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春を忘れず





「う〜ん」
 うさぎ漢方 極楽満月。ここは神獣・白澤が商う桃源郷の薬局である。
 いつもはへらへらと締りのない顔をしている白澤だが、今は何故か眉間に皺を寄せて真面目な顔で分厚い本を睨みつけている。長い前髪を掻き上げ額の瞳まで使っている事からも、彼の本気がうかがえた。
「どうしたんですか、白澤様?」
 怪訝に思い、ひょいっと桃太郎が背後から紙面を覗き込むと、何やら細かい文字がびっしりと書かれている。
 うわ、難しそうな本読んでるなぁ――――
 しかし、万物を知る神獣である白澤に、知らない知識などあるのだろうか。桃太郎がここに来てから、白澤が何か書籍を参考にしつつ薬を作ると言うのを見たことがない。
 つまり、すべて頭の中に詰まっているのだ。
 その博識を感嘆すると共に、せっかくの賢い頭が常日頃ピンク色に染まっている事を嘆いていたのだが、彼もこんな真剣な顔をするのだと驚かされた。
「ええと……本草綱目?」
 桃太郎の記憶が確かなら中国の薬学書だ。なぜ今更こんなものを眺めているのだろう、と怪訝に思っていると白澤が顔を上げた。
「この本、読んだことある? 桃タロー君」
 白澤の問いかけに桃太郎はかぶりを振った。
「すみません、勉強不足で」
「ああ、いいの、いいの。重要なのは薬の事なんかじゃないから」
 ここ見て、と白澤はとある一文を指差すと桃太郎の目前に本を掲げた。

姑獲鳥────
鬼神ノ類ナリ。能ク人ノ魂魄ヲ収ム。荊州多クコレアリ、毛ヲ衣テ飛鳥トナリ、毛抜ケテ女人トナル。コレ、産婦ノ死後化セルモノ。故ニ胸ノ前ニ両乳アリ。
喜ンデ人ノ子ヲ捕リ養ッテ己ノ子トナス。凡ソ小児アル家、夜衣物ヲ露ハスベカラズ。コノ鳥夜飛ビ来テ血ヲ以テコレニ点シテ誌トナス。児スナハチ驚癇及ビ疳疾ヲ病ム。コレヲ無辜疳トイフナリ。
ケダシコノ鳥、純ラ雌ニシテ雄ナシ。七八月ノ夜飛ンデ人ヲ惑ス。
「本草綱目」

「あれ、これって……」
「そう、ちゃんのこと!」
 白澤はぽんと両手を打って嬉しそうに微笑んだ。
「でも、白澤様、妖怪の事ならなんでもご存知なんじゃないんですか?」
 この男はかつて白澤拓から逃れるために、多くの妖怪の事を黄帝にゲロって逃げた妖怪界の裏切り者である。きっとこの記述も、元をたどれば白澤の語った内容が元になっているのだ。今更、本から学ぶ事などないだろう。
 だが、それを伝えると白澤は肩をすくめた。
「重要なのはそこじゃないよ」
 と、呟き手にした蛍光ペンでとある一文に線を引く。
 その一文とは――――
『故ニ胸ノ前ニ両乳アリ。』
「……」
 桃太郎の大変残念なものを見るような視線が、白澤の顔面に突き刺さったが、この軽薄薬剤師には一切通じなかった。
 何を考えているのか手に取るように分かる。どうか口にしないで下さいと胸中で念じたが、
「両乳!」
 やはりこの残念な神獣はそれを口にした。
 恍惚と興奮の最中でまるで男子中学生のように、そのワードを何度も連呼する。
「いいよね。姑獲鳥。サイコー」
 姑獲鳥が最高なのではなく、乳が最高なんでしょうアンタの場合――――
 桃太郎は視線で訴えかけたが、白澤は鼻息荒くいいね、いいねと文字だけで綴られた姑獲鳥に賞賛を送っている。
 何年生きてきたかは知らないが、この人が老け込まないのはいつまで経っても春を――――かなり青臭い春を忘れないからだろうか。
 そんな事を、桃太郎はぽつりと頭の隅で考えた。




end


色々すみません。
白澤様はきっとこういうの無邪気に喜びそうだなぁと思って。
鬼灯様は無表情で喜びます(笑)