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摩利支の牢07





 陰鬱だ。
 あの猫のせいでもあるかもしれないが、隣を歩く調子の良い雑誌記者の陽気さが、私を更に鬱にさせた。
 ああ、やはりこんな所まで来るのではなかった。いくら記事のネタに困窮していたとしても、鳥口の甘言などを聞くのではなかった。
 鳥口はあの御筥様の一件から、京極堂に絶大なる信仰を寄せている。それこそ京極堂大明神とでも崇め奉りそうなほどに、あの偏屈な古書肆に心酔しているのだ。
 あの件以来、ますます鳥口は超常や心霊の類を、熱心に調べてはそのタネを明かすことに躍起になっているように感じる。確かにペテン師たちの嘘八百をスッパ抜くのは、それはそれで爽快なのだが、度合いを間違えれば逆に京極堂の怒りに触れかねないという事を彼は理解していない。ペテンはペテンに他ならないのだが、俗悪なカストリ雑誌が面白半分に取り扱って良いというものでもないのだ。
 今日の取材の事を話した時、京極堂はいい顔をしなかった。明らかに普段の二割り増し機嫌が悪くなり、侮蔑の視線を僕に向けていた。
 行かない方が身のためだよ、彼はそう云ったのだ。
 それはどういう意味なのか再三尋ねたが、古書肆はそれ以上取材対象について話すのを止めてしまった。
 京極堂の言葉に不安はあったものの、僕はどこか子供じみた反抗心より鳥口の取材の同行する事を決めた。京極堂がどんな危険を示唆していたのは知らないが、所詮僕らはカストリ雑誌の編集者に過ぎない。門前払いは承知の上で、こうして雁首を揃えて上野までやって来たのだ。ペテンを暴く事に戸惑いを感じていながら、僕がこうして上野の路地を右往左往する事になったのは、そういう詰まらない意地が起因している。
「うへぇ、本当に猪豚様だ」
 鳥口が面白がって変な声を上げた。
 門の両脇に置かれた猪豚の像だ。小学生の背丈ほどある台座に、石造りの二匹の猪が互いに向き合っている。古いものなのか、台座の足は苔に覆われている。
「まさか豚を奉るなんて、けったいな宗教ですねぇ」
 鳥口はけらけらと笑って見せた。その声が家人に聞こえたのではないかと、私は無駄にはらはらしてしまった。
「ごめんくだぁさーい」
 妙に間延びした鳥口の呼ぶ声が、勝手口から中へ響いた。普通の日本家屋である。宗教というのは金が入るのか、造りは平凡だが、玄関に配置された壷やら絵画やらはだいぶ金がかかっていそうだった。
 はぁい、と若い女の声が返って来た。和服姿の女が奥から出てきた。
 修験者でも出てくるのかと構えていた私達は意表を突かれた。
 この家の奥方にしては歳若い。娘さんだろうか。彼女は私たち二人を交互に見つめると、あらあらあら、と愛想よく笑った。
「あの私たちは…」
 鳥口があらかじめ用意していた紹介状を出そうとすると、女性はそれをやんわりと制して、
「ああ、構いませんわ。どうぞお上がりください」
 と、答えた。
 僕たちは拍子抜けした。ここへ乗り込むために、僕たちはあの榎木津の名を騙る覚悟までして来たのだ。
「どういうことなんでしょう。マリ様っていうのは、政治家やら財界人やら一流の名士にしか会わないって聞いたんですが」
 そう、その通りなのだ。
 マリ様とは、最近上野のあたりで流行り出した霊媒師の事だった。なんでも“鏡映し”とかいう業を用いて、依頼人の会いたいと願う人間の霊を呼び寄せる事が出来るのだと云う。所謂、イタコの口寄せのようなものなのだろう。ただし、呼び出せるのは依頼人と縁の強い人間に限られているらしく、たとえば徳川家康を呼び出して埋蔵金の在り処を語らせるという事は出来ないらしい。
 仮に本物だとして、そんな物が果たして商売になるのだろうかと僕などは眉唾だった。占い師のように託宣を受けるのでもなく、宗教家のように救いを施すわけでもない。ただ、死者に会えるというだけなのだ。
 僕が薄情なだけかも知れないが、僕には会いたいと思ったり懐かしんだりする故人はいない。所詮、死者は生者の中にしかいない。墓を立てるのも、線香を上げるのも、生きている人間が死んだ者の事を忘れないための儀式ではないのか――
 だが、僕の予想に反して彼岸の者へ思慕を抱えている人間というのは、思いのほか多かったようだ。鳥口の仕入れた情報によると顧客は名士ばかりらしいし、そんな人間は現実主義者ばかりだと思っていた僕はたいそう驚いたものだ。
 そんな一流どころばかりを顧客に扱うという事は、それ相応の信憑性がマリ様にはあるはずだった。もし、その幾重にも施された神秘の網目を破り、嘘八百がその中から溢れ出したら? 扱う相手が大物だけに、大スキャンダルである。そこに鳥口は目をつけて、三文文士の私を連れ立って潜入捜査に赴いたという次第である。
 そのために僕らはあの榎木津まで使う算段を企てていた。一流にしか会わないマリ様の懐に飛び込むには、それ相応の信頼のおける紹介状が必要だと考え、用意周到に鳥口がしたためておいたのだ。
 勿論、かの榎木津探偵は自分以外の神の存在(神ではなく霊媒者だが)を信じない。こんな事を真顔で頼んだら、馬鹿だカバだと散々に詰られた挙句、マリでもチリでも何処へでもいけ! と追い返されてしまうだろう。
 だから、これは偽の紹介状なのだ。一応、本人には一言断りはしたが、全くの捏造なのである。
 嘘だと分かればそれまでで、素直に引く準備がこちらには出来ていた。しかし、今私たちの先を行く少女は紹介状の提示を求めるどころか、誰の紹介で来たどこそこの者なのかさえ聞かなかった。そう、何も聞かないまま、あの娘は私たちを家に招き入れたのである。
 奇妙だ。


end


懲りない鳥口クンと欝気味の作家センセイ。