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「おい、日本」
 欧州で開かれた会議の帰り道、声をかけられて日本は足を止めた。振り返れば美麗な顔に逞しい眉を蓄えた英国人が、彼の後を足早に追ってきていた。
 日本の元に追いついてもなかなか要件を切りださず、言いにくそうに視線を揺らしている。はて、彼がこんな顔をするとは何かし辛い頼み事でしょうか、と訝っていると、目の前の英国人はやがて意を決したようにもう一度日本の名を呼んだ。
 その真剣な眼差しに、思わず日本も背筋を伸ばし緊張を高める。
 そして、
「お前の孫、俺にくれないか?」



056.平手打ち





「そりゃぁねぇ……」
 ワインの注がれたグラスを傾けながら、フランスは同情しがたき感想を抱いていた。EU連中で立ち寄ったパブでその話を耳にし、スペインとプロイセンは爆笑、ドイツは米神を抑え、イタリア兄弟はずるい俺も欲しいと声を揃えた。
 通常であればフランスもことイギリスの失態に関しては大いに笑ってやるのだが、カウンターでべそべそと泣いているイギリスが鬱陶しくて馬鹿にする気にすらなれない。それにこれ以上号泣されたらドーバー海峡の向こうから季節外れの大雨でもやって来そうで、フランス個人だけでなく国民まで大いに迷惑を被るのである。
「出会い頭にそんな事いわれれば、さすがの日本だってはぁ? って思うでしょ」
 イギリス曰く、その時の日本はまるで帝国時代に巻き戻ったかのような目で、イギリスを見たのだった。刀を帯刀していたのなら、すでに柄に手が伸びていただろう。平和な時代で良かったねぇ、とフランスは気の入らない慰めの言葉を送る。
 そもそも日本の孫への溺愛っぷりは周知の事実である。近年、成長めまぐるしくオタク国家へと昇格してからは、私の孫マジ天使! とか、二次元に匹敵する萌えです! などと声に出すことさえ憚らない。それはそれで国としてどうかと思うが、オタク道を突き進むのと比例するかのように日本のジジデレは加速しているのだった。
 そんな有頂天ジジイに孫をくれなどと言ったら、どうなるかなど火を見るより明らか。
「ヴェー、流石に俺でもプロポーズの言葉は考えるよ〜」
「つか、先に爺にプロポーズするとかおかしいだろ」
「イタちゃん、ロマ。眉毛に栄養吸い取られた男の末路をよう見とくんやで。二人は絶対あんな男になったらアカンよ?」
 イタリア兄弟の悪意ない感想と、スペインの悪意に満ちた忠告にイギリスはぶるぶると肩を震わせてカウンターに突っ伏した。
「うるせぇ! ちょっと言い間違えただけだろ、ばかぁ!」
 イギリスが言うには、本当はお前の孫、俺に”貸して”くれないか? と言うつもりだったのだそうだ。それが緊張のせいで舌が滑ったらしいのだが、どちらにしろ日本からの冷たい視線は避けられなかったのではと思う。
 だがしかし、それでも日本はその時、激昂には至っていなかった。イギリスの意図を問いただす余裕をまだ残していたし、言い間違えもすぐに誤解を解くことが出来たのだ。
「それなのにこんなになっちゃうって……お前、ほんとに自称紳士の国?」
「うるせぇよ、ヒゲむしるぞ!」
 威嚇する猫のように毛を逆立てるイギリス。涙でぐしゃぐしゃの顔は脅威より憐憫を誘い、思わずフランスもそんな彼を不憫に感じてしまう。
「だ、だって、最近会議には全然顔出さないし、俺んちからじゃ簡単に会いに行ったり出来ないし……べ、べつに俺から会いに行くのが恥ずかしいとかそういうのじゃなくて、ただ距離的に遠いってだけだけど、あいつにもたまには俺んちのスコーン食わせてやりたいなとか別に思ってるわけじゃなくて……それに、あいつに海のイロハを教えてやったのは俺なんだし、元教え子がちゃんと訓練を欠かしてないかとか、気にかけるのは当然というか……」
 めんどうくせぇ。
 泣きの入ったイギリスのツンデレ節に、一同は同様の感想を胸中で ―――― スペインだけは容赦なく声に出していたが ―――― 呟く。
 ただ素直に会いたかったと答えていれば、きっとこんな結末にはならなかった。イギリスを素直にさせるなど眉毛を全脱毛するくらい難しい事かもしれないが、空気の読める日本ならばその一言ですべてを汲んでくれるはずだった。
 事実、日本はなんとなく彼の意図を察し、機会があればと八つ橋に包んだ返答を寄越した。
 同盟時代の古い話だが、イギリスの元へを留学させ海軍の基礎を学ばせたのは、当時の日本の意向でもある。今や戦う力は必要ないが、自らのルーツを辿り、過去から学ぶというのも時に重要かもしれない。いわば頭と心のメンテナンスだ。
『そうですね。あの子も最近、身体が鈍っているようですし……どうか昔のように稽古をつけてやってください』
 日本の言葉にイギリスは思わず破顔する。
 もしその場に二国以外の誰かが居れば、その誰かはきっとそれがフラグである事を察しただろう。だが生憎にも欧州二大不憫国の一人である彼はそんなフラグになど気づかず、その慢心が彼に失言を誘った。
『ま、任せろよ、七つの海を支配した俺様にかかれば、あいつの弛んだ身体をしっかり引き締めてやるぜ。って、べつにあいつのためじゃないんだからな! これは俺のためであって、元教え子が貧相な身体してたら俺が恥ずかしいだろ? いや、貧相でも貧乳でも俺はイケるけど肉付きがいい方が好みってだけで、それにあいつ着痩せするタイプだし、着物もいいけど洋装だとわりと凹凸が目立ってそれはそれで眼福だなんてべつに思ってな(ry』
 その時の日本の表情を、誰もが容易く想像出来ただろう。直接的な表現を用いず、常に八つ橋を常備している彼が、それを投げ捨てるのは当然の結果。
『この変態眉毛が』
「信じられるか? あの日本が、俺のこと……まるで蛆虫でも見るような目で見たんだ!」
 いや、アンタ、そりゃ当然でしょ? 変態眉毛と書いてウジムシと読まれたって文句言えないでしょ?
 ドン引きする周囲の痛々しい視線も気にせず、イギリスはだんっと自分の拳をカウンターに叩きつけると、
『だって仕方ねぇだろ! 男はみんなエロいんだよ!』
 日本へ伝えたのとまったく同じ言葉を、悔しそうに叫んだのだった。
 駄目だ、この眉毛。早く何とかしないと、と思ったのはフランスだけではなかっただろう。
 さて、その後日本は変態はご遠慮くださいと絶対零度の凶相で吐き捨てると、イギリスの優美なその顔を張り倒したのだった。今もくっきりとイギリスの頬に残る、赤いもみじ跡。これが女の子にされたものならまだ同情の余地 ―――― 場合によってはご褒美 ―――― もあるのだが、
「あー……まぁ、変態はほどほどにな?」
 フランスの気の入らない慰めの言葉に、イギリスは声を上げてカウンターに突っ伏した。

end


女の子のビンタはご褒美です。
by.フランスお兄さん