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082.すれ違い





拝啓 大英帝国様

 陽春の候、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。例年の寒波により今年の花は開花も遅く、庭の桜もようやく蕾を付け始めた頃です。
 いつか共に見た桜を覚えておいでですか? あの頃も寒く防寒具に身を包みながら花見をしたのでしたね。雪の降りそうな寒い日でしたが、あの日の桜は格別に美しく今も瞼の裏に焼き付いています。
 時々、あの日の事を夢に見ます。私とお祖父様、貴方と三人でお弁当を持って花見に行った日の事を。
 夢の中の私たちはとても幸せそうで、笑いながら何か楽しそうにお喋りをしています。お祖父様のお手製の甘酒を飲んで、花がすみの広がる頭上を仰ぎながら笑っているのです。
 でも、夢から醒めると、あの頃の笑い声はなくて途端に冷たい冷えきった私の部屋に引き戻されるのです。廊下の先から鳴り響くラジヲの声、慌ただしく行き来する軍靴の音。
 現実に引き戻されて、私はどうしようもなく悲しくなります。
 あの日の出来事があまりにも遠すぎて、儚くて、もしかしたらあれは全て本当は夢なんじゃないかと……怖くて、悲しくて仕方がないのです。
 どうか教えてください。
 あの花は嘘ではないのだと。
 私達の過ごした日々は夢なのではないのだと。
 悪い夢のような現実に思い出までも穢されてしまいそうで……もし、貴方が一言本当だと言ってくださるのなら、私は ――――


 ノックの音にはペンを止め、ドアの方へと誰何の声を向けた。
 勲章を胸に飾った軍服の男が、ドアを開くのと共に敬礼を寄越す。要件を受けては短く返事をすると、書きかけの文を丁寧に畳み封筒に入れて箱の中へとしまった。
「切手がお入用ですか?」
 それを見た男が、切手がなくて手紙を箱にしまったのだと思い、尋ねる。
「いえ……不要です」
「そうですか。必要な際はいつでもお声掛け下さい」
 親切心からの言葉だろうが、にはその言葉が辛かった。宛名を書いて切手を貼れば、自分の手を離れてどこへだって送ることが出来る。たったそれだけの事で、いつでも想いを届ける事が出来る。
 だが、
「いいんです。忘れてください」
 は静かに、甘い誘惑を断ち切るように厳格な声を発した。戸惑いながら言い淀む男を、はじっと見据えて、
「構いません。あの手紙は……もともと出すつもりのないものですから」



親愛なる

 お前にこうして手紙を書くのはいつ以来だろうな。
 元気にしているか? 
 4月に入ってようやく俺んちも暖かくなって来た。あと二月もすればバラの季節だ。ローズガーデンが満開になるのが今から楽しみだ。
 4月と言えば、そろそろお前んちの桜が咲く頃だな。ずっと昔に俺と菊とお前で三人で花見をしたのを覚えているか? お前が俺んちに留学してた頃、里帰りに俺も付いて行った事があっただろ。あの時の桜の色を、この頃よく思い出すんだ。
 あの桜は本当に見事だったぜ。俺んちのバラに比べて……って、悪ぃ、比べるようなもんじゃないんだが……なんつうか、本当に綺麗だったよ。俺だって何十回と桜は見てるし、あの時まで桜なんてどれも同じだと思ってたんだ。
 それだけあの花は特別だった。お前たちと三人で、何でも無いことを笑っていられる日々が、大切だったんだ。
 この手紙がお前の元に届くことはないと思う。
 本当は何通も書いてるんだが……悪いな、お前に渡せないんだ。
 でも、もし、万が一、この手紙が何かの偶然でお前の元に届くことがあったとしたら……その時は聞かせてくれないか?
 俺はあの桜を今でも覚えているよ。すごく優しい色をしていた。
 なお、お前は?

end


たぶん戦時中。
届かない手紙を書き続ける。
届けるつもりもなくて、ただ書くことで気持ちの整理をするだけ。