この話には長編「人狼の館 2nd night」のネタバレが含まれています。
問題ない方のみお進みください。
070.茜雲
空にたなびく雲が茜色から藍色へと変わるそのわずかな時間。
逢魔時の呼び名に相応しい妖しくも美しいそのひと時を、はこの上なく愛している。
西日に照らされた朱色の雲が、夜の帳に包み込まれていくその様が、意味もなく物悲しくて泣きたくなるのだ。
意味もなく懐かしい。
そんな寂寥感に囚われる――――
「不思議なものだな」
傍らの三成はの視線の先を同じように仰ぎ見つつ、さも下らないと言わんばかりのぞんざいさで言い捨てる。
「これを悲しいなどと思う心が、俺たちにあるとでも言うのか?」
そもそも、悲しいとは何だ。
三成の真紅の瞳が問いかける。
「わからないよ。でも、あれを見ていると何か思い出しそうな気がするの」
そう言って涙をぬぐうの瞳も、三成と同じ真紅の色だ。
頭には柔らかな獣の耳、背後に揺れる金色の尾は人外の証。三成に尾を分け与えられ妖狐として蘇生したには、もはや人間の頃の感情はない。喜怒哀楽はあれども、人のそれとはあまりにもかけ離れている。少なくとも永久に近い時を生きる妖狐にとって、何かを懐かしんだり、想いを馳せる事などあり得ないのだ。
いっそ時が止まっていると言った方が正しい。
故に、何も後悔しなければ、思い出さず、懐かしまず、振り返らず、希望を持たず、明日の予見をせず、期待しない――――唯々、連綿と現在というその瞬間が続いているだけなのだ。
過去も未来も存在しない。
今、この瞬間のみを存在のすべてとして受け入れる。
「有り得んな。お前は俺の分身だ。俺が感じないものを、お前が感じるなど有り得ぬ」
そう言い放つと、三成は無理やりの注意を引くように、獣の耳にかぷりと噛み付いた。まるで子供がじゃれつくような痛みを伴わない甘噛みに、はくすくすと笑みを零す。
「不思議だね。私は三成の身体の一部なのに、こうして別の思考を持ち、別のことを考えているよ。同じだけど、別の存在」
「当然だ。お前は別の器から出来ている。そこに俺の命を分け与えた」
「ふうん。でも、どうして三成は私を生かしたの? 尾を分けたら力を失ってしまうのに」
の何気ない問いに、三成はぴくりと眉根をひそめた。
かつてそれは九つあり、仮初の命の代わりにひとつ失った。そして人間の取引で三つ失い、そのうちの一つがの尾となった。
直接、尾を与えられなかったのは、その魂が己のものではなかったから。だから、わざわざ人間などを眷属に迎え入れた。三本の尾を与え、そのうちの一つをの与えるよう誓約を交わした。
そうまでして手に入れたいと思ったのは、おそらく――――
「さあな。ただの気まぐれだ」
そっけなく言い放つと、三成はくるりときびすを返して帰っていく。
理由はあるが、語る事はない。
妖狐の理を曲げてまで、明らかにするほどの意味もない。
五つに分れた金色の尾を揺らしながら、三成は妖狐が感じるはずのない感傷を、脳裏の片隅へと追いやった。
end
たぶん人間にやるには”惜しい”と思ったから。
「赤」ルートの小ネタでした。