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 実のところを言うと、の事を忘れかけていた――――
 世界には同じ顔をした人間が三人居るのだと言う。嘘か本当か知らないが、人間の人生がおよそ百年ならば、永遠の命を持つ白澤がに似た少女に出会う事がいつの間にか“よくあること”に変わっていったのも頷けるだろう。
 天界にに似た少女が現れると、自由な人生は楽しかった? と尋ねる。君はずっと自分のために生きてこなかったから、自由な翼を手に入れた後は幸せだったのかな、と続ける。
 相手が怪訝な表情を寄越したところで、ああ、この子じゃない、と気づくのだ。
 他人のそら似。それが懐かしくも、悲しくもあった。お決まりのようにその後、続けざまに口説くのも寂しかったのだと言い訳すれば、どこか正当化できてしまうかもしれない。
 そんな少女に何人も会った。
 何人も、何人も、何百年も彼は待ち続け――――ある日、鬼灯の遣いという少女がこの薬局を訪れたのだ。
 だが、その少女は白澤の事を覚えていなかった。



天帝少女の地獄逝き・続皇帝公主





 忘れるという事は救いの一つだよ――――
 気だるげな表情でカウンターに突っ伏した白澤が、ちらりと上目遣いにを見やり呟いた。
「脳に詰め込める情報は限られてるんだ。何千年、何万年も生きてるとね、昔のものから薄れていくんだよ」
「それで鬼灯様のことを?」
「そうかもね。ま、残してても無駄な記憶だから」
 そう言って、白澤はへらりと笑った。
 鬼灯が補佐官となる前に、実は二人は出会っていたのらしいのだが、鬼灯の記憶からも白澤の記憶からもお互いの存在は抜け落ちてしまっていた。もしこの場に鬼灯が居れば、同じように不要な情報に貴重な容量は割けない、と言ったかもしれない。
 それでひと喧嘩あったかもしれないが、それはともかくとして。
「それにねぇ、いつまでも覚えていると辛い事もあるんだよ。死なない身体だと特にね」
 珍しく神妙な顔をして、白澤はカウンターの上に頬を預けたまま、結露するグラスを眺めた。
 夏を知らない桃源郷は常春のような気候だが、下界の風情を楽しむため、戸棚の奥から引っ張り出されたグラスには透き通った麦茶が注がれている。その氷が解けてカラリと涼しい音がする。
「白澤様にも辛い事が?」
 いつもへらへらしている白澤に人並みにもそう思う事があるのかと、不躾には驚いて見せた。もちろん、と白澤は頬の肉を緩めて笑う。
「妖怪だって、神獣だって、辛い事くらいあるよ。辛くって辛くって忘れてしまいたい事とか」
 呟いて、白澤は目を細める。そうしている様は、遥か昔、薄靄の中に埋もれてしまった記憶を思い出そうとするようだった。
「大切な子がいたんだけどね。お気に入りの。賢い子だった」
「皇帝ですか? 確かに人間の寿命は短いですから……」
 どこかの賢帝の話でもしているのだろうとは想像した。皇帝にとってのラッキーアイテムである白澤は、たびたび現世に降りて徳の高い為政者の前に姿を現すと聞き知っていたからだ。
 それが一体誰の事か、本当のことを伝えたらどう思うだろう――――そう考えかけて、しかし白澤は真実を伝えなかった。結露したグラスの側面を指で撫でながら、遠い目で語る。
「普通に天寿を全うしてくれたのなら、諦めもついたのかもしれない。でもあの子は特殊な形で、僕の前から居なくなってしまったから」
 天から伸びた灰色の翼がを包んで連れ去っていってしまう。
 あの光景を、白澤は一時期悪夢のように見続けた。
 あと一歩のところで魂を奪われ、だがそれが彼女の望んだ事なのだと思うと、悔しさと腹立たしさと同じくらいのやり切れなさで、頭がどうにかなってしまいそうだった。
 悩むなんて神獣らしくない。
 吉兆の印である自分はいつでもハッピーで、悩みなど抱えず、自由気ままに、誰にもとらわれず生きるべきなのだ。それが白澤の本分なら、こんな感情は忘れてしまえばいい。静かに、穏やかに、記憶の奥へ、底へ。
「それで……忘れる事が出来たのですか?」
 の澄んだ瞳が白澤を見つめている。
 白澤はじっとその瞳を見つめ返し、ふいにへらりと緩い笑みを浮かべた。
「忘れられなかったよ。完全には。でも、今はそれで良かったと思ってる」
 こうしてまた会えたからね――――
 胸中で呟く。声には出さず、だが肉声よりも強い声で。
「そういうものなのですか?」
「そういうものなの。ちゃんも永く生きれば分かるよ」
 白澤様ほど生きられません。っていうか、もう死んでます――――そんな事をは応えたが、白澤はただ柔らかな笑みを浮かべただけだった。
 きっと彼女は白澤のように長く存在する事は出来ないだろう。存在そのものが白澤のように永遠ではないし、姑獲鳥の性質としていつかまた人間になって生まれ変わってしまうかもしれない。
 だが、それでもずっと待ち続ければ、いつかこうしてまた出会う日が来る。
 そして、こんな風に気だるい午後を一緒に過ごす事が出来るのだ――――
ちゃん。明日、デートしようよ。明後日は一緒にご飯を食べに行こうよ。明々後日は買い物に、その次の日はお酒を飲みに行こう」
 その次も、その次も、その次の日も、こうして一緒にいようよ――――
 白澤の言葉には少しだけ微笑んで、
「明日も明後日も仕事ですよ」
 いつものつれない応答に、やはり白澤は笑みを浮かべるのだった。




end


長編その後の話。
待ち人がようやく訪れた白澤さん。
ですが、恋は未だ実らず。