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摩利支の牢03





 婦女暴行。拉致監禁。

 瞬時に和寅の脳裏に浮かび上がったのは、そんな不穏な言葉だった。
「せ、せ、先生! ついにやっちまったんですかっ!?」
「何がやっちまっただ、僕はまだ何もしてないぞ」
 一体ナニをやると解釈したかはわからぬが、榎木津は憤然とした様子で返した。云いながら、そっと腕に抱えていたそれを寝具の上に下ろす。
「うぇっ、まだってもう半分はやっちまったようなものでしょう! ああ、私は御前様になんと申し開きしたらいいのです。幾ら滅茶苦茶なことを為さると言っても、まさか婦女暴行なんて非人道な」
「たわけっ」
 榎木津の長い足が和寅の腹を蹴り上げた。うげ、と蛙のような声を上げて、和寅は益田の隣にしゃがみこむ。
「なぁにが婦女暴行だ、この愚か者! 婦女暴行なんてものは、モテなくて、ブサイクで、馬鹿で愚かでどうしようもない男がする事だろうがッ。この僕にそんな事をする必要性がどこにある!」
「いや、だって、先生」
「だっても伊達巻もあるものか。いいからさっさと拭く物を持って来る! それとお湯だっ!」
 これ以上口答えをしたら蹴りぐらいでは済まされまい…。和寅は未だ両目を覆っている益田を立たせて台所へと向かった。
 去り際に、せめて主人が疵物にしてしまった女性を確かめようとちらりと寝具の上を見やると、それは和装の歳若い娘だった。
 華美な赤い振袖のせいで、正確な歳は判らない。まだ童女と呼ぶに相応しい年頃なのか、それともすでに二十はこえているのか。
 だが、いずれにしても、驚くほど整った顔である事に違いはなかった。主人の榎木津をはじめ、美形には見慣れているはずの自分でさえ、思わず見惚れてしまいそうなほど整った造形美。
 まるで人形…そう、人形だ。
 あの娘はまるで生きている気がしない――――
「何なんでしょうね、あの娘は」
 益田の声で和寅は我に返った。こんなに忙しなく動いているのに、自分は物思いに耽っていたらしい。
「着ている物も豪華だし、酒場で引っ掛けた女というわけでもないでしょう」
 益田が涙目をぱしぱしと瞬かせながら呟いた。無駄口を叩いている暇があるなら、早く動け。そう言い返してやりたい気持ちがあったが、その疑問は自分もずっと感じていたことなので何も云わなかった。
 不思議がっても判らぬことは判らぬ。特にあの奇妙奇天烈な榎木津探偵に関しては、いくら凡人が考えても理解できないものは理解できないのだ。
「死んでいるようでは無かったけれど、意識があるようにも見えなかった。まさか、榎木津さん何か変な薬でも盛って…」
 和寅は何も言わず、只ため息を返した。それこそ必要のないというものだ。あの探偵がそんな回りくどい事をするものか。仮に、万が一なびかせたい女がいるとして、薬などを使う前に、強引に押し倒しているのではないか。それこそ婦女暴行以外の何者でもないが、その方が至極わかりやすい。
「益田君、ここはいいからお湯を沸かして来てくださいよ」
 和寅はそう言い残して、手にいくつも布巾やらを持って寝室へと戻った。
 益田が何か不平を零しているような気がしたが、まるで耳には入らなかった。
 そんな事よりも寝室に残して来た主人の事が気にかかる。また変な事をしていなければ良いが…
「先生、とりあえず拭く物を…わっ!」
 言いかけて、目を見張る。
 予感的中といった所である。
 寝具の上には和服の女…と、なんと主人の探偵が女に馬乗りになって乗っていたのだ。否、膝で身体を支えているのだから、正確には二人の身体は接触していない。が、そんな事は問題ではない。榎木津の手には今脱がせたばかりらしい、錦糸の帯が握られている。襟元から華奢な肩が、そして裾からはすらりと白い足が伸びている。この位置からそこまで見えているのだから、真上に覆いかぶさっている榎木津にはもっと見えているに違いない。
「せ、」
「みーるーなっ」
 再び呼吸困難に陥りそうになった和寅に、榎木津は脱がした帯を放って寄越した。うまい具合にそれが顔に引っかかり、和寅の視界をふさぐ。
 その隙に榎木津の手が乱暴に布巾を奪った。がさごそと、衣擦れの音だけが耳に流れ込んで来る。
 主人を信じるなら、榎木津はただ雨で濡れた着物を脱がし、泥水で汚れた身体を拭いてやっているだけのはずだ。だが、視界が覆われているだけで、どうにもエロティックな光景を思い浮かべてしまう。
「榎木津さん、お湯持ってきま…おぐっ!」
 益田が入ってきたのか、隣に立ったと思った瞬間、その気配が消えた。湯気だけが近くに感じられるという事は、洗面器を受け渡した瞬間、部屋の外へ蹴飛ばされたのだろう。つまり、この位置からでも、“見える”のだ。この錦糸の向こうに…
「その帯を取ったら極刑だぞ和寅」
 まるで心を読んだかの如く、突きつけられる厳命に、和寅はふぁいと情けない返事をした。
 女性の身体に只興味があるというわけではない。あの人形のような娘だからこそ、見てみたいと思う。
 まさか木偶のような身体であるはずがないのだが、四肢は本当に骨と肉によって繋がっているのか確かめてみたかった。
 馬鹿な想像をしていると思いながら、禁じられるほどに愚かな妄想は広がる。
 あれは本当に生きた人間なのか――――
「つつっ…まったく酷いなあ。なんだって、一日にこう何度も蹴られなきゃいけないんですかぁ」
 再び和寅の意識は妄想の彼方から舞い戻った。
「そんな事も判らないのか、バカオロカ。お前たちが馬鹿で愚かだからだっ」
「湯を持って来いと云うから持って来たんじゃなりませんか。それを蹴り飛ばすなんて…」
「当たり前だ。持って来いとは云ったが、這入って来いとは一言も云っていないぞ。その扉からこっちは神の領域だ! お前たちのような愚かな人間は入ってくることは出来ないのだ!」
「そんな事云ったって…和寅さんは這入っているじゃないですか」
 そうだ。自分は神の領域の一歩だけ中にいる。後ろにも前にも行けず、それこそ馬鹿のように頭から女物の帯を被って突っ立て居るのだ。
「馬鹿め、だから顔を覆っているのだろうが。神の領域に入って、目を開けていられるものか。そんな事をしたら、天罰で目玉が潰れるぞ!」
 不埒な目などいっそ潰れてしまえ!
 榎木津は愉快そうに笑った。


end


神の領域らしいです。