いくら捕食される側とする側で成り立つ弱肉強食が、自然界の法則だとしても、喰われる側だって黙って喰われてやられるわけではないのだ。
それこそ命がけで抵抗する。必死に逃げる。
だけど、その必死の逃走に追いつかれて、地面を引きづられて、間髪入れずに喉元に噛み付かれたりなんかしたら、その牙から逃れる事は難しい。
群れの仲間が助けてくれるわけもなく、むしろ喰われている間に安全な場所へと退散し、仮に反撃の術を持っていたとしてもそれが成功する確率と言うのは極めて低い。
喉元に牙を押し当てられている時点でチェックメイト。せめて美味しく頂かれる前に楽に殺してください、来世はきっと捕食する側に生まれて来れますよーに、と己の命の儚さと来世への希望を胸にこの世に別れを告げるのだと思う。
きっとそんな気分。
それによく似ている。
だから、ほら――――
「せめて優しくしてください、オネガイシマス」
ぼろぼろの体でまるで末期の言葉のように告げたに、神威は上機嫌な顔で答える。
「善処します」
そして、押し当てられる肉食獣の牙。
肉食男子
兎って草食動物じゃなかったっけ? という冗談はさておき、同じ種族の中に強さの序列が存在するのは当然だ。
強い雄が子を遺す権利を得る。そうして優秀な遺伝子を引き継ぎ、種を繁栄させる。
それ自体は間違っていないと思うし、とかく強さが求められる夜兎の中ではとても重要なファクターだろう。
だから、夜王・鳳仙が女を大勢囲って吉原を支配したのは、そんな種の生存本能が働いたのではないかとさえ思えた。まあ、多種族との交配で子供が出来る確率は低いし、地球人とのハーフでどのくらい能力が期待できるのかわからないが。
ともかく、我らが第七師団・団長様が同じように、種の生存本能に走ったとしてもなんら不思議は無い。強い子を遺すのが強い雄の使命と言うならば、まあそれは至極真っ当な事だと思う。
適当に女を攫って来いとか、出鱈目に種付けしようとかそういう色狂いにならなかっただけでも、十分にまともだ。不特定多数に手を出すわけでもなく、一途に一人の女と繋がろうとするのだから、それを愛情と呼べなくも無い。
しかしですよ――――
「。セックスしようか」
団長室で平和に茶を飲んでいたと阿伏兎は、盛大にそれを噴き出した。
「は……、はぁ!?」
何をいきなり宣いやがるんですか、と驚きと呆れを混ぜた阿伏兎の視線を完全に無視し、神威はにこにこといつもの笑みを浮かべたままの隣に腰を下ろした。呆然としているの手から湯飲みを奪い、テーブルの上に置くとの腰に腕を回した。
てきぱきとした妙な手際の良さは「しようか」ではなく、「するから準備しろ」に近い。
拒否権などない。一方的な命令。
はようやく我を取り戻し、いやいやいや、と大慌てで押し倒そうとする神威の身体を押し返した。
「しようかって、えっと、だって」
反抗するもまだ思考がまとまらない。その混乱に乗じて、神威は再びソファにの身体を沈めようと力を込めて来た。
その間、傍観者になっていた阿伏兎に一瞥をくれ、さっさと出て行けと一方的に要求をぶつける。
今まさに食われんとしているいたいけな少女には悪いが、それを無視すると今度はこちらの命の危機だ。へいへい、と呆れつつも応答し、阿伏兎は扉の向こうへ向かう。
と。
「阿伏兎、助けて!」
背後から呼び止める悲痛な叫びに、阿伏兎はぴたりと足を止めた。ちらり、と肩越しに見やると、物凄い形相で自分を睨み付けている神威と、上気した顔を涙で濡らししどけない格好を晒していると、視線が交差した。
うわ……
助けて――――は、幾らなんでもないと思う。
明らかにそれは合意の上での行為ではなさそうだが、少なくとも二人は恋人と呼べるくらいには甘ったるい関係であるはずで、多少一方的であろうと男がそういう行動に出た時に、別の男に助けを求めるのはどうだろう。
繊細な男なら傷つく。獰猛な男なら嫉妬を覚える。
で――――繊細でもなく、危険なほど獰猛な男がどうするかと言うと、軽く首を捻じ切って絶命させられるくらいの危険な殺意を抱くのだ。
「いや、待て! 待て待て待て! 俺は邪魔はしないし、助けもしねェぞ!?」
無抵抗を示すように両手を上げ、前を向いたまま扉まで下がったが無駄だった。殺人的な笑みを能面のように貼り付けたまま、神威は弧を描いた唇を微かに上下させた。
邪魔すると、殺しちゃうぞ――――と。
唇の動きだけでそれを告げると、神威の身体がゆらりと揺れた。
阿伏兎は一目散に逃げる準備を全身の筋肉へと瞬時に命じたが、それよりも早く目の前の神威の身体がぶれた。
「!?」
神威が標的を阿伏兎へと移したその瞬間、のしなやかな足が神威の即頭部へと叩き付けられたのだ。寸での所でそれは虚空を凪ぎ、神威はバランスを崩したに過ぎなかったが、に逃亡の好機を与えるには十分だった。
はするりと阿伏兎の脇を通りすぎると、自動ドアが緩慢に開く手間さえ待たずドアを大破して逃げ出したのだった。それこそ、まるで脱兎のように。
「阿伏兎、ありがと!」
と、の消えた廊下の向こうから声が響く。
待て、俺を共犯者にするな!!
そんな阿伏兎の胸中の叫びなど届かず、阿伏兎は背後に迫る物凄く恐ろしい空気を感じ、肝を冷やした。
end
夜兎三人組のドタバタギャグです。
阿伏兎は基本的にかわいそうな人ポジション。