それは乙女の勇気を込めた精一杯の告白でした。こんな事を女から伝えるなんて端ない事、こんな時代に恋に現を抜かすなど不埒な事だと、承知の上でそれでも想いをお伝えしたかったのです。
国の一部として永く生きてきた私ですが、人間の少女のように恋をし、殿方に想いを伝えるなんて初めての事です。それまでの私は国が誰かを好きになるなんて、決して赦されぬ禁忌なのだと信じていたのです。
でも、あの方はそんな私とは対照的に、誰にでも惜しみない愛を与える事を良しとされる方でした。西洋の挨拶に戸惑い、どの女性へも分け隔てなく賛辞を送る姿を最初は破廉恥だと感じた私でしたが、それがあの方の慈愛の形なのだと徐々に理解していったのです。まるで太陽が人々を照らすように、柔らかく包み込む愛。
その光に照らされる内に、私の灯の落ちた胸に温もりが灯ったのでございます。
私はどうしても大戦が激化する前に、この想いを伝えたかった。
だから、あの日 ―――― 欧州を離れる最後の晩に、思い切ってイタリア様へお伝えしたのです。
イタリア様はこちらを振り向かれて、少し驚いた顔をされました。頭上の月を仰ぎ、それから笑顔で私に微笑まれました。
そして、
「ヴェー。月の影ってベッラの横顔に見えるよね〜」
見事にわたくしの恋心をへし折ってくださったのです。
036.悪知恵
ヴェーヴェーと泣きながら付いてくるイタリアを、振り返らずに捨て置いたのにはわけがある。いつもなら彼が泣こうものならすぐに駆け寄ってその涙を拭ってやるだったが、今日ばかりはその気になれなかった。
かれこれ半世紀以上も前の出来事を、うっかり思い出してしまったからだ。
二人が付き合い始めて軽く銀婚式を挙げられるくらいの年月が過ぎたが、おそらくイタリアにこの話をしたことはなかっただろう。そのくらい自分も忘れていた記憶 ――――
いや、封印していた記憶という方が正しい。
きっかけは単純で、いつも好き好きと一方的に愛をささやいているイタリアが、たまにはからも言って欲しいとねだった事だ。恥ずかしがってなかなか言おうとしないだったが、最後にはイタリアのお願いに押し切られてTi amoとイタリアの耳元で囁いた。
それで終われば何も問題はなかったのだが、舞い上がったイタリアは今度はの国の言葉で言って欲しいと強請ったのだ。
「ちょ、一度きりだと約束したじゃないですか!」
「えー、だってにとってはTi amoは外国語でしょ? 日本語でも聞きたいよー」
「そんなの……」
「ドーモ、サン。イタリアデス! 大好キデス! ほらほら俺も日本語で言ったよ〜?」
「日本人は初めて会った方にいきなり告白したりしません……というか、誰ですかそんな挨拶教えたのは……」
「えへへー、フランス兄ちゃんが教えてくれたであります! 礼儀正しい日本式告白だって」
「何か色々間違っていますが……ともかく約束は一回ですからね」
「えー、やだよー。俺、に日本語で好きって言ってもらった事ないもん。ねえお願い」
「ええ? そんな事は……」
はて、としばし思考をめぐらし、忘れきっていたあの夜の出来事を思い出してしまった。
言いましたよ! 勇気を振り絞ってあなたに告白しました! でもあなたがフラグを……、しかも美女に見えるなんて月の女神に懸想するような言葉でべっきべきにへし折ったのではありませんか!
未だ一度も解き放ったことのなかった鬱屈が一気に吹き出し、そんな経緯で今に至る。
「ー、ごめんなさいぃぃぃぃ! もうワガママ言わないから、俺のこと嫌いにならないでぇぇぇぇ。俺、とハグしたりキスしたりできなくなったらきっと死んじゃうよぉぉぉぉぉ!」
しばらく無視を続けていただったが、そんな事をイタリアが往来で叫び始めたので流石に足を止めざるを得なかった。くるりと進行を反転させ、はつかつかとイタリアに詰め寄ると、なんてこと往来で叫ぶんですか! とイタリアの口をふさぐ。
「だ、だって、俺、に嫌われたら……ぐすっ、寂しくって、辛くって死んじゃうよぉ……」
「そんな事で国は死んじゃったりしません」
溜息交じりに呟いて、ハンカチでイタリアの涙を拭ってやる。結局こうして彼に甘いのは惚れた弱みということか。
イタリアは涙でぼろぼろになった顔をえへへと綻ばせて、ふいにの背後を指さした。
茜色の夕闇と群青色の夜空が交わる境界に、白い月が浮かび上がっている。
「綺麗だねー」
イタリアが感嘆の声を上げ、思わずも同意した。
「ええ。月が綺麗ですね……」
呟いてはたと気づくと、イタリアは嬉しげにえへへとはにかんでいた。
「イタリアさん、まさか……」
知っていたのだろうかと訝ったが、イタリアは無邪気な顔で微笑んでいる。たぶん意味は理解していない。
「あのねー、フランス兄ちゃんがに好きって言う時は一緒に月を見ながらがいいよって言ってたんだぁ。そうすると日本の女の子は喜ぶからって! 正しい日本式告白・中級編であります!」
やっぱりあの人か、とは脳裏にによによと笑みを浮かべているフランスの顔を思い浮かべた。正直なイタリアならきっとすぐに実践するだろうと踏んでいたのだ。次に世界会議で顔を合わした時、一体何を言われるかわかったものではない。
「……ところで、上級編は何ですか?」
頬を染めて尋ねると、イタリアはえへへと笑いながら耳元にそっと呟いた。
「今晩一緒にいてくれたら教えてあげる」
ちゅっと赤く染まった耳先に口づけて、真っ赤になったにへらりと笑いかけた。
ああ、もう本当にこれだからラテンは。
はばくばくと飛び跳ねる心臓を落ち着けようと、そっと視線を月の方へと反らしたのだった。
end
フランス兄ちゃんの悪知恵。
ところでヒロインの呼びかけですが、戦前は様付、戦後はさん付けで書いてます。