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天帝少女の地獄逝き・皇帝公主06





「今更あらわれて、どういうつもりなの」
 朝霞の漂う山頂で、白澤は不機嫌そうな声を女の後姿にぶつけた。
 羽衣を纏った姿は天女のように見えるが、それは姑獲鳥のもう一つの顔に過ぎない。女怪は胸に抱いた赤子をあやしながら、ごめんなさい、とさして詫び入れない調子で言った。
「あなたの神気が強すぎて近づけなかったの。何度も迎えに行ったのよ?」
 嫣然な笑みを浮かべ、姑獲鳥が振り返る。
 怒り出したい気持ちだったが、胸に抱かれた赤子を見るとその言葉は喉の奥へと引っ込んで言ってしまう。
 これがにとって幸せだったのだろうか。何もかも忘れ、姑獲鳥と成る事が。
「あなたと行ってもこの子はきっと思い悩んで苦しんだわ。皆を騙し続けていた事は変わらないもの。それに、現世の事も忘れられないでしょうね。天界で生きる者には下界の記憶は酷だわ」
「だから、こうなる事が幸せ?」
「あなたの若紫になるよりは、ね」
 白澤は姑獲鳥を鋭い目で睥睨したが、女怪はただうふふと笑うだけだった。
 多くの女神や悪魔と火遊びをしてきた白澤だったが、どうにもこの女は昔から苦手だ。子供の事しか眼中にないとばかりに、白澤の誘いに一切なびかない。すべてあの嫣然とした笑みに流されてしまう。
 良くも悪くもこの女は母親だった。むしろそれ以外の要素を持たないように、子を慈しみ、愛し、求め、拘泥する。
 慈愛と束縛の両極端のみを誇張したような女だ。を立派な姑獲鳥に育て上げるだろうが、それが果たして本当に幸せなのか分からなかった。
 その時、女怪が白澤の名を呼んだ。
「ねえ、白澤様。喜んでくださいな」
「……」
「祝福してくださいな、この子の誕生を。死を受け入れるからこそ、別のものへと生まれ変わるのですわ。姑獲鳥は死へ導くもの。誘うもの。地獄があるから天国がある。河岸があるから彼岸がある。ねえ、そうでしょう」
「……僕は死なないから、そんな死生観は持ち合わせていないね」
 拗ねた顔で呟くと、そうでしたわね、と姑獲鳥はころころと笑った。
「こんなものは通過儀礼。すぐにこの子も大人になって、いつか自然とあなたの元へ参りましょう」
 だから、白澤様。お引取りを――――
 姑獲鳥はにっこり微笑んだが、その一言だけで白澤は気おされた。
 神格を比べるならいくつも格下の女怪に、白澤が手も足も出なかったのだ。
 あの桃色の衣を産着にして、はすやすやと眠っている。愛しい子、可愛い子、と姑獲鳥はもう白澤に用はないとばかりに子守唄を口ずさみ始めた。
 そして月日は流れ――――





「こうして僕たちはあの世で再会したってわけ。分かった? 僕とちゃんが深い縁で結ばれてる理由」
 どうだ参ったかとばかりに腕を組んでぐっと胸を反らした白澤だったが、白澤の予想に反して鬼灯からの反応はなかった。完全に自分が横恋慕している事実にショックでも受けたのかと思いきや、沈黙を続けている鬼灯の顔はそれはもう可哀相な人でも見るような、哀れみと蔑みに満ち溢れていた。
「なっ、なんだよ、その目!」
「はぁ……。天国の人は暢気な上に、頭が幸せに出来ていていいですねぇ」
 説明するのも面倒くさいのか、鬼灯は深くため息をつき頬杖をついて顔を背けた。
「自信満々に言うからどんな既成事実があるのかと思えば、そんな事ですか」
「そんな事って酷ッ! 僕の思い出をそんな事で片付けるな!」
 だが、がなり立てる白澤を見やっては、鬼灯は半眼でため息をつく。直接口に出すより、もっと馬鹿にされた気分だ。
 いいですか白澤さん、と鬼灯が肩をすくめて言葉を続ける。
「姑獲鳥は人から姑獲鳥に変わる時に、一度半死状態になり自分をリセットします。さんは姑獲鳥に攫われた時、あの世を介さずにそこで生まれ変わったんです」
「そんなコト知ってるよ。だから何?」
 人間からあやかしへ。羽毛の着脱で姑獲鳥にも天帝少女にも変わる、陰と陽を併せ持つ存在へ変じたのだ。
 わからないですかねぇ、と鬼灯はあきれて見せる。
「死なない身体の貴方には理解し難いのかもしれませんが、すでに一度生まれ変わったさんにとって、貴方との事はとっくのとうにリセットされているのです。つまり、約束も無効! 前世の誓いもノーカウントなのですっ!」
 犯人を追い詰める探偵役のように、鬼灯はまっすぐに伸ばした人差し指を白澤の鼻先に突きつけた。うろたえる白澤の異論など聞かず、さあ生写真を寄越しなさい! と白衣のポケットを勝手にまさぐった。
「い、異議あり! あの時のちゃんは完全に死んだわけじゃない! 僕との約束も有効だ!」
「異議を却下します! さんは貴方の事なんてこれっぽっちも覚えていませんでしたよ!」
「なんでお前が勝手に却下出来るんだよ!」
「過去の男に異論など認められないのですよ。そのまま記憶ごと居なくなってしまえば良かったのに、性懲りもなくまた現れるとは。何世紀またいでストーキングしてるんですか!」
 ぎゃーぎゃーと言い争う二人の諍いはやがて物理的な攻防に至り、あれは僕の乳だ、いいからHDDごと寄越せ、となんとも恥ずかしい台詞を怒鳴りあいながら、相手の頬を抓ったり胸倉を掴み上げたりし始めた。そして、の生乳写真――――と言っても、ぎりぎりで全部は写っていない――――を今にも破けそうな勢いで両端から掴み合った。
 それこそ外から戻って来たの存在に、声をかけられるまで気づかないほどに一生懸命。
「あの〜……」
 中に入っていいのか分からず、が執務室の扉の向こうからそっと顔を覗かせた。
「あ、ちゃん!」
 女のコの登場に反応し、白澤が振り返った瞬間、力のバランスが崩れて鬼灯が勢い良く後ろに転んだ。その表紙にの写真はふわりと宙に浮かび、ひらりとの足元に舞い落ちる。
「なんですか、これ?」
 がそっと拾い上げた瞬間。韋駄天の如き勢いで、すでに鬼灯は逃げ出していた。
「あっ、このやろ! 鬼灯!」
「え……え、ええええええ!?」
 逃げ遅れた白澤の前で、の顔が混乱と怒りと恥ずかしさで真っ赤に染まっていく。そして同時に、の周囲にどこからともなく、ポウッと青白い燐の炎が漂い始めた。
 姑獲鳥の纏う魂の炎が、の感情を表すように、ごうごうと音を立てて燃え盛る。
 そして、ぶるぶると拳を震わせながらは白澤を睨みつけると、
「白澤様のヘンタイ!」
 ごうっと一瞬のうちにして、桃源郷の神獣は炎に包まれたのだった。




end


この後、鬼灯さんは
「あのアホが猥褻物を持ち歩いていたので、押収しようとしただけです」とか
しれっと統べての罪を白澤に押し付けそうです。
で、それとは別に、元データを寄越せとか白澤に言いそうですね。
これにて「皇帝公主」完結です!
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。