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 ワダツミの夢を見た。
 いつものようには泣いている。泣きながら、帰して、帰してと海の方へと歩いていく。
 いつもの白澤であれば、軽口でを誘っただろう。
 だが、あの光景を見てしまった今、そんな言葉を吐く事はさすがの白澤も出来なかった。




ワダツミ03





「お前、知ってたの?」
 いつの間にか、入り口の処に鬼灯が立っていた。両腕を組んで、浄玻璃鏡の前に膝をついた白澤を見下ろしている。
 鬼灯は答える代わりに無言で白澤の隣りに立つと、リモコンを白澤の手から奪い電源を切った。
「もういいでしょう」
 静かな声で告げる。
「あなたがどういう意図で、さんを調べようと思ったのか知りませんが過去は過去です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「なにそれ。見なかった事にしろって言ってんの?」
「違います。覚えているのは構わない。しかし、知らない振りはしてください」
 白澤はむっと眉をしかめた。
 そもそも他言無用と鬼灯の言った意味を、白澤は勘違いしていた。プライバシーの観点から第三者へ口外するなと言っているのだと思っていたが、そうではなく第三者ももちろんの事、自身に決して悟られるなと言いたかったのだ。
さんはこの事を覚えていません」
 てきぱきと浄玻璃鏡を片しながら鬼灯は言う。白澤の方を振り返らないまま、
「稀に居るのです。酷い死に方をしてPDSに苦しむ方が。そういう死者のために、レテの水の服用が許されるケースがあります」
 EU地獄の名所であり、別名・忘却の川とも呼ばれるレテ川の水は、記憶を奪う作用を持つ。白澤の作る金丹のように簡単に国外に持ち出せる代物ではないが、地獄同士の繋がりで取引があると聞いたことがある。
ちゃんがそれを飲んだ?」
 答える代わりに、鬼灯は説明を続けた。
「レテの水を飲む事が許されるのは、医師が死の記憶が地獄の生活に支障をきたすと判断した場合のみです。これは滅多な事では認可は下りません。地獄とは生前の行いを悔い、罰を受けるべき場所なのですから」
 つまり、はその条件に当てはまるほど、ひどい心の傷を負っていたと言う事だ。でなければ、現世の行いから逃れることを許されるはずがない。
 ここではすべて受け止めなければならないのだ。
 罪も、罰も、痛みも、苦しみも、恨みも、怒りも、憎しみも、悲しみも、ぜんぶ。
「繰り返しますが、貴方がどういう経緯で知ろうと思ったのかは知りません。ですが、知った以上は責任を取ってください」
「知らない振りをする?」
「本来……こんな事は他人が知るべきことじゃない。しかし、あなたの場合、ひょんなきっかけで気づいてしまうかもしれないからお見せする事にしました」
 くれぐれも他言無用で。
 再び鬼灯はその言葉を口にした。
「わかったよ」
 そっけない口ぶりで白澤が言う。
 一瞬、ほっと安堵したような顔をした鬼灯に、白澤は続けて質問をする。
「……アイツらは今どこに居るの?」
 アイツらが誰を指すのか鬼灯は瞬時に理解したが、答えを躊躇するように鬼灯の口はなかなか開かなかった。
「然るべき処罰を受けていますよ」
 それが精一杯の返答だ。ふうぅ〜ん、と思わせぶりな声を上げて、白澤はすくっと立ち上がる。
 邪魔したね、と一言告げて去っていく背中に、鬼灯は釘を刺すように問いかけた。
「聞いてどうするのです」
 質問を答えた後にこんな事を聞いても真面目な回答が返ってくるとは思わなかったが、白澤の纏う空気が鬼灯の想像以上に不穏なもので、それを危うく感じた。
 べつに、とやはり適当な答えが返ってくる。
「貴方の出る幕はありませんよ、白豚さん。罪は罰によって裁かれる」
 お前がどう思ったってとっくに終わった出来事なんだ。
 鬼灯が鋭い目で睨みつける。
 だが、白澤はそれをせせら笑うようにへらりと笑みを浮かべ、
「俗世の物差しなんて僕は知らないよ」




end


秘密の協定。
鬼灯さんは不本意でしょうが。