そんな事をしたって、人の気持ちなんて、分かるはずがない。
092.知る訳がない
その日は大分酔っていて、嫌な事が続いたからお酒に逃げてしまいたいという気持ちもあったのかもしれない。
下戸というほどではないが、私はお酒をたしなみはすれど、欧米の方のように浴びるほど飲める質ではない。その日、記憶があるのは最初の二杯まで。三杯目からはどこか曖昧な記憶となり、何を話したのかも覚束ない。
欧州での世界会議を終えた後、私はEUの皆とバーで飲んでいた。とは言えど、この五月雨がかった気持ちで愉快に飲む気にはなれず、一人バーのカウンターでグラスを傾けていたのだ。
いい加減酔いが回ってきた頃、誰かが私の隣のスツールに腰を下ろした。情けないことに、その時はだいぶん酔っていて、その人が誰だったか覚えていないのだ。なんとなく陰影は思い出せるのだが、それがロマーノさんだったのか、スペインさんだったのか、他の人だったのか……定かではないのだ。
ともかくその人は陽気に笑いながら私の方へとグラスを傾けてくれたのだが、ぐずぐずと湿気を含んだ私は、まるで拗ねた子供のように顔を背けて乾杯を拒絶してしまった。
ああ、今思えば、なんて失礼な事を……こんなことがお祖父様に知れたら雷が落ちる。皆の前であんな醜態を晒すだなんて、穴があったら入りたい。むしろそのまま引きこもりたい!
……ともかく、私がぐじぐじといじけているので、その人は心配そうに声をかけてくれたのだった。だというのに私はその人に向かって、放っておいてください、と生意気を言ってしまったのだ。
そんな風に私がいじけているにも関わらず、その人は私の隣りから離れず、なんとか私の気を紛らわそうと色々と話をしてくれたのだった。昨日あった面白い出来事、最近観た映画、今日気づいた新しい発見、どれも些細な事だけれど会話が途切れないようにとずっと聞かせてくれたのだ。
でも私は ――――
本当にどうしようもない事に、そんな話を聞けば聞くほど、自分が惨めになるようで仕方がなかった。
この人はこんな風に、ちっぽけな出来事で世界の見方を変えられる。私のようにうじうじ悩んだりしないで、人を気遣うだけの余裕と優しさがある。
私は ――――
なんと言ったのだろう。
覚えてないけれど、とても酷いことをその人に……言ってしまった。
その人は少しだけ驚いた顔をして、寂しげに笑った。その顔を見た途端私はすごく悲しくなって……子供のように泣いてしまったのだ。
泣いて、泣いて、泣き疲れて ――――
そして、目覚めたら自分のホテルの部屋に戻っていたというわけだ。
起きた瞬間、襲ってきた頭痛と吐き気とそれを凌駕する自己嫌悪で鎖国時代に戻りたい気持ちになった。本当に……本当に、私はなんて未熟で狭量なのだろう。外国でこのような醜態を晒すなど、日本に居るお祖父様に詫ても詫びきれない。
いや、そんな事より、早くあの方を探して無礼をお詫びしなければ……
ああ、でも、あの方はどなただったのだろう。あの場に居た誰かに聞けば、きっと判るのだろうけれど……
のそのそと身支度を整えながら考えていると、インターホンが来客のベルを鳴らした。こんな朝早くに誰だろう……と、ドアを開くと、私の視界を真っ白な花束が襲ったのだった。
ゆっくりと視線を上げると、そこには戸惑った顔のイタリアさんが居た。
「あの……」
「ごめんなさいっ!!」
「え?」
驚く私の目の前には、まるで日本人の戦うビジネスマンのように腰を九十度に曲げたイタリアさん。事態がうまく飲み込めない。
「あの……」
「俺、昨日帰ってからすっごく後悔して……のこと傷つけちゃったんじゃないかって……」
その瞬間、私の曖昧な記憶の中で虚ろだった陰影がはっきりと姿を現した。
ああ、そうだ……私は、この人に……
「あ、頭を上げてください! 謝らなければいけないのはむしろ私の方で……私こそ、昨日は失礼な事を申し上げました」
頭を下げようとすると、イタリアさんは私の身体を押し戻し、謝らないで! と強く制止した。
「謝らないで……こんな事いったら怒られるかもしれないけど、俺ちょっとだけ嬉しかったんだ。いつもはにこにこしてて、辛くても心配させないようにって何も言わないから……あんな風に気持ちをぶつけてくれて、俺嬉しかった」
「それは……」
濁流が清流へと変わっていくように、記憶がはっきりと蘇る。
『イタリアさんには……私の気持ちなんて、わかんないです』
『ヴェ……ごめんね、俺空気読めないって皆から言われてるから』
『違います。空気なんて、読まなくてもいいんです。私だってできれば……そんなもの読みたくなんかないです。私は……貴方が羨ましくて仕方がないんです』
『俺が?』
『だって! イタリアさんはいつも笑顔で、誰の事も恨んだり嫌ったりしないで、文句も一つも言わないで……いつも、優しくて、私のこと気にしてくれて。私も……貴方のようになりたいのに、貴方に釣り合うようになりたいのに、私……なれなくて』
「ねえ。俺は全然、が思ってるみたいにいつも笑顔でいたり、誰も恨まなかったりするわけじゃないよ? に見せない汚い部分、たくさんたっくさんあるけど……でも、君がそんな風に俺を羨ましいなんて思ってくれて、俺嬉しかったんだよ?」
「う……、あぁ」
私の馬鹿!
なんでこの人の前で酔っ払ったりしたんだろう。しかもそんな事をべらべらと、八つ橋に包まず馬鹿正直に話すだなんて。
「わ、忘れてください! 酔っぱらいの戯言です!」
私は作り笑いを浮かべ、それを無かったことにしようとした。だが彼は、
「やだよ」
はっきりと、あのカラメル色の澄んだ瞳を見開いて、私を見た。
「絶対忘れないし、無かった事になんてしてあげない。あんな言葉聞いて、忘れるなんて出来ないよ!」
イタリアさんは私の両手を握ると、ねえ、と力強く呼んで詰め寄った。天使がそのまま成人したような、甘く端正なその顔に見つめられ、恥ずかしさで涙が出てしまいそうだった。
天使はきゅっと両手を握り締めると、
「ねえ、俺の気持ち気づいて……? 空気読んだり、顔色うかがったり、そんな事しなくていいから。ただ、俺の言葉を聞いて?」
限界まで見開いた私の瞳の向こうで、彼は切なげな顔をして ――――
「俺も……君に釣り合う男になりたかったんだ」
end
お互いに羨ましがってたよ、という話。
でも、イタちゃんは他人のようになりたいとは思わないんじゃなかろーか。
なので、ヒロインと同じようになりたいとは思わないけど、釣り合う風にはなりたいなと、常日頃色んな面子がヒロインにちょっかいを出すのを眺めながら思ってたり何だったり。