玄関先での挨拶もそこそこに、どすどすと廊下を踏み鳴らす音。
スパンと襖を勢いよく開けると共に、
「聞いてくださいよ、中禅寺さんッ!」
怒号の如き大音声に、京極堂は素直に顔をしかめた。どうせ、聞いていなくたって君は勝手に話すんだろう、と云い掛けて止める。
意味が無い。
どうしてここを訪ねる客人は、揃いも揃って皆勝手に話をするのか。
犬も喰わない
「で、要するに君は何が云いたいんだね。態々中野くんだりまで惚気話を聞かせに来たのかい」
途端に、違いますっ! と座卓の向かいに座る客人は、目を吊り上げた。まるで敵を威嚇する猫のようだ。
ヒステリックとまでは云わないが、この少女はいつもこうだ。
文句があると本人ではなく、いつも自分に云いに来る。
単に愚痴りたいのだろうが、それなら自分という人選は大いに誤りだ。京極堂は一方の言い分だけで他人を責めないし、世辞で相槌を打つような事はしない。筋が違えば、愚痴だろうとそれは違うと、堂々と指摘するような事をする。そんな事は当の本人は百も承知で、それでも腹の虫が収まらないから愚痴を云いに来たというのに、それでは余計にストレスを抱え込む。
だから、愚痴りたいのなら、学友にでも云いなさい、といつも京極堂は諭す。わざわざ中野まで来て、兄の友人という遠い縁を頼らなければならないほど、君の交友関係は狭いのかね、と。
すると、決まって少女はだって…、と唇を尖らせる。
「榎木津さんの事は、説明したってどうせ解からないんです」
その通りなのだ。あれの奇妙奇天烈な性格は、不幸にも実際に関わって被害を受けてしまった者にしかわからない。家柄も頭も顔も申し分ないだけに、あの男の本質を知らない人間には一切それが伝わらない。
いくら訴えかけても全くの暖簾に腕押し、ともすれば何を僻んでいるのだとこちらが悪者にされかねない。まったく、存在だけではた迷惑な男だ。
「だからと云って、そんな事を僕に云われたって困るよ。あの馬鹿が校門の前で待ち伏せしていてのが気に喰わないんだったら、はっきり迷惑です、と云えばいいじゃないか」
云うと、少女は何が云いたそうに京極堂を見たが、反論できる言葉を失い俯いてしまった。
京極堂は懐からタバコを取り出し、ため息と共に紫煙を吐き出した。
はいつもこうだ。文句は云うくせに、それを本人にぶつける事が出来ない。辟易しつつも、それを断ち切れない。要は恋人同士の一方的な痴話喧嘩に過ぎないのだ。
さっさと素直になってしまえば、色々なものが楽になるだろうに、若さ故かこの少女にはそれが出来ないのだ。もっとも、それは榎木津も同じ事で、要するにこの二人は同じような思考の回廊をぐるぐるぐるぐる、互いの背中を探しながら追いかけっこをしているだけなのだ。
馬鹿だな。馬鹿なのだ。この二人は、大馬鹿なんだ。
だが、それをはっきりと告げないあたり、自分も大概この娘には甘い。
本格的に落ち込み始めたを前に、京極堂はがりがりと頭を掻いた。ここにいるのがあの三文文士ならいざ知らず、セーラー服の女学生に泣かれでもしたら流石に心が痛む。
「まあ…あれも並々臆病者なんだよ」
「そうなんですか…?」
と、が怪訝そうな顔で尋ねる。
「そう。普段、神だ何だと豪語している割には、意外と怖がりだし恥かしがり屋でもあるんだ。考えてごらん。君と榎木津はいくつ離れている? 仮に本人の合意があったって、一歩間違えれば犯罪だよ」
そういうものですか、とは未だ不思議そうな顔をしている。確かに榎木津はとても三十代半ばとは思わせない風貌をしている。仮に二人が並んで歩いていても、せいぜい五、六ほどの歳の差しかないと、思われないのではないだろうか。実際はその二倍以上離れているのだが。
「だからね、君も憎からず思っているのなら、待ってばかりいないで自分から逢いに行きなさい。君が逢いに行かないから、あれが行くんだよ。君が探偵社にいけば、わざわざ女学院なんて目立つ場所に行きやしないさ」
云って、一度くらい見物しに行けば良かったな、と中禅寺は続けた。あの天衣無縫の榎木津礼二郎がどんな表情で、愛しの若紫を待っているのか、それはそれで興味が沸く。
もっとも女学生好きの榎木津のことだから、意外と楽しんでいたのではないかと邪推したが、それは口にしない事にした。
少女は理解したのかしていないのか、ともかく怒りは収まったらしく、もう用はありませんとばかりに、早々に座敷を辞去した。
まったく身勝手なのはどっちだろう。
「犯罪は余計だ」
が居なくなった頃を見計らい、隣の座敷の襖が開いた。
仏頂面の榎木津がひょいと、その長身を現す。
「まったく天下の榎木津礼二郎が聞いて呆れるね。あんたこんな殊勝な姿を木場の旦那や関口君に見せられるかい? 腑抜けとまでは云わないが、一回りも年下の小娘に懸想するなんて、ヤキが回ったんじゃあないのかい」
「京極堂、説教は御免だよ」
榎木津は面倒くさそうに手の平をひらひらと振って、話を流せと促した。態度はいつもの如く飄々としているが、心中は穏やかとは行かないはずだ。
「説教じゃないさ。これはあんたが思ってる事だよ。自分だって戸惑っているくせに、格好つけるんじゃあない」
煩いよ、と京極堂の厭味を一蹴して、榎木津はその場にごろりと横になった。いつもの如く縁側に頭の先がはみ出しかけているが、当人はまったく気にせずそのまま眠りに付くつもりであるらしい。
寝るだけならさっさと帰ってくれと、苦情を申し立てようとして、止めた。
云ったところで聞く相手ではない。
しかし、が来るまでの鬱陶しい不機嫌さがかき消されているから、後一眠りもすれば夕餉の前には帰るだろう。
ああ、そういえば、最後のあれ――と、今思いついたような口ぶりで榎木津が呟いた。
「京極堂にしては、気がきいているじゃないか」
たまには本馬鹿も役に立つもんだ、と余計な軽口で結んで、榎木津は京極堂に背を向けるように寝返りを打った。
今度こそ、本当に寝るつもりなのだろう。どんな顔でいるのか、一瞬見てやりたい気もしたが、鬼の泣き顔でも見るような不釣合いな薄気味悪さがあって、止めてしまった。
まったく、同じところをぐるぐると。
こんな話は犬だって喰いやしない。