Text

 ドスッ、ドスッ、グチャッ、グチュッ、ゴッ、ドサッ――――
 経緯を音にするならば、およそその耳障りな水音で説明が付くだろう。
 端的に述べれば神威が阿伏兎を砂にした音、もう少し描写を加えるなら片手で阿伏兎の胸倉を掴み上げ容赦なく拳を埋め込んだ音。最後のドサッはぴくりとも動かなくなったその巨体を、無慈悲に地面に放り捨てた音だ。
 具体的に阿伏兎がどういう状態になっているかはさておき、神威は血に濡れた右手を口元に寄せると、ぺろりと赤い舌でその先端を舐めた。
 口内に広がる血の味を確かめ、微笑を浮かべたまま廊下の先を見据える。
 爆発で壁は大破したものの、その道を遮るには至らない。
 神威は足元に転がった瓦礫と阿伏兎の身体を無感動に踏みつけて、その先へと足を進めた。
「次は君の番だよ。
 唇に笑みを浮かべながら――――




肉食男子03





「阿伏兎、ごめん。阿伏兎に助けてもらった命、大事にするからね!」
 うっと口元を押さえてこみ上げる涙に耐えながら、は全力疾走で逃げていた。
 もしここに阿伏兎――――めったざしにされた阿伏兎が生きているかは不明だが――――が居たならば、助けてねェ! むしろテメェのせいだ、このスットコドッコイ! くらいの事は言われたかもしれないが、あいにくの都合の良い耳には届かないだろう。
 は長い船内の廊下を一目散に駆け抜けると、奥の貨物室へと飛び込んだ。
 中へ入るなり、すぐさま扉を閉じ厳重に鍵をかける。そして、貨物室の奥に重ねられた巨大コンテナを持ち上げ、テトリスのような要領で扉の前に三重の段を作った。
 分厚い鉄製の扉に、鉄板で囲われたような巨大なコンテナ。さすがの神威も容易く進入できないだろうと、は安堵の吐息を付きかけたが――――
 ミシリ。
 心をざわつかせるような不吉な音が、コンテナの向こうから響いた。
 まさか、と訝っているうちに、音は益々大きくなり、音にあわせて振動が伝わる。部屋ごと揺さぶるような衝撃に、はバランスを崩しかけ――――次の瞬間、派手な音をさせて目の前のコンテナが一気に弾け飛んだ。
「う、そ……」
 呆然とするの前には、トンネルのように穿たれた大きな穴が開き、その向こうで神威がにっこりと微笑んでいたのだ。
、見ーつけた」
「ひっ!」
 まるでかくれんぼでもしていたように明るい声を上げる神威だったが、それと彼の発する威圧感とのギャップは恐怖以外の何者でもなかった。
 ヤバイ、ヤバイ、まずい、殺される――――!?
 極限の恐怖状態に陥ったの行動は早かった。
 あるいは混乱していたのかもしれない。追い詰められた獲物は、果敢にも己の牙を以って反撃に出たのである。
「この……っ、負けるかぁぁぁ!」
 はチャイナドレスの裾からハンドガンを取り出すと、神威に向かって銃弾の雨を見舞った。
 その全ての弾は神威を正確に捉えていたが、それらが神威を穿つよりも彼の俊敏な身体は地を蹴っていた。
 長い跳躍――――
 だが、その動作はの予測の範囲内である。
 がハンドガンを放り捨てると、チャイナドレスの裾下より、まるで魔法のように槍が飛び出した。宙を舞う神威に向かって真っ直ぐに伸びる。
 捉えた――――
 は直撃を確信したが、神威は対空戦も予知していたように、くるんと宙で一回転するとその切っ先を華麗にかわした。
「えっ!?」
 そしての背後に降り立つと、が振り返るより早くその背に容赦ない蹴りをかましていた。
「くっ……!」
 瞬時に防御の構えをとったが威力を押し殺しきれず、の身体は地面を滑った。その間にも、神威は笑顔を浮かべたまま追撃に走る。
「このっ!」
 最初の蹴りの衝撃を受けたまま、は向かってくる神威に対抗すべく腰の刀を抜いた。
 神威の跳躍――――
 飛び込んでくる神威の身体に向けて一閃を放つ。
 今度こそ、の刃は神威の影を捉えていた。容赦なく叩きつけられる刀。
 だが、
「!?」
 刀身を伝わっての手に届いた感触は、肉の切れる柔らかなそれではなく、まるで鉄を打ったかのような堅い振動だった。
 目を凝らしたの視界の中で神威が笑う。
 片腕での刀を受けるようにして――――切り裂かれた中華服の袖下から、先ほど砕いたコンテナの欠片が覗いているのを、は吹き飛ばされる瞬間に見た。
「痛っ!」
 の身体は今度こそ防御の隙すら与えられず、大きく吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。
 痛みに眉をしかめ、だがすぐに起き上がろうと腕に力を入れると、刹那鋭い刃が頬のすぐ側を掠めた。
「!?」
 が手放した刀を、地面に深々と突き立てる。
 頭上には神威の微笑む顔。
 その笑顔が――――怖い。
「かむ、い」
 敗北に伴う屈辱と、これから起こるであろう事への恐怖で、の声は上擦った。不安そうな眼差しのに反し、神威はあくまで笑顔で、それがどんな感情を含んでいるのか分からない。
 の身体に跨るようにして立っていた神威は、横たわったの身体を見下ろしてふうん、と唸ってみせた。
「最初はふざけた事してくれるなと思ったけど……、なかなか悪くない。こうやって見ると色っぽいね」
「は?」
 戦闘の衝撃で裂けたチャイナドレスの裾から、すらりと伸びる白い足。乱れた髪や、荒い呼吸、上気する頬は不可抗力だが色気を帯びていて。
「一戦交えてからするっていうのも、これはこれでアリかな?」
「え……、あ」
 呆然とするを置いてけぼりにして、神威はニコニコと上機嫌な笑みを浮かべながら、そのままストンと垂直に膝を落とした。
 膝の合間にの身体を挟むようにして、見下ろす。馬乗りにならないのは体重をかけないようにとの配慮かもしれないが、がっちりと固定された膝はの自由を奪い放そうとしない。
「もう逃がさないよ?」
 唇に獲物を追い詰めた肉食獣のような愉悦を浮かべて。埃で汚れたの頬を指先でぬぐうと、神威はそのまま唇を押し当てた。
 メインディッシュをつまみ食いするような、ついばむ様なキスがの唇に触れて離れていく。
 だが、たったそれだけでにこの状況を理解させるには十分だった。
 誰が強者で、誰が弱者なのか。誰が捕食者で、誰が捕食される者なのか。誰が喰らい――――誰が喰らわれるのか。
 肉食獣に組み伏された草食動物のような心地で告げる。
「せめて優しくしてください、オネガイシマス」
 ぼろぼろの身体でまるで末期の言葉のように告げたに、神威は上機嫌な顔で答える。
「善処します」
 そして肉食獣のくせに妙に柔らかな唇が、牙のようにの首筋に押し当てられたのだった。



end


肉食獣>草食獣な自然の掟。
(でも、ヒロインは草食女子ではないですね)
これにて「肉食男子」完結です!
お付き合いくださり、ありがとうございました。