番いの兎
ある団員の書記より――――
本日より春雨・第七師団に配属される。
師団長は夜兎の青年。話に聞いていたよりだいぶ若く、幼い印象を受ける。
会ってすぐさま俺と闘ってよ、と喧嘩を吹っかけられる。適当にいなしたが俺は肋骨にひび、戦艦にどでかい穴を開ける羽目になる。
なんなんだこのガキ。
これからこんな頭の悪い奴の子守をしなくちゃなんねぇと思うと溜息しか出てこない。
頭の悪いガキだと思っていたが、想像以上に頭が悪かった事をつい最近思い知らされる。
デスクワークはロクにしねぇ、強そうな奴には片っ端から喧嘩をふっかける、逆に弱い奴には目もくれない。
暴れるためだけに春雨にいるらしい。
なるほど、こりゃ今までの副団長達がどいつも長続きしなかったはずだ。
団長に仕事をさせるのは諦め、執務はほぼ自分でこなす事にした。おかげでろくすっぽ眠れやしねぇ。
餌の準備が出来たと連絡を受ける。
ここ数ヶ月、仕事に忙殺されすっかり任務の事を忘れていた。
餌の写真を入手する。
紅い目と銀の髪が印象的な女だ。まだまだ女と呼ぶには青臭いツラだが、ガキの餌には十分だろう。殺し屋として舞台に立つ事になると連絡を受ける。
準備は整っているが、果たしてうまく行くか……
女が団長にすぐ殺されちまわない事を祈るばかりだ。
少しばかり手違いが生じたが、概ね順調と言える。むしろ順調すぎて、もっと疑うべきか?
餌は正しく機能した。クスリもそれなりに効果があったらしい。惚れ薬なんて言う胡散臭ぇもんは信用していなかったが、要は吊り橋効果を増幅させるようなもんらしい。
生理的な興奮状態を、恋愛と誤認してしまうのだろう。
ただでさえ食う事と殺す事しか体験して来なかった男だ。恋愛感情には疎い。初めて会う同族の女にころっといっちまうのは、男としてわからなくもない。
餌の方が中々いう事を聞かなかったが、ようやく春雨に引き込む事に成功する。自分の属していた組織に裏切られ、それなりにショックだったのかもしれない。
奥手に輪をかけたような雌だが、あの団長にはこのくらいで丁度いいのかもしれない。
妙に変な色気を出されると、逆に疑われそうだ。
何はともあれ仕度はこれで整った。
後はなるように任せればいい。
せいぜい束の間の幸せを噛み締めやがれ。
元老院のジジイから連絡を受ける。
機は熟した。番いの兎を仕留めろ――――
どうにも気が進まないが、命であれば聞くしかない。
雌を人質にとると、奴は思った以上に大人しく応じた。殴られても、蹴られても、腹を割かれても、腕を吹き飛ばされても、男の顔から笑みは消えなかった。
反撃はしない。そんなにもこの女が大事なのかと、呆れてしまった。
最強の夜兎の名が泣くぜ。
そう告げると、欲しけりゃやるよ、とスカした顔で言いやがった。
そりゃ、どうも。礼の変わりに女を返してやった。
涙の再会――――だが、命令は番いで潰せって事なんだ。
悪ィなと呟いて、女の腹を穿った。
指先での頬を撫でると、どちらの血とも付かない紅い跡が白い顔に軌跡を作った。
戦場で見せるには優しすぎる顔で神威はの顔を撫でている。他のものへの興味など一切失ったとでも言うように。
「悪ィな、団長」
傘の先を向けたまま、阿伏兎は壁際に背をもたれさせたままの神威に冷たい視線を落とす。
「個人的な恨みなんざないが、ま、これも仕事って奴だ。悪く思うなよ」
夜兎が生きていくには、手を汚すだけでは足りないのだ。裏切り、騙し、心も同じだけ汚れなければ生きていく術は無い。
「べつに思わないよ」
神威は視線をから離さずに返す。
「俺だって馬鹿じゃない。俺を殺して得をする奴がいるくらい知ってるさ」
そうして何人か名前を挙げると、確かにその中に阿伏兎の雇い主の名が含まれていた。政治になど興味のなさそうな顔をしていたが、そういう振りをしていただけなのかもしれない。今となっては、どちらでも構わない事だが。
「俺はてっきり、アンタはを見捨てると思ったんだがなァ。弱い足手まといなんざ、アンタの一番嫌いなタイプだろう?」
「そうだね」
神威はくすりと笑って見せる。
「だけど、それがの与えられた役割じゃないのかい? もしが俺を足止めできないなら、阿伏兎は真っ先にを殺してただろ?」
それはそうだ。
役に立たない人質など無用。邪魔になった瞬間、躊躇いなく殺していた。
「でも、結局アンタを瀕死にしたら、用無しになって殺されちまったぜ?」
あっけなく。
神威の腕の中で弛緩している、魂の無い身体はどちらにしろ生きる道はなかった。
餌となって連れて来られた時から、に与えられた使命は神威を縛り付けるためだけにあった。もし神威が興味を示さなかったり、自分の命よりも大切に思う事が出来なければ、すぐさま消されていただろう。
そして次の餌が運ばれて来ていたはずだ。
「アンタ、知っててを選んだのか?」
この娘が餌だと知って手を出したのなら、阿伏兎たちの計画はとっくのとうに神威に感づかれていた事になる。
だが、だったら尚更、こうも容易く足元をすくわれてしまうのはおかしい。
何か見逃しているのかと阿伏兎は焦ったが、その胸中を見透かすように神威がアハハと笑い声を上げた。
「違うよ、阿伏兎。俺は別にと仲良く心中しようだなんて思ってなかったよ。大体の敵はを守りながらだって戦う自信があった」
だったら何故――――
こうも無抵抗にを殺され、自らも虫の息なのだ。
「俺の計画の中にはもう一人味方がいたんだ。俺が無茶して暴れても、そいつが上手くを守ってくれるだろうって信頼があった。だけど、さ。崩されちゃったんだもんな、その信頼が」
あ、と声を上げて、ようやく神威の無気力の意味を阿伏兎は理解する。
今の今まで、ただの演技だったにも関わらず、其れほどまでにこの男に信頼を寄せられていた事を、阿伏兎は一切気付いていなかった。
「これでも頼りにしてたんだよ?」
と、笑いながら。
「そうか全部仕組まれてたのか。俺は偽者の部下と、用意された恋人を大事に思ってたのかって知ったら――――途端にやる気がなくなっちゃってさ。骨は折られるし、腕は千切られるし……俺が呆然としてる内に、本当に取り返しの付かない事になっちゃった」
言って、の頬を撫でる。
もう呼吸すらしていない身体は、徐々に冷えて固くなって行く。
ねえ、俺はさ――――
「元老院のジジイ共の権力争いも、春雨の利益拡大にも興味はないんだよ。お前と……と三人で仲良く銀河を漂っていられたらそれで良かったんだ」
もはやそれは叶わない。
否――――初めからそんな日常は存在しなかった。幻だったのだ。
もういいや――――
神威は呟いて、もう一度の頬を撫でた。
身体中の切り裂かれた傷口から、とくとくと鮮血が流れ出す。
やがてそれは流れ切って、乾いた死体になるのだろう。そんな事をぼんやり頭の隅で思いながら――――
「もう、こんな世界は、いいや」
かくり、と頭部が揺れて、俯いたまま神威の身体は二度と動く事はなかった。
end
もしも阿伏兎が裏切ったら……のお話しでした。
神威がこんな簡単にやられるとは思いませんが、
なんかもう生きてるのとかも面倒くさくなっちゃったのかも。