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 最初、阿伏兎の尋問に、はなかなか口を開こうとしなかった。
 転がった死体の意味も、泣いている理由も、重く口を閉ざして語らない。
 問答にもならない一方的な追求にいい加減匙を投げかけて、なら神威の所へ聞きに行く、ときびすを返した瞬間、それを呼び止める悲痛な声が放たれた。
「ダメ……。神威に言わないで。お願い」
 お願いされても困ってしまう。
 船内での揉め事――――しかも、顔も名前も把握していないが、団員が何人も死んでいるのだ。
 いくらが多少“特別扱い”を受ける身であったとしても、そこを捻じ曲げるわけにはいかない。
 だが、は自分の肩を抱くようにして、お願い……お願い……と何度も繰り返す。
 視線は合わせない。
 人の顔も見れない懇願など何がお願いだ、と胸中で毒づきつつも、その長い瞳を伝った雫が零れ落ちるのを見た瞬間――――
 何故か途方もなく、このイタイケな生き物を抱きしめたくなってしまった。




真紅・後編





 元殺し屋のくせにと言うと語弊があるが、はこう見えて線が細い。
 若さを差し引いたとしても、メンタル面が弱いのだ。
 脆い。
 脆弱だ。
 そんな事じゃ、悪いおじさんに騙されて痛い思いをするぜ、とついつい心配になってしまう程である。
 世間知らずと言うわけではないし、それなりに裏の世界の事も心得ている。純粋に人を殺せる無邪気さや、悪事への罪悪感のなさも、春雨の一員として合格値を満たしている。
 だから、物事全般に対してと言うわけではないのだが、まれに薄氷のように脆い部分が混在しているのだ。
 ウッカリそれを知らず踏み抜いてしまうと、氷の下にとんでもない地雷が隠されていたりする。その時の反応は大方、怒るか泣くかのどちらかではあるのだが――――
「こいつぁ、どんな地雷をブチ抜いたんだろうねェ」
 未だ乾き切らない血だまりを踏み付けながら、阿伏兎は四散した死体を眺めつつ嫌な予感を覚えていた。
 そもそも武器を使われて無い。素手で殺されている。つまり武器を使う余裕がないほど逼迫した状況にが追い込まれたということだ。これはけっこう問題である。
 加えて、の格好――――先ほどは血痕にばかり目が行って気づかなかったが、チャイナドレスの裾が破れている。無理矢理力を入れてスリットを引き裂いたような痛ましい姿だ。
 そして極めつけは、涙で顔をぼろぼろにしながら黙秘を続ける
 ここまで来て、何が起こったのか分からぬほど、阿伏兎は勘の悪い男ではない。
「ったく、団長のオンナに手ェ出すなんて、バカかこいつら」
 多勢に無勢で殺されてしまったのだからそもそも同情などする気もなかったが、こうなると嘲笑する気持ちすら湧いてこない。
 自殺志願者でもない限り、に手を出すなど愚の骨頂。仮にをねじ伏せる事が出来たとして、その後の神威の報復を考えなかったのだろうか。
「まぁ……あんたも災難だったな」
 襲われた女の子の気持ちなど分からないから、そんな言葉しかかける事が出来ない。は無言でこくりと頷く。
「神威に……話す?」
 阿伏兎の顔を見ないまま問う。
 米神をぽりぽりと掻きながら、どう返したものかと阿伏兎は困惑した。理由がどうあれ、団員が死んでいるのだから阿伏兎には報告義務がある。
 だが、が神威には絶対に知られたくないと思っているのが、すすり泣きからひしひしと伝わってくるのだ。こう言う所が線が細いと思うのだが、泣いている女を更に悲しませるような真似をするのは、阿伏兎にも不本意なわけで。
「あー……まぁ、適当に誤魔化しといてやるよ」
 結局はこうして折れてしまうのだ。
 まぁ、団長は弱い奴が何人死のうが興味ないだろうしな――――
 そんな言い訳を胸中で呟き、阿伏兎は自分への弁解を済ませた。
「本当……?」
 がゆっくりと顔を上げる。
「ああ、本当、本当。だからさっさと――――
 こんな所出て着替えて来いよと続けるつもりだった。
 だが、阿伏兎に向けられたの瞳を見た瞬間、言葉は脳裏で四散してしまった。
 濡れた睫毛で縁取られた瞳。頼りなさげに、子供みたいに泣いていたくせに、真紅を湛えたその瞳は、鮮血を照り返すようにぎらぎらと輝いていたのだ。
 ゾクリ、と全身の皮膚が粟立つ。
 恐怖ではない。自分の中の血を湧き上がらせるような、武者震いに似た震え。
 人を殺したばかりの鋭敏になったその瞳は、普段見るどの目より輝いて見えた。
 その目に吸い込まれそうになりながら、阿伏兎は神威の言葉をようやく理解したのだった。





「で、俺の言った資料は?」
 案の定、神威は弱者の死になど一切興味を示さず、阿伏兎の報告もろくに聞いていなかった。気にするのは阿伏兎が資料を見つけられたかどうかで、見つからなかったのならそれを理由に仕事をサボるつもりなのだ。
 阿伏兎はため息を零しそうになるにを堪え、神威のデスクに詰め寄る。
「殺ったのはだぞ?」
 には適当に誤魔化すと言ったが、どうしても確かめたい事があり、阿伏兎は約束を破った。
 神威は窺う様な視線でちらりと阿伏兎を見やり――――それから笑った。
「そう。の目、綺麗だっただろ?」
 確信する。
 団長のオンナに手を出す奴も馬鹿だが、もっと大馬鹿が目の前にいた。
「アンタ……恋人じゃなかったっけ?」
「そ、恋人。だからのあの目をもっと見ていたいんだ」
 詫びいれる事もなくケラケラと笑う。
「サディストめ」
 ちっと舌打ちして、神威の顔を睥睨した。
 そもそもこの男に、普通の愛情があるなどと思う事こそ間違いだったのか。どこの世界に自分のオンナを襲わせる男がいる。
「おかしいと思ったよ。アンタのオンナだって分かってるくせに、手ェ出すなんて正気の沙汰じゃねェからな」
 だが、それが神威公認だったらどうだ。神威には敵わなくとも一人ならどうにかなると思う馬鹿がいるかもしれない。そして実際に、いたのだ、けっこうな数が。
 きっとあの手の馬鹿の襲撃を受けたのは、今日が初めてではないのだろう。良からぬ欲に宛てられては、その度に相手を屠って来たのだ。泣きながら、指先を血に染め、瞳に狂気を湛えて。
 もしが襲撃者を殺せなかったら――――きっとこの男は容赦なくを捨てるのだろう。弱い奴には興味はない。そういう残酷さでこの男の愛情は満ちている。
 そしてもきっとその事に気づいている。戦わなければ、殺さなければ、神威の愛を失うとそう思って――――だから、泣いている所など知られたくないのだ。弱い女と思われたら終わりだから。
「アンタ。イカれてんな」
 精一杯の侮蔑を込めて告げると、そりゃどーもと神威はニコニコしながら返した。
 それ以上言葉を交わしたくなくて、阿伏兎はくるりと踵を返した。資料は見つけられていないが、今そんな雑事をする気持ちには到底なれなかった。
 早々に部屋から去ろうとする背中に、神威の声がかけられる。
「ああ、でも、阿伏兎はダメだよ? あの子に手を出しちゃ」
 怪訝な表情で振り返った阿伏兎に神威が笑いかける。
「阿伏兎に死なれちゃ困るからね」
 俺がに負けるとでも思ってンのか――――
 そう反論しかけて、阿伏兎は神威の目がのそれと同じ様に妖しく輝いている事に気づく。
 ちっと舌打ちして、阿伏兎は背を向ける。
 どのみちを抱いたらアンタが殺しに来るくせに――――
 嫉妬するなら初めからこんなコトすンじゃねェよ。
 胸中で毒づいて、阿伏兎はムシャクシャしながら団長室を去った。




end


に勝てたら好きにしていいよ?」
ま、その後、俺が殺しちゃうけどね――――
きっとそんな歪んだ愛情。