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「どうして阿伏兎は、顔に青痣できてるの?」
 そう無邪気に聞いてきたその質問を、そっくりそのまま隣の奴にしてやってくれと、阿伏兎は胸中で祈ったのだった――――




風邪引きサン07





 汗をたくさんかいたのが良かったのか、次の日にはすっかりの具合は良くなっていた。万事に備えてまだ休ませているが、顔色も良くなったし、意識もはっきりしている。食欲も戻ったのか、先ほどから阿伏兎の剥いたリンゴをしゃくしゃくと頬張っていた。
 ――――それはいいのだが。
「病気が治って良かったですね、さん!」
「俺の看病のおかげだね、
 満面の笑みだと言うのに、どこかトゲトゲしたものを含んだそれを、はどんな気持ちで眺めているのだろう。
「でも、急な病気って心配ですよね。どうでしょう? ここで一度、精密検査をしていざと言う時に備えるというのは」
「そんな事より、俺もの風邪うつったかも……。ねえ、今度はが看病してくれる?」
「性的なお世話は看病と呼ばないのですよ、団長?」
「うるさいよ。お前は人体模型でもバラしてたら?」
 だいたい夜兎と馬鹿は風邪なんてひきません、うるさい、それで本当に医師免許持ってるのか――――そんな子供のような言い合いが延々と目の前で繰り広げられる。
 ふうっと呆れたような疲れ切ったため息を阿伏兎が漏らすと、ふとと目が合った。
「阿伏兎も大変だね」
 他人事のように呟いた少女が、次は自分に災いが降りかかって来ると気づくのは何時の事だろう。
「とりあえず……今はリンゴでも食っとけ」
 ウサギ型に剥いたリンゴをフォークで刺して渡してやると、は不思議そうな顔を一瞬してから、そしてにこりと微笑んだ。





 余談ではあるが――――
 犬猿の仲が更にこじれた神威と女医だったが、報酬はちゃんと支払われたらしい。さすがに生身の検体をすぐにとはいかないが、抗争で命を落とした団員がいたら、検死という名目で渡してやると言う密約が交わされたようだ。
 が切れないのは残念だが、まあそれはそれで貴重なデータではある。
「ところで……お聞きしたかったのですが、私がヒト型である事に何の関係があったのですか?」
 用件を伝えてすぐに去ろうとした神威の背中を、女が呼び止めた。神威は忘れてしまっていたようだったので、初めて会った日の阿伏兎との会話の事を掻い摘んで説明した。
 ああ、と興味の無さそうな顔で頷く。
「船医にするなら、体形も似ている方がいいと思ったからさ」
 分からずに小首を傾げる。第七師団の医師になるのに、それがどういう関係がある。
 未だ不可解そうな顔をしている女に、神威はわずかに優越感を含んだ笑みを向けた。
「女である事は当然必須。体形は似ていた方が理解が深いと思ったから」
 なんとなくピンと来た。そもそもこの船には、常駐の船医などいなかった。船医が必要になったのはつい最近――――ある人物が入団したからで。
「じゃあ……、視力は?」
 眼鏡をかけている事に何の意味が?
 神威はそれこそ――――にやり、と勝ち誇ったような笑みを浮かべて、
「だって、あんまり見せたくないじゃないか。目が悪ければ、暗闇の中じゃ輪郭くらいしか分からないだろう?」
 女は思わず絶句してしまった。
 それなのに、あんなに嫉妬していたと言うのか。輪郭くらいしか分からないと知っていながら。
 女は呆れを通り越して、そんな神威の悋気を少しだけ可愛く感じた。
 まあ、感情などと言う、切って解明できないものに禄に興味はないのだけれど――――
 分かりました、と告げると、神威は鼻唄を奏でながら去っていった。
 さっき部屋に居た時、あの子の匂いがしたから、きっと一緒に居たのだろう。この後もまたあの部屋に戻るのかもしれない。
 乱暴で感情的で粗野で理屈が通じない――――自分にしてみれば、なんとも理解しがたい存在だが、それがあんな風に柔らかく軟化するのには興味がある。
 どんな構造になっているのか、今度は団長に切らしてもらえないか頼んでみようか……
 そんな破滅的なことを考えて、女はくつくつと喉の奥で笑みを零した。




end


なんだか兄ちゃんがちょっと甘すぎでしたね。
これにて「風邪引きサン」シリーズ完結です!
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。