032.無理強い
正直に言うならば侮っていた。子供のように奔放で人畜無害な彼は、にとって安全圏と認識されていた。抱きついて来てもハグを強要してきても、まるで母親に甘える子供のようにしか思っていなかったし、仮に深夜に二人きりで居たとしても彼が自分に手を出そうとすることなどないと思っていた。
危機感の欠如を信頼というキレイ事に都合よくすり替えていた自分に、彼の豹変は酷く堪えた。
「だって……こんな夜中に男と二人っきりなんだよ? それって襲ってくれって言ってるものだよねぇ?」
飲みかけのワインのグラスをの手から奪い、身体の上に乗りかかってきた彼は、未だかつて見た事のない雄の顔をしていた。
は驚いて抵抗した。そんなつもりじゃなかったのだと、貴方の事は友人として信頼していたから男女の仲になるなど思っていなかったのだと。
その信頼という言葉にフェリシアーノは少なからず傷ついた顔を見せた。
「そっか……俺はにとって男じゃなくて、ただのお友達だったんだ」
俺ってヘタレだもんね、と彼は自嘲的に笑った。
だが、顔を上げた彼の目に剣呑な光が宿っている事には気づく。
「でもさ、も酷いよね? そうやって俺の好意をずっと踏みにじってたんだ……ねぇ、俺が何度好きだって言っても冗談としか受け取ってくれなかったよね? 俺じゃなくて、アーサーとかフランシス兄ちゃんが同じこと言っても、は同じ反応した?」
「それは……」
「しないよね? 普通に恋人になりたいって意味だと思ったでしょ? ねぇ、それってさ……俺すごくムカつくよ」
フェリシアーノの見せる苛立ちには恐怖を覚える。
「大好きな子がいつ他の奴らに奪われちゃうかわからないのに、その子は全然俺の事見てくれない。俺、努力したよ? いっぱい君に好きだって伝えた。なのに……君は俺のこと、男だって意識してくれないの?」
これは罰だよ、フェリシアーノの唇が酷薄な笑みを浮かべて、の身体の上へと覆いかぶさった。頬に触れるだけのキスしかしなかった彼が、口内を蹂躙し舌先を絡めて来たのに衝撃を受けた。いやらしさの欠片も感じた事のなかった彼の手の平が、シャツをまくりあげて胸の膨らみを強く掴み上げる。
「やっ……やめ……こんな事をして、ただで済むと思っているのですか!?」
こんなスキャンダルを起こして最悪国際問題だとは脅したつもりだった。だがフェリシアーノは不思議そうに小首を傾げ、一瞬子供のような顔をする。
「ヴェー、ただで済むだなんて思ってないよ? ていうか、そっちこそただで済ましてもらえるなんて思うの、都合が良すぎない?」
「は……?」
「こんな夜更けにさぁ、男の部屋にやって来ておいて言う言葉じゃないよね? 友達? 信頼? そんな事、思ってるのだけだよ。無防備すぎ、危機感なさすぎ。自分で狼の家に来たくせに、襲われましたなんて誰も信じてくれないよー?」
くすくす、とフェリシアーノの笑い声が薄暗い室内に響く。
「ねぇ、この際はっきり言うけど、俺のこと友達と思ってるのくらいだからね? 他の奴らはみーんな俺が君とどうにかなっちゃいたいって思ってるの知ってるから。同情はしてもらえるかもしれないけど、きっとみんなこう思うよ。自業自得だって。そんな状況でが俺を訴えるの? 自分の過失のくせに、国や国民まで巻き込むの?」
は己の愚かさを呪った。フェリシアーノの言葉は正しい。もしこれがアーサーやフランシスだとしたら、きっとは来なかった。夜中に男の部屋に来て、ワイングラスを傾けるような真似はしなかった。そんな事をしておいて、勘違いしたのは相手のせいだなどと言えないと思っているのだ。
どうしてフェリシアーノの場合は目が曇ってしまったのかと言えば、はっきり言ってが彼を侮っていたからだ。彼は安全だと思い込んでいた。まるで女友達のように気軽に隙を見せてしまっていた。
信頼していたと言えば聞こえはいい。だが、そうして信頼という言葉で彼を拒絶し、傷つけてきたのだ。
知らなかったなどと、都合のいい事は言えない。
「ねえ、そんな顔しないで? はきっと俺に裏切られたって思ってるんだよね。俺だって君の心を踏みにじるのは辛いよ」
慰めるようにフェリシアーノの唇が涙で濡れたの顔に、雨のように降り注ぐ。だが、はぁっと甘い吐息を漏らし、フェリシアーノは顔を上げると、
「でも、もう限界。お願いだよ……これからは俺を、ちゃんと男として見て? じゃなきゃ俺……もっともっと卑怯な真似しちゃうから」
そう告げた彼の顔は、紛うことなき欲に飢えた雄の顔だった。
が昨日と同じスーツを着ている事に気づき、フランシスはによによといやらしい笑みを浮かべた。あのがお泊りだなんて、一体相手はどこのラッキーボーイだろう。昨日はお楽しみでしたね、とでもからかってやろうかと、フランシスがに近づくと、ふいにフェリシアーノがフランシスの前に立ちふさがった。
「ん? なによ、お前」
訝しげなフランシスにフェリシアーノはにこりと微笑みかけた。
無言でを引き寄せて、首筋のキスマークを指先でなでつけると、
「俺の恋人に何か用?」
恥ずかしげに顔を真赤に染めたを伴って、フェリシアーノは背を向けた。去って行くその背をみながら、あらら、ついにあいつやっちゃったのね、とフランシスは溜息を漏らす。
まあ、いずれこうなってしまうであろう事は、彼には予見できた事だ。あれだけフェリシアーノが必死に、他の男たちを威嚇しているのに、当の本人はあの通り無防備なのだから。
「ま、フェリが獰猛な雄だって知らないのは、ちゃんくらいだったからねぇ」
フランシスは静かに呟くと、今日の世界会議は荒れそうだと溜息を漏らした。
end
鴨がネギ背負って鍋に飛び込むようなもの。