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 据え膳食わぬは男の恥。
 では、据え膳を取り逃がした男は何になるんだろう。
「ヤる気まんまんで迫ったのに、直前でそれを逃がすってかなりマヌケじゃない?」
 正解。
 端から見てもかなり間抜けな構図だ。いっそ哀れである。男のプライドがズタズタだ。
「しかも、あの状態で他の男の名前を呼ぶなんて、酷い事するよね。俺が目の前にいるのに」
 確かにそれは同情を禁じえない。拒絶するにしても、最悪な方法。まだ母親の名前でも呼んでくれた方がマシだ。
「だから、さ。あっちがその気なら、これは宣戦布告と受け取っていいんだよね?」
 それは――――回答の仕様がない。
 そもそも前提が間違っている事に、当の彼は気づかないのか、それとも敢えて気づかない振りをしているのか。
 据え膳などなく、膳の方は自分が食われる事など予想しておらず、つまり腹を空かせた神威が一方的にがっついたに過ぎない。
 誰か言ってやって欲しい。
 お兄さん、合意の得られないセックスは犯罪ですよ――――




肉食男子02





 攻撃範囲内に捉われた阿伏兎の行動は実に迅速だった。
 手にした傘で力いっぱい神威の身体を凪ぎ飛ばし、部屋の壁に容赦なく叩きつけた隙に一目散に逃げ出したのだ。
 無機質な船内の廊下を全力疾走し、その数秒後にドカンと派手な音が背後から鳴り響くのを聞く。
 獣だ。とんでもない肉食獣が俺を殺しにやってくる!
「うおおおおおおお、死んでたまるかぁあぁぁぁぁ!」
 阿伏兎は悲鳴に近い絶叫を上げながら、前を逃げるの背中に追いつくべく脚力の限界を超えて走った。
「ちょっ、何でコッチに逃げてくるの!?」
 並走する阿伏兎とそれを追う神威に気づき、はぎょっと目を見張った。
 阿伏兎がやられている隙に安全な所に逃げようと言う魂胆が丸見えである。
「阿伏兎! 骨は拾ってあげるから、私の代わりにヤられちゃって!」
「盛大にお断りだ、このスットコドッコイ!」
 そもそもヤられるの意味が違う。は犯られても、阿伏兎は殺られるのだ。
 食われたら終わり。夜兎としての生が幕を閉じるのだ。
「アンタが大人しく食われりゃ……それで丸く収まるんだよッ!!」
 阿伏兎は手にした傘を握り締めると、を目掛けて大きく振りかぶった。
「わっ!」
 すれすれの所でそれをかわすと、傘の先端が廊下の壁に大きな穴を穿った。ちっと阿伏兎の口から舌打ちが漏れる。
「ちょっと、殺す気!?」
「てめぇこそ俺を殺す気か!」
 第二撃を阿伏兎が放った瞬間、もまた腰の刀を抜刀しその刃で攻撃を受け止めた。まるでチャンバラのように獲物をぶつけ合い、お前が食われろ、嫌だそっちが食われろと、至近距離で互いに睨み合う。
 と。
「あんまり見せ付けないでくれる?」
 瞬間、醸し出す殺意には似つかわしくない、穏やかな明るい声音が場を制した。
 ぎりぎりと鍔迫り合いを繰り広げていた二人の合間に、容赦ない蹴りが加わる。阿伏兎とが瞬時に身を引くと、一秒後にコンクリートの破片を飛び散らせどでかい穴が開いた。
「さて、と。先に食われたいのはどっちかな?」
 殺気、嫉妬、苛立ち――――エトセトラ、エトセトラ。
 様々な感情が複雑に絡み合った不穏な空気を纏って、神威の殺人的微笑が二人に向けられた。
 まずい。死ぬ。殺される。
 戦闘種族の性で、命の危機を察知する能力が発揮される。
 同時に死の予感を感じ取った二人がした事とは、
「「お前が食われろッ!!」」
 相手を生贄にして出し抜くべく、手にした獲物を互いにぶつける事だった。
 一閃――――
 互いの武器が交差し、渾身の一撃が相手の身体にぶつけられた。だが、純粋な力ならばその差は歴然。力押しでが阿伏兎を打ち倒せる勝算はなかった。
 阿伏兎の傘に弾き飛ばされて、の刀が宙を舞う。そして衝撃を受けたの身体は、容赦なく壁に叩きつけられその場に崩れ落ちた。
 神威の攻撃範囲内。コツリ、と靴のかかとを鳴らして、神威がゆっくりとに歩み寄る。
 終わったな――――
 笑顔で歩を進める神威を前にしてもはや逃げ場はあるまい。
 には悪いが、神威が仕掛けた瞬間に自分は退散させてもらおう。そもそも巻き込んできたのはなのだし、阿伏兎の心に罪悪感などは欠片もなかった。
 だが、
「阿伏兎……ひどい」
 ぽろりと、の瞳から涙が零れ落ちた。
「何が酷いだ、散々迷惑かけやがったくせに」
 骨になるまで食われちまえ、と阿伏兎は胸中で毒づく。
 だが、は阿伏兎の反論など気にせず、もう一雫ぽろりと涙を零した。うな垂れる姿はどこか痛々しく、胸の前で片手をきゅっと握り締める姿は悲哀に満ちている。
 はううっと嗚咽らしきものを漏らすと、
「どさくさに紛れて、あんな所触るなんて……。もう、お嫁にいけない」
 は――――
 空白に似た一瞬の間。
 の言っている意味が分からず、阿伏兎は間の抜けた顔を晒した。
 触ったってなんだ。傘で弾いただけだろうが。っつか、そもそもてめぇも刀振り回してやがったじゃねぇか、と。
 思考を巡らせ、次の瞬間ハッと気づく。
 飛ぶ鳥すらも打ち落とさんとする勢いで、四方八方に放たれる凶悪な殺意。その最も濃い部分が、自分に向けて一身に注がれていることに。
 はめられた――――
 阿伏兎は無抵抗を示すように両手を挙げ弁解を試みた。
「待て……落ち着け、冷静になってくれよ、団長! 見てただろ? あり得ないよな? だいたいこんなヒョロイ小娘触ったって面白くも何ともな、」
 ガッ! と神威の放ったミドルキックが、阿伏兎のすぐ脇の壁にめり込んだ。頑丈に作られているはずのセラミックの壁が、一瞬にして瓦礫の山に変わる。
「……どうしてヒョロイなんて知ってるの?」
 そこかよ――――
 突っ込みたいのを懸命に堪え、阿伏兎は必死の形相で訴えかける。
「んなもん、見りゃ分かるだろうが!」
「へぇ、阿伏兎はのこと……いつもそういうエロイ目で見てるんだ?」
「違ェ! 落ち着けよ、アンタのオンナだって知ってて手を出すはずねェだろ!?」
 ピタリ、と神威のかざした手刀が動きを止めた。を神威のものとして阿伏兎が認識している事に、多少落ち着きを取り戻したらしい。
「落ち着こうぜ。俺はアンタとやり合う理由なんかねェよ」
 阿伏兎はほっと安堵の吐息を漏らしたが――――視界の向こうで、いつの間にか立ち上がったが神威の後ろに立っていた。
 どうせ嘘泣きだったのだろうが、涙の跡などないけろりとした顔で、手を振っている。
 あん――――
 なんの真似だと阿伏兎が訝った瞬間、コツリと何か硬いものが阿伏兎のつま先に当たった。
 丸くて黒い、パイナップルのような――――
「なっ!?」
 それが小型の手榴弾だと気づいた次の瞬間、轟音が船内を揺るがしたのだった。



end


今作のヒロインはわりとしたたか。
阿伏兎はとことん巻き込まれタイプです。