したり顔で娘が云う。鬼灯は無言のまま、だが眉根をしかめて生意気な口を利く娘を睨み付けた。
「狼が兎を喰らうのは悪でしょうか?」
「弱肉強食と善悪を同じに考えてはいけません」
「では、邪悪たれと生み出された鬼や魔物は? その存在は罪ですか?」
「それとこれとは話がべ」
応える前に娘が遮る。
「雪女が男を凍らせるのは? 鬼が人を喰らうのは? 姑獲鳥が子供を攫うのは?」
開きかけた唇を閉じたその鬼灯の動きに目を細め、娘が嗤う。
嫣然と。
まるで何もかも知っているようなしたり顔で云うのだ。
「この世のものは須らく理に支配されているのです」
「……知ったような顔で言うのですね」
ろくに生きてもいないくせに、と。鬼灯は忌々しそうに胸中で呟く。
だが、鬼灯がこの娘をどうにかする事など出来ない。そして、彼が――――地獄の官吏が生きた者に対し、何の懲罰も与えられない事を知りつつ、娘は戯言にも似た問答を繰り返すのだ。
灰色の翼を衣のように纏い、娘は繰り返す。
「これは罪ですか? 鬼灯様」
天帝少女の地獄逝き・秘密の秘密
「………」
起き掛けにあの馬鹿のせいだと思った。
窓から光が差し込み、額には枕の痕がついている。いつもの朝だ――――が、鬼灯の目覚めは最悪である。
嫌な夢を見た。
ずっと昔の――――何百年も前の事だ。
こんな夢を見たのも、どこぞの軽薄薬剤師が千年近く昔の話を、自慢げに話したせいに違いない。あんな話など聞かなければきっとあと百年は――――いや、運が良ければ半永久的に記憶の底に沈んで思い出さなかったかもしれないのに。
「言動すべてが不愉快ですね、白澤さんは」
本人が居ないのをいい事に、過激な毒を吐きつつも鬼灯はてきぱきと朝の支度を済ませ、職場へ向かった。
「鬼灯様、おはようございます」
と、執務室で鬼灯を出迎えたのは、両手いっぱいに巻物を抱えただった。
「おはようございます。ずいぶん大荷物ですね?」
挨拶を返しつつ、の手から半分巻物を受け取った。手伝いますよ、と書架の扉を開いた鬼灯に、頭を下げながらは苦笑を漏らす。
「ちょうどそこで茄子さんに会って」
「ついでだから、書架へ運んで欲しいと?」
「はい」
それでこの大量の巻物を引き受けてしまったのか。見れば、手に抱えた巻物のほかにも、の机の上には山のように積まれている。
確かに書架は執務室の奥だし、鬼灯の持つ鍵が要る。秘書官自身に任せてしまうのが早いが、己の職務を怠るのはどうだろう。今度茄子に会ったら叱っておかねばならないな、とぶつぶつ呟いていると、書架の奥の方でがあれ? と怪訝な声を上げた。
「鬼灯様、これなんでしょう?」
と、本棚の前で屈み、ぼんやりと光る巻物を指差した。
喩えるなら毒を具現化した色とでも言うべきか――――紫の雲のようなものが紐状になり、巻物をぐるりと一周して結ばれている。
初めて目にする不可思議なそれに、は興味深そうに手を伸ばし――――
「さん、いけません!」
鬼灯の警告と共に、バシッと稲妻のような光が指先に迸った。
悲鳴と共に驚いてが手を引っ込める。
慌てて鬼灯が駆け寄ると、の白い指先は酷い火傷を受け、割れた爪の合間から血が滴っていた。
「ほ、鬼灯様、これは……?」
痛みよりも驚きに目を白黒させるに、鬼灯は早口で原因を説明する。
「もっと早く話しておくべきでした。この書架には特Aクラスの情報も収められていて、権限を持たない者は触れる事も赦されていないのです」
「あ、じゃあ、これが……」
は依然として奇妙な光を放つそれに目をやる。情報を盗み見ようとしたわけではないが、知らずに手にしただけでこの大怪我とはいささか度を過ぎたセキュリティに思えた。
「別の場所に移した方が良さそうですね」
「はい、できれば……」
あの世で死ぬ事はないが、痛覚はそれなりにあるので、誤って再び触れないためにもそうしてもらえると助かる。鬼灯は懐からハンカチを抜き出すと、血で汚れてしまうのも厭わずそっとの指先を包んだ。
「これは私が移動させておきます。さんは早く医務室へ行ってください」
「はい、すみません」
ぺこりと一礼してが去っていくと、鬼灯は思わずほうっとため息をついていた。
まったく何と言う日だろう、と胸中で毒づく。それもこれも、きっとあの軽薄薬剤師のせいに違いない。
鬼灯はぼんやりと光る巻物をひょいと手にすると、扉が閉まっている事を確かめ、するりとそれを紐解いた。
閻魔大王の秘書官の部屋に続く書架とは、つまるところ閻魔大王の法廷に関わる情報が収められている場所である。そして、その場所で特Aレベルで扱われるのは、その法廷において何らかの機密事項を収めたものであるという事だ。
己の失態に鬼灯は再びため息を漏らす。
今までこの書架を利用していたのは自分だけだったため、うっかりこういった禁書が仕舞われて居る事をに説明し損ねていたのだ。
知っていたなら、も興味本位でこの書に触れる事などなかっただろう。そして――――きっと鬼灯もこの事を思い出す事などなかったのだ。
夢に続き、こんな偶然でこの記憶を呼び起こさせられるとは――――まったくもって、悪い偶然としか言いようがない。
この書を眺めるのは一体いつぶりなのだろう。
機密中の機密。極秘中の極秘。
あの世においてもわずかの者しか知らない秘密――――
鬼灯は視線を書の上に滑らし、その中にの名を見つけ、すっと目を細めるのだった。
end
新章突入です。
今回は鬼灯とヒロインの物語。
禁書に綴られたヒロインの名前の意味とは?
次回に続きます。