛名も差出人の名前もなかった。だがしっかりと封を押され、名を書けばすぐに郵送できる形になっている。
「ええ。あの方は……出すつもりがないと仰っていましたので」
中には律儀に切手まで貼られたものもあるのに、それでも出すつもりはなかったのだろうか。私の疑問に答えるように彼は、あの方は……と語る。
「ああ見えて頑固で融通が効かないのです。一度自分でこうだと決めると中々それを変える事が出来ないで。ほんと見た目は素直で純朴そうなお嬢さんなんですが……と、こんな事いったら叱られてしまいますな」
彼は肩を揺すって笑った。
言葉にはしなかったが、彼と同じ感想を私も抱いていた。いくつかの会議で挨拶をかわした事があるが、大和撫子という女性はああいう人を言うのだと、勝手に想像していた。
「いえ……私どもの主人もスマートな英国紳士然としていますが、あれでなかなか意固地で口も悪く……」
「おや? では似た者同士ですな」
彼のジョークに思わず私も口を滑らせてしまった。だがこうして二人で笑い合っていると、まるで私が祖父になったかのように、この人と長い間交流を重ねていたような錯覚に陥る。
「どうか私に代わってその手紙を渡して頂けないでしょうか? あの方はすっかり忘れて、きっと私が死んだら誰も覚えている者は居なくなってしまうでしょう。それではあまりに悲しすぎる」
「そうですね……」
祖父が死ぬ前に残した言葉だ。
国は人よりも遥かに多くのものを抱え、多くのものを見送る。だから自分のことは簡単に忘れてしまうのだ。少しでも愛する国民と、人間の積み上げた歴史を記憶に残そうとするから、代わりに自分の事は簡単に失ってしまうのだ。
だから彼らの代わりに、人が覚えていなくてはならない。あの人がその瞬間、その時、何を思い、どんな顔をし、どんな言葉を語ったのか。私達が覚えて、紡いでいかなければならない。
それが国に愛され、育まれた、国民の恩返しだ、と。
「良かった。これでようやく肩の荷が下りた。これでいつお迎えが来ても悔いはありません」
老紳士は嬉しそうに微笑むと、早々に辞去の挨拶を口にした。それを呼び止め、私はカバンからオルゴールの箱を取り出し、彼に差し出す。
「それは?」
「貴方からのお届け物と同じものです」
細工の施されたオルゴールには、古いイギリス王家の紋章が刻まれている。彼はそっと紋章に触れ、慈しむように指先でなぞった。
「祖父からの言伝です。どうかこれを……貴方のご主人にお渡しください。あの人はきっと忘れてしまったでしょうが……この箱の中の想いまで、なかったことになってしまうのはあんまりです」
彼はもう一度眼鏡を外し、今度は背広の袖で涙を拭った。私も同じように祖父が流すはずだった涙を袖先で受け止めた。
「本当に……こんなに貯めこむくらいなら、言葉などもっと容易いでしょうに……」
「ええ、本当に。でもそれを口に出せなかったからこそ、この空虚であるはずの箱には重みがあるのでしょうね」
まったく、と互いに頷きあって、今度こそ彼は私に別れの挨拶を告げた。想いの詰まったオルゴールを大切に抱え、これではまだ死ねませんね、などとジョークを口にしながら。
彼がステッキを手に携え出口に向いた時、私は彼が握るそれが英国製のものだと気づいた。長年使い込まれいい色に馴染んだそれに、妙な温かみを感じる。
すると彼はにこりと微笑んで、
「あの方の趣味ですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、なにせ
end
孫ハワードくんと元海軍の誰かの捏造話。
この後、互いの主人が大いに慌てるといい。
「ちょ、おま、ハワード! なんで渡したんだよ、俺だって忘れてたのにばかあああ!」
「祖父の末期の頼みでしたので(しれっ」