摩利支の牢05
ちりん、と鈴の音が聞こえた気がした。
風鈴のそれとは違う、もっと金物っぽい安っぽい音色だ。
「ナーォ」
古びた家の垣根から、一匹の猫が姿を現した。白い細身の日本猫だ。目の色が左右で違う。オッドアイと云うのだそうだ。
猫は私の方をじっと見つめていた。
とりわけ動物に好かれる質でもない私は、相手が猫であるにもかかわらず視線を向けられて緊張を覚えた。猫は古来より人間の生活に関わっていたせいか、どうにも只のけだものと思えないのである。
猫は賢い。猫は小ずるい。猫は化ける。猫は騙す。
何故、猫が何かになるのだ。
猫はただの猫だ。人間性も、感情もない。なのに、どうして化けて人を謀り、人を取って喰ったりするのだ。
金華山の猫でもないだろうに……
私は友人の家に住まう、あの寝てばかりの猫を思い浮かべていた。化けるといっても、あの猫くらい愚鈍なイメージが強ければ、そうそう恐れるものではない。一体、人間にどんな悪さができると云うのだ。猫は猫、丸くなって寝ているのが相応しい。
「おいで」
普段、私は動物に声などかけない。だが、今はそういう思いもあいまって、身をかがめて猫を呼んだ。ちっち、と舌を鳴らして呼ぶと、猫は一層私をじっと見ているように思えた。
そうして、猫が鳴きながら寄って来れば、私の不安は晴れただろう。あるいは、馬鹿にするようなすかした顔で逃げていくのでもいい。
兎に角猫らしい反応を、私はその白猫に求めたのだった。
ところが、
「愚かしや」
猫が云った。
まん丸な目はそのままで、口先だけを動かして、云ったのだ。
猫が喋った……?
私は驚いて、その場に尻餅をついてしまった。その、私こそ愚鈍な反応に、猫は可笑しそうに目を細めて笑った。
「人と云ふのはなんとも愚かじゃ。愚かで適はぬ」
そう呟いて、猫はどこかへと消えてしまった。
ちりん。
あの鈴の音は、猫の首につけられた首輪だったのだ。
「いやぁあ、参りましたねぇ。一本先でしたよ。一体、どこで道を間違えたんでしょうねぇ……っと、何しているんですか、関口先生?」
私が呆然と道の真ん中で尻餅をついていると、ハンチング帽を被った気の抜けた口調の青年が駆け寄ってきた。
「あ、ああ……鳥口君、猫がね……」
「猫ぉ? 猫なんてどうでもいいでしょう。今回は猫じゃなくて猪ですよ! 猪豚様!」
と、一体何が可笑しいのか、自分で叫んでから、うへへへへと奇妙な笑い声を上げた。
駄目だ。どこかの探偵の躁状態が乗り移ったようなこの青年には、何を云ったところで通じやしないだろう。
この奇妙な――――いや、不思議な事などこの世にないとしても――――非日常的な出来事を相談できるのは、私の奇妙奇天烈な友人たちの中でも、あの古本屋の主人の他にはいない。
云ったところで、本人は全身全霊で私を馬鹿にするかもしれないが。
だか、私は確かに見たのだ。
猫はその口で、万物の霊長たる人間を嘲った。
end
当家の猫が悉く白猫なのは単なる趣味です。