天地人
「あやかしの長のくせにそんな事も分からないのですか。頭まで悪くなったら、いったい貴方に何が残るのです」
いつも通りの無愛想な面で、そんな事をぬけぬけとほざいた鬼灯に、よっぽど杯の酒をぶっかけてやろうかと白澤は思った。
だが、それを何とか思いとどまったのは、鬼灯の言葉の真意を知りたいと思ったからである。
涼やかな風の吹くとある晩のこと。地獄と天国の境を越えて、鬼灯と白澤が月を肴に酒を飲み交わしているのには意味がある。桃源郷に注文した生薬を取りに来ていた鬼灯が、白澤がの話ばかりするので貴方馴れ馴れしすぎます、自重しなさいと苦言を漏らしたのが原因だった。
それに対して、は姑獲鳥なのだから同郷の自分が仲良くして何が悪い、と白澤は反論したのだが、鬼灯の言葉は今は地獄の官吏なのだから天国連中がちょっかい出すんじゃありません、という手厳しいものだった。
「ほー。たかが就職先が地獄だってだけで、独占欲出さないでくれない? 翼を脱げば天帝少女。立派なこっちの存在だね」
天女だからね、天女――――と追い討ちをかける白澤。
だが、鬼灯はあくまでは地獄側の人間だと主張する。
かくしてがどちらのものか、本人の居ないところで勝手に天地を代表する男たちが酒を片手に議論を重ねる事になった。
「そもそも、さんの属性を論じる所から意味がないのですよ。彼女は三面鏡みたいなものなのです。一枚鏡の貴方とは違うんですよ」
出だしの鬼灯の言葉はこうだった。
「あ? 僕のこと、単純だって言ってる?」
「貴方の事なんてどうでもいいんです」
「コノヤロウ」
自分で振っておきながらあえてスルーするという高度な技を披露しつつ、鬼灯は澄ました顔で煙管を口にくわえた。
いいですか、と講義でもするように、全知の神獣である白澤に言って聞かせる。
「三相女神と言うものがあるでしょう。月の満ち欠けのように、幾つもの顔を持つ女神の事です。欧州では、こと地母神がこの姿で表わされる事がある。月の女神然り、運命の女神然り」
アルテミス・セレネ・ヘカーテ。
ウルズ・ベルダンディ・スクルト。
ついでに、イシュタル・イナンナ・アスタルトや、クロト・ラケシス・アトロポスなど、鬼灯が口にした女神のほかに、様々な顔が白澤の脳裏に浮かぶ。
美人で綺麗なおねーちゃんとして白澤の頭にインプットされていたわけだが、それはともかくとして。
「ギリシャ神話などでは、生と死と再生、過去と現在と未来は1セットで捉えられるのですよ。だから、命や運命の循環をつかさどる女神は三つの顔を持つのです」
はあ、と白澤は曖昧な返事を寄越した。彼女たちの事はただの美人三姉妹としか捉えていなかったし、そんな意味合いが込められているなどと意識した事はない。
「でも、ちゃんは中国妖怪だけど?」
ついでに月の化身でも、運命の女神でもない。
小首をひねって呟くと、煙管の先でこつりと額を叩かれた。
「貴方、馬鹿ですか。貴方の御国のシルクロードは、絹を運ぶだけの交易路ですか?」
「あー……文化が流れて来たってこと?」
「交易があると言う事は文化の交流もあったと考えるのが自然でしょう。姑獲鳥がギリシャ神話から生まれたなどと暴論を掲げるつもりはありませんが、白鳥乙女の説話は世界各国に見られ、ヒッタイトがその源流だという説もあります。ならさんにそういう西方の要素が含まれていても不思議ではないでしょう」
ううん、と白澤は分かったのか分からないのか曖昧な相槌を寄越した。
確かに鳥が羽毛を脱ぎ乙女になるという話は世界各地に見られるが、いきなり紀元前の話をされてもピンと来ない。中国四千年と呼ばれる大陸の歴史も、まだ始まったばかりの頃だ。
だが、白澤は突如ハッと息を飲み込むと、
「つまり……本来ならちゃんは金髪碧眼美女だったってこと!?」
「ちげーよ。馬鹿が」
大真面目な顔でボケとツッコミ――――当人たちは至極真面目なつもりだが――――を交わし、互いに相手を睨みつけてぐびりと杯を煽った。
「さっきの話は仮説ですよ。貴方相手に歴史の授業をするつもりもないし、検証する事に意味もありません」
ふうっと紫煙を夜の空に噴出した鬼灯に、じゃあ何なんだよ、と白澤がしかめっ面を向ける。
「最初に言った通りです。さんの属性は多様にして三面鏡のようなもの。論じる事など端から意味がないのです」
つまり、元は同じものを映していても、鏡によって見え方が違う。鬼灯はそう言いたいのだ。
姑獲鳥。またの名を天帝少女、夜行遊女。鬼鳥、鉤星、乳母鳥とも。言意、言喜、無辜鳥、陰飛も姑獲鳥の別の名であり、更に文献を漁るならば、鬼車や羽衣女を姑獲鳥の前身とするものもある。
だが、どの名で呼ばれようと、どんな風に見えようとそれは一つのものだ。
「生と死と再生に喩えると分かりやすいでしょう」
そう呟いて、鬼灯は酒瓶の結露の水滴で、テーブルの上に姑獲鳥を描いた。
「姑獲鳥は魂魄を能く収む――――死を運ぶ鳥です。西洋で言うところの死神、東洋の三途の川の水先案内人。これが羽を脱ぐ事で天帝少女となる」
姑獲鳥の隣りに矢印を引き、天女の絵を描く。意外とうまいのが癇に障ったが、白澤が黙ってその絵を眺めた。
「天帝少女は再生です。死の翼を脱ぐ事で生まれ変わる」
「つまり、地獄から天国の住人になるわけだ」
あくまで天帝少女は自分の眷属だと主張する白澤に、いい加減うんざりして、はいはいそういう事で構いませんよ、と鬼灯はぞんざいに返した。
だが、完全には譲らぬとばかりに、
「でも、あの羽は着脱可能ですからね」
と、鬼灯は付け足す事を忘れない。そういう意味では姑獲鳥は自分の眷属だと、鬼灯も同じ事を主張しているのだ。
「そういうわけで、姑獲鳥であろうと天帝少女であろうと、さんの本質は変わらないのですから、属性など意味はないのです。三界を行き来する彼女にとって、地獄にいたって羽毛を脱げば天帝少女だし、現世にいたって鳥の姿なら姑獲鳥です」
だから、地獄で働いている以上、貴方が独占欲を振りかざすのはお門違いなんですよ――――
最後にそう牽制し、鬼灯は話を締めくくった。
結局は自分の都合の良いように解釈されただけなような気もしたが、ふと別のことが気になって白澤は疑問を口にする。
「待てよ、お前。百歩譲って姑獲鳥がお前と同じ鬼神だとして、生の部分はどうなるんだよ。三つの顔のうち二つが天国側だったら、やっぱり僕の仲間じゃないか」
そんな事を口にした白澤に、鬼灯は呆れたような顔を作り冒頭の侮蔑の言葉を吐いた。
貴方、馬鹿ですか――――と、貶める言葉を繰り返し、
「生の部分は私も貴方にも支配できない部分ですよ。三界と言っているのだから、説明しなくてもそのくらい分かるでしょう」
鬼灯は滔々と白澤への罵倒の言葉を続けつつ、姑獲鳥の絵の左隣に赤子の姿を書いた。そこから矢印を姑獲鳥へ向かって伸ばす。
そこでようやく白澤は理解する。
鬼灯にも白澤にも支配できない真っ白な存在。生命と活力に満ちたその存在の名は、
「人間ですよ。人として生まれ、死の翼を得て姑獲鳥へと変じる。やがて死の翼を脱ぎ、天上に昇ったのち、再び人へ生まれ変わるのです」
三界を渡る彼女は貴方のものにも、私のものにもなりませんよ――――
少しだけ悔しげにそう零した鬼灯の事を、なんだコイツも嫉妬しているんじゃないかと、白澤はにんまりとした笑みを浮かべた。
それに気づいて鬼灯はむっと顔をしかめると、
「でもまあ、今はうちの職員ですけどね」
と天界の神獣に向かって牽制の一言を放ったのだった。
end
姑獲鳥の捏造話でした。
人間から妖鳥に変じ、同時に天帝少女でもある姑獲鳥って、
なんかギリシャ神話とかの三位一体の女神に似てるよね、
と、妄想の果てに書き上げました。