某擬人化艦隊ゲームの影響を受けて、(名前だけだけど)軍艦が擬人化されてます。
国と港の子供のようになってます。
歴史ネタ含みます。蘭兄さんの口調が分かりません。
私達のような存在が、家族という言葉を用いるのは少しおかしいのかもしれません。同盟や統合を結婚と表現する事があっても、重婚も離婚も繰り返される世界の情勢の中で、それは単なる言葉の文でしかないのです。
現に私には夫と呼ぶべき方が何人も居ました。そしてその方々にも妻と呼ぶべき方が、私以外にもたくさん居たのです。
私達は偶々、その時代、その時に、互いの利害の一致より手を繋ぎ合っただけ。その一時の繋がりを、人間のような家族と同じように考えるのはおかしいのでしょう。
でも……子はかすがいと言うではありませんか。
私達が夫婦であった時間が、長い歴史の中でどれほど短い時間であったとしても、私達の間に子が生まれその子にとって私達は紛うことなき父母だったのです。
私はこんな体系にあるものたちの事を、家族という言葉以外でどう表現すればいいのか分かりません。
もし貴方があの子を忘れてしまっても、私は何時までもあの子のことを覚えているでしょう。そして深い海の底に眠るあの子のためにも、私はこれからもあの子の母で、あり続けたいと思うのです。
045.所帯持ち
12月28日、箱館港より出発し江差沖へと向かった。昔は場所も分からず、ただ献花を海に放る事しか出来なかったが今は違う。科学の発達により、海の底に沈んだ開陽丸の位置を正確に特定出来るようになった。
沈没から百数十年。日本初の海底遺跡として、皆の心に残る事が出来たのは僥倖だった。その頃にはすでに開陽丸の存在など、忘れ去られていると思っていたからだ。
「貴方にとって、とっくに昔の事になってしまったのだと思っていました」
静かに呟くと、甲板の影から長身のオランダ人が姿を現す。に見つかってばつが悪そうに頭を掻いている。
「俺にとっても忘れられん一隻や。Voor lihterの名前で親しまれとったからの」
「そうでしたね。フォールリヒター……あの子の名前」
夜明け前を意味するオランダ語。その名からその船の名前は、開陽丸と名付けられたのだった。
もうずっと昔のこと、すでに一世紀半が経とうとしている。
まだ東京が江戸と呼ばれていたあの頃、日本は造船の知識に乏しく自ら軍艦を作る技術を持っていなかった。もっぱら海外の技術に頼るしかなかった日本は、オランダに外国船に劣らない最新鋭の軍艦の新造を依頼したのだった。
横浜港へ入港し、初めてに出会った開陽丸はの事を母と呼んだ。かたことの日本語、オランダ訛りの残るそれで、お父様から実の娘のようにお仕えするように言付かっておりますと、はにかみながらそう言った。
港湾にとって船は迎えるもの。自国の戦艦ならば娘も同然。
強要された感情ではない。むしろ自然に発露するものだ。そうでなければ、たった数年で沈没してしまった娘のことを、百年以上たった今も覚えていられるはずがない。
「まさかこの子のために、わざわざ我が国にお越しくださるとは思っていませんでした」
「たまたまやざ。こっちに仕事があったさけ」
さて、オランダがわざわざ訪日するような仕事があるのなら、の耳に入ってもおかしくないのだが、のスケジュール帳にはそういった予定は書き込まれていない。は何も言わず、代わりにくすくすと笑みを零した。
オランダはばつが悪そうな顔をしながら、手にした花束を海へと放った。
深海に眠るあの子へ届くように。
「全員、覚えとるんか?」
「え?」
「子供……何百隻おったのか、知らんがの」
「さあ、どうでしょう」
は曖昧な言葉でぼかしながら、見送った娘たちの顔を思い浮かべた。どの時代から娘と感じるようになったのかはわからないが、ただ近代からの記憶は鮮明に残っているのは確かだった。自身がただの貿易港から軍港へと変わった辺りから、娘を見送る事の意味合いが変わって来てしまったのだ。
それこそ ――――
一体何人いたのだろう。分からないほどにたくさん、多くの娘を海洋で失った。
「オランダさんは……覚えていらっしゃいますか? 貴方の子供たちのことを」
一港湾であると違い、国家であるオランダにとってどこからどこまでが子供たちなのかそれは分からないが、オランダはわずかに眉間に皺を寄せてから一拍後に答える。
「当然やざ」
何を当たり前の事をと言わんばかりの口ぶりで。その答えには嬉しそうに微笑む。本当は毎年この日に、がここを訪れると色とりどりのチューリップが海面に揺れてる事を知っていたのだけれど、それを口にするのは彼の機嫌を損ねてしまうことのように思えた。
「ありがとうございます。フォールリヒターを覚えていてくれて」
礼など不要なのだろうが、どうしても感謝の言葉を伝えたかった。オランダはいつものポーカーフェイスを崩さぬまま、それも至極当然という風に言う。
「俺とお前の第一子やでの」
end
そもそも日本初の軍艦ってなんだろう、と調べたことがきっかけ。
あいにくネットでちょっと集めたくらいの知識なので、間違ってたらゴメンナサイ。
以下、開陽丸についてうぃきぺであ先生のまとめ。
それまでは鎖国してたので、むしろ大きな船の製造は禁止されていました。
しかし、いざ作ろうと思っても、長い引きこもりのせいで造船技術はプラモくらいしか作れなかった日本さん。
日本の上司は、軍艦を他国に作ってーと発注します。
実は最初にアメリカに頼んだのですが断られました。しょんぼり。
で、次にオランダさんにアタック。銭次第で作ったる、ということでお願いして出来たのがこの開陽丸です。
オランダ庶民にも「日本軍艦フォールリヒター」と話題に上る船だったのですが、起工からわずか数年で沈没してしまいました。
その後、ずっと忘れられた子になっていたのですが、沈没からおよそ百年後、遺留品を海底にて発見。日本初の海底遺跡となったのでした。