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天帝少女の地獄逝き・皇帝公主05





 ぽたり、ぽたり、ぽたり――――
 水滴の音がするのはきっと幻聴なのだろう。
 傷口から流れる鮮血は雫などではなく、小さな小川を作って床に流れ出ていたのだ。
 横たわったまま真横に傾いた視界で、を刺した刺客が白澤の力によって吹き飛ばされるのが見えた。
 皇太后の差し金か――――
 は妙に冷静な心地でそれを眺めている。
 小隊ほどの人数を、白澤は神通力で指先を触れる事すらせず壊滅させた。
「お前……殺しは趣味じゃないんじゃなかったのか……」
 か細い声で呟いたを、白澤が抱き起こす。
「殺してないよ。死ぬほど痛い思いはしたかもしれないけど」
 いつもへらへらと浮かべている笑みをこそぎ落とし、まったくの感情の見えない顔で白澤が言った。
「困ったな……最後の最後に……下手をうった……」
 は冷静そのものだが、触れた身体からどんどん体温が抜け落ちていくのが感じられる。死の足音がはっきりと白澤の耳には届いた。
「もういいんじゃないの。君は立派だった。禅譲はきっとうまく行く。だからさ」
 もう休みなよ――――
 白澤の白い手のひらがの額を撫でる。暖かく、柔らかで、このまままどろんで眠りたい誘惑に駆られた。
 だが、は微かに首を横に振る。
「駄目だ……私は、何者にも殺されてはならない……だから、お願いだ。白澤……私の願いを聞いてくれ」
 の大きな瞳に大粒の涙が浮かんだ。
 この四年間共にいたが、それが白澤が目にする初めての涙だった。
 音もなくそれが流れ落ち、いくつもの雨を白澤の手に降らせる。
「……僕はそういう類のものじゃないよ」
「それでもお願いだ」
「神龍にでも頼みなよ……」
「あいにく七つ集めている暇がない」
「じゃあ……言うこと聞いたら、エロイ事していい?」
「ははっ……お前、神獣というより淫獣だな。……好きにしろ。私の魂は……お前にくれてやる」
 だから、お願いだ。白澤――――
 縋るように白澤の衣を掴んだの指先が、するりと落ちた。真っ白な彼の衣は、血に汚れ、紅に染まっていく。
 次第に呼吸が緩やかになるの顔を、白澤はひどく不機嫌な顔で見つめた。
 今日は厄日だ。そんな事を呟いた瞬間、の視界が光で溢れた――――





 月の昇る真夜中に、突如集められた百官は驚きを隠せなかった。
 突如、皇帝が禅譲の儀の執行を決め、それは次期皇帝であるの弟も同様だった。
 だが、神託が下った、今すぐ執り行うとが言えばそれに従うほかない。
 月明かりが差す祭壇の上で儀式は粛々と執り行われ、は皇帝の証である玉璽を弟の手に手渡したのである。
「今日からお前がこの国を統べよ。民の声をよく聞き、臣を信じ、争いのない豊かな国にしてくれ」
「はっ」
 弟の最後となる臣下の礼を向けられ、はようやく丈の長い龍袍を脱ぐ事を許された。
 月明かりの下に浮かび上がるの華奢な身体に、皆はこれほどまでに皇帝は細身だったのかと驚いた事だろう。まるで女人のようだと何人かは思ったかもしれない。あるいは、これほどまでに皇帝の病は進んでいたのかと嘆くものもいたかもしれない。
 だが、これですべてが終わる――――
 の身体がぐらりと揺れた。
 まるで糸の切れた人形のように、ゆっくりと、その場に崩れ落ちる。
 目が霞んだ。白澤の力で傷口は塞いだが、失われた血は戻らない。さすがの白澤も死の運命を覆す事は出来ないのだ。
 だが、に後悔はなかった。これでいい。姑獲鳥は現れなかったが、は秘密を守り、役目を果たして去る事が出来る。
「白澤……頼む……」
 小さく呟くと、の傍らに白い獣が姿を現した。無数の目を携えた巨大な獣が、の身体を取り囲むように身体をねじらせる。
 白澤の姿に、一同が騒然となったが、の耳には届かない。潮騒の音くらいにしか、聞こえない。
「行こう。何にも縛られない場所へ」
 白澤の声が直接脳に響き渡る。
 はもはや返事も出来ず、応えるように一粒の涙を零した。
 刹那――――
 ふわり、と上空から灰色の羽が舞い降りた。
 がゆっくりと視線を向けると、青白い火の粉を振り撒き嫣然と微笑む女怪が、夜空に羽ばたいていた。
「姑獲……ちょう……」
 白澤が牽制するように獣のような唸り声を上げたが、姑獲鳥は視線をから離さずにゆっくりと降り立つと、の頭上に輝く翼をかざした。
 どこからともなく歌声が響く。深い眠りに誘うような、柔らかな子守唄だ。
「眠りなさい、可愛い子。何もかも忘れてお往きなさい」
 歌声に誘われるように、の瞼はゆるゆると降りて行った。
 最後の力を絞り出すようには白澤に向けて微笑むと、
「ありが……とう……」
 そしては青白い炎となった。




end


姑獲鳥に誘われヒロインが向かった先とは。
次回、最終話です。
余談ですが龍袍って明朝のものだったんですね……
作中の国は架空の王朝と言う事にしておいてください。。