024.傍若無人
「貴方の意見は横暴です」
会議の合間に取られた休憩時間にて、は例の如く会議で他者の反対意見を認めないアルフレッドに苦言を呈していた。わざわざ会議室ではなく休憩室の傍らで話しているのは、これが国としての言葉ではなく個人からの言葉であるからだ。
国としての責務を背負えば、アルフレッド相手にこんな風な叱責など出来るはずがない。経済から始まり何から何まで彼の大国は、強大なのだから。
だが、個人としては昔なじみの横暴な発言を看過出来なかった。意見を主張するにしても言い方というものがある。端から相手の発言を封じてしまっては、そもそも話し合いにならないではないか。
だが、熱心に諭すを端に、アルフレッドは机に頬杖をつき視線は虚空に浮かんでいる。右耳から左耳へ、呪文のようなのお説教は彼に意識されることなく通り過ぎていった。
「もう! 聞いているのですか、アルフレッドさん」
怒った顔で詰め寄ると、アルフレッドは面倒くさそうな表情を隠そうともせず、視線だけでを見やった。
黒目がちの大きな瞳が自分を睨みつけている。がこんな風に自分に異見を唱えるようになったのは、いつからだろう。
少なくとも百五十年前、初めて出会った頃のはとてもこんな強気な態度など取れる性格ではなかった。開国への不安と、長い鎖国への依存が、少女のような容貌を更に幼く見せていた。
実際のところはアルフレッドより遥かに年上で、長い経験と年季を重ねていた。だが、異国との触れ合いを忘れた数百年の内にすっかり内気になってしまったのか、港町でありながら外交を恐れ開港を極度に嫌がった。
武力を背景とした外交圧力がなかったわけではないが、そのを口説き落とし、優しく世界へエスコートしたのは自分だと言うのに、今ではこんな顔をして自分に意見してくる。昔は手を握っただけで顔を赤らめて、何事にもはいはいと頷いて受け入れてくれていたのに。
「君は昔の方が可愛かったんだぞ」
独り言の延長を思わず口にしてしまっていた。だがわざと取り繕うこともせずの反応を伺っていると、あからさまには不機嫌な顔をした。
「べつに可愛くなくて結構です。そもそも私もうオババの歳ですしね」
と、返答までも可愛くない。
「Oh…昔は絶対そんな皮肉言わなかったんだぞ。アーサーなんかと同盟なんて組むから口が悪くなるんだ」
はついと片眉を上げる。
「今はアーサーさんは関係ないでしょう。だいたい百年も前の事ではありませんか」
もう時効ですと言わんばかりの物言いに、アルフレッドもまた不貞腐れたような顔をした。日英同盟が時効なら、それ以前のアルフレッドとの出会いや共に過ごした日々はどうなってしまうのか。古き条約に縋るつもりはないが、それに纏わる記憶まで否定されたような気がした。
「君はもっと俺に優しかったし、可愛かったんだぞ。もっと従順だったし俺の事を大切にしてくれた。俺が I love youって言う度に、恥ずかしそうな顔で私もお慕いしていますって言ってくれたじゃないか」
「アルフレッドさん、それはずっと昔の……」
「今は全然言ってくれないじゃないか。俺のこと嫌いになっちゃったのかい?」
不満と不安を半々に込めた瞳で、アルフレッドがの双眸を見つめた。視線を逸らす機会を失い、は沈黙したまま熱い眼差しを正面から受ける。
「まさか……」
「じゃあ愛してるって言っておくれよ」
の取り繕うような笑みを、アルフレッドのまっすぐな言葉が破壊する。
どうしてこの人はこうなのだろう、とは閉口した。世の中には言わない方が良い言葉がたくさんある。曖昧に濁して、なんとなくお互いが察しつつ踏み込まない方がいいものがたくさんあるのだ。
今更、百五十年前の話を引っ張りだして、傷ついたり傷つけたりするのは変だ。今はあの頃とは情勢が違う。時代も、上司も、世界も違う。同じ言葉を発したところで、それに込められる想いが同じはずがない。
「アルフレッド様……」
かつて用いていた呼称を、あえては口にした。アルフレッドの両目に期待の光が差したのを、は見なかった事にした。
「百五十年前も申し上げましたね? 私は……船を迎え、送り出すのが仕事なのです」
港町の存在意義。それを基盤にし、己は外交を任されているとあの時のは語った。
「その事は今も違いません。条約に従い私は船を迎え入れ、送り出すのです。それが少しだけ昔より複雑になっただけです」
「そんな事知ってるんだぞ。そんな話じゃなくて、俺が聞きたいのは……」
「なら、頑是無い事を仰らないでください。あの時、私はこうも申し上げませんでしたか……? 船が夫ならば、港は妻。よく仕え、よく饗すのを良しとする。私は貴方の前では良妻でありたいと思っておりました。ですが同時に私は一時の妻にしか成り得ぬのです」
私は港です。船と共にゆくことは叶いません ――――
はっきりと、子供に諭すかのように、は優しく繰り返した。
アルフレッドの脳裏にが同じ事を口にした情景が思い浮かぶ。照れたような顔で微笑む。初夜を迎えた花嫁のように、指先を慎ましく揃え深く頭を下げた。
『不束者ですがどうぞよろしくお願いいたします。貴方と契りを失うその日まで、どうぞ一時の妻として可愛がって下さいませ』
憑物が落ちたかのように、するりとアルフレッドの顔から表情が抜け落ちた。
は居た堪れない心地を味わいながら、話の終止符を打つように静かに告げる。
「ご理解ください。私と貴方が仮にも夫婦のような関係だったのは、もはや過去のお話です。夫婦の時間はもう……終わったのです」
アルフレッドからの反応は皆無だった。
沈黙に耐えかねて、は踵を返すと足早にドアへと向かった。早くこの部屋から出てしまった方がいいと思った。こんな話がしたかったわけではないし、これ以上この部屋の空気を吸っていたら自分まで過去に捕われてしまうような気がした。
とて、何も思わぬわけではない。一時といえど、夫と定めた人の事を無碍に扱うのは心が傷んだ。だが、だからと言ってあの頃と同じように過ごせるはずがない。曲がりなりにも国際港である自分が、誰か一人に肩入れなど出来るはずがないのだ。それは今も昔も、変わらぬ掟。夫婦の契りはただ、条約という白い紙の上でのみ正当性を持つ。
「では……」
会釈をして部屋を辞去するつもりだった。引いたドアが突然、背後から伸びた手によって再び閉ざされた。
驚いて振り返る間もなく、逞しい腕がの身体を抱きしめていた。
「ア、アル……!?」
「先に言っておくけれど、反対意見は認めないんだぞ」
酷く冷めた声が耳元で鳴る。
「条約、条約って君は煩いな。ああ、君みたいな地方都市は国と違って、そういう物がないとなんにも決められないんだったね」
揶揄に反射しは振り返ってアルフレッドを睨みつけたが、すぐさまその瞳は恐怖に揺らいだ。強国の圧倒的な力を宿した瞳が、まるで獲物を見るような目で自分を見下ろしていた。
心配しなくていいよ ――――
低く囁いて米神にキスを落とす。
「条約が失効してるなら、新しい条約を結べばいいんじゃないか。まさか君に……俺の要求を拒む権利があるなんて思っていないよね?」
くすりと病的な笑みを零し、繰り返す。
「君の反対意見は認めないんだぞ」
end
ジャイアニズム全開。