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74.えぐられる





 多くの死を眺めて来たにも関わらず、死というものを自覚した事がなかった。
 国が死なないわけではない。だが、それは人間や動植物と同じように絶える事とは違うものだと思っていた。もっと抽象的に、ふっと身体が薄くなって消えるのだと思っていた。
 まるで幽霊か何かのように思っていたのを思い出し、フェリシアーノは現実が遠くなる。
 ああ、血がいっぱい。腹部を濡らす鮮血は人間のそれと同じで、まさか国もこんな風に傷つくものなのだと思っていなかった。
 皮膚を傷つければ血が滲む。そんな当然で、当たり前の出来事を、なぜ忘れていたのだろう。
 そういう現実めいた痛みとは、どこか自分たちは無関係だと思い込んでいた。争っても、損なわれても、歴史と共にそれはなくなると。無かった事にならずとも、やがて薄れていくのだと都合のいい妄想を抱いていた。
 自分たちはその特別を許された存在だと ―――― 思い上がっていた。
「不思議ですね……」
 虚空をぼんやりと見上げながら、の乾いた唇が微かに動いた。
「想像……したことが、あったのです。私は、どんな風に、死ぬんだろうって……でも、……こんな当たり前の終わりを、想像していなかったなんて」
 ふふっとが小さく笑む。
「自分だけは大丈夫だなんて……そんなはず、ないのに。どこかで、安心して……ずっと一緒にいられるんだと思っていたから……」
 弱々しく伸ばされた指先が虚空を彷徨う。それを両手で握りしめて、フェリシアーノはの名を呼んだ。
「そんな……そんなこと言わないでよ。俺いやだよ。が居なくなっちゃうなんて……」
 は小さく笑うと、もう一方の手でフェリシアーノの手を撫でた。ぬるり、と生暖かい血の感触が頬をなで上げる。自分の血で頬を汚してしまったことに気づいたのか、は悲しげに嗚呼と声を漏らした。
「ごめんなさい……」
 フェリシアーノは震える声を押し込めて、わざと明るい声を振り絞った。
「大丈夫だよ、こんなの。俺、国は外傷で死なないって聞いたことあるよ! それに俺たちの身体は容れ物みたいなものだから、また新しい身体できっと……きっと……っ、また、会える」
 の前で泣きたくなどなかったのに、溢れだした涙が止まらない。どうして自分は好きな子の前でまでヘタレなのだろうと、己を呪いたくなった。
 はただ優しく微笑んで、フェリシアーノの涙をすくい上げる。
「お願いです……どうか、葬送曲を歌って……」
 フェリシアーノは弾かれたように顔を上げた。
「やだよ! どうして? 俺ずっと君が還って来るのを待ってるよ。待たせてよ。俺、何年でも何十年でも、何百年でも、待ってるから……俺の中で君を終わりにさせないで」
 はただ優しく微笑む。だが優しいその笑みは、フェリシアーノの妥協を許さなかった。
「お願いです……貴方を、私の死で縛りたくない……」
 潔い桜の花びらのような言葉に、フェリシアーノは頑是ない子供のように首を横に振る。
「やだ。やだ。やだよぉ。俺を……置いてっちゃやだぁ……」
 零れ落ちた涙がの頬を打ち、まるでも共に泣いているようだった。
「何も……特別な事はないんです。老いたものが朽ち果て、新しいものが芽吹く……私も、その一つなだけ……」
 瞳が揺れ、空を彷徨う。焦点が合わない。まるで光に満ちた空間に注がれた、一筋のスポットライトを探すように、見えないそれを探して視線が揺れる。
「あ、ああ、あああ、ああ」
 慟哭はただ一つの音で紡がれる。それ以外の音など知らないかのように、そもそも己が音を発している事を忘れてしまったかのようにただ音をかき鳴らした。
 別れの言葉すらないまま、するりと結んだはずの指先が滑り落ちた。自らの生み出した血だまりに落ち、飛沫を散らせたのを最後に、それは動かなくなってしまった。
 不動の死がそこに鎮座する。何ものを以っても覆し難く、変わることのない現実が、目の前に横たわる。
 フェリシアーノはただ絶叫を上げた。





「っていう、夢を見たんだよーーーー!」
 飛び起きるや否や、ベッドの上にの身体を引きずり倒し泣きながら抱きしめた理由。そして驚いたルートヴィッヒに怒鳴られ、菊にうちの孫に何するんですか! と叱られた理由の説明が以上で完了したわけだが、説明する間もがっちりとを両腕に抱きしめ離さない様子を見るに、ただ抱きつきたいがための口実ではないのだろうと、二人も納得せざるを得なかった。
「まあ……私がそんな夢を見ても、取り乱してしまうかもしれませんが……」
 孫が自分より先に、しかもそんな死に方をするなど夢にだって見たくない。よしよしと菊はフェリシアーノの頭を撫でてやる。
「ですが……」
「ヴェー、ー。怖かったよー、苦しかったよー」
 ドサクサに紛れての胸に顔を埋めてスンスンと泣きじゃくるイタリア男。すっかりハートマークに包まったくるんに、菊はいらっと顔をひきつらせる。
 フェリシアーノ君、貴方の行為は爺の許容範囲を超えました ――――
 それが貴方の敗因……ジョジョ風に言うなら、てめーは俺を怒らせた、です。
 菊がちょいちょいとルートヴィッヒを呼び寄せると、ルートヴィッヒも察したのかフェリシアーノの顔の高さくらいに身を屈ませ、
「どうぞルートさんの胸で存分にお泣きなさい!」
 力いっぱい引き寄せられたフェリシアーノは、ムキムキの胸へと思い切り顔を埋めたのだった。

end


「ヴェー、ムキムキじゃやだよー、女の子の胸で慰めてほしいよー!」
最後はムキ落ち。
日本さんは古今東西のありとあらゆる漫画を読み込んでおられるに違いない。