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 兎よ、兎。
 野を駆ける弱き獣よ。
 何に涙し、何を欲するか。

 力です。
 どうか私に力をください。
 私は愛する者が喰われようとしていても、逃げる事しか出来ぬのです。

 兎よ、兎。
 月に浮かぶ虚ろな獣よ。
 何を捧げ、何を得んとするか。

 光です。
 光をあなたに捧げましょう。
 もし私に力を下さるのなら、私は永久に闇に堕ちても構わない。

 そうして兎は光を失い、代わりに力を手に入れました。
 力を手に入れた兎は何者にも負けませんでした。
 百獣の王にも、武器を持つ人間にも。
 しかし兎は敵を全て滅ぼし、その身を真っ赤に染め上げても、闘う事を止めませんでした。闘って、闘って、闘って――――星を壊してしまっても、彼らは喰らう事を止めなかったのです。
 敵を、味方を、星を――――喰らい尽くして何もなくなってしまった兎の前に、女神様は再び現れました。

 兎よ、兎。
 血に飢えし強き獣よ。
 何を憂い、何を求めるか。

 何も。
 何も求めたりいたしません。
 立ち向かう者がいるのなら、この身が尽きるまで闘いましょう。

 そう答えた兎を女神様は哀れに思いました。
 守るために手に入れた力も、失った光の温かさも、何もかも忘れてしまった兎を哀れに思い、女神様は兎の身体をそっと抱きしめました。
 兎を抱きしめた女神様の身体は徐々に四足歩行の獣へと変化し、小さな兎へとその身を変えました。

 兎よ、兎。
 愛しき獣よ。
 私があなたを愛しましょう。
 あなたの光となり、あなたの涙となり、あなたの心となり、いつでもあなたの側にいましょう。
 だから、壊すための腕で抱きしめて、駆けるための足で私の元に戻っておいで。

 真っ白な兎となった女神様は、兎と共にその身を天に浮かべました。
 そして兎は柔らかな輝きを発する星へ――――月へと還っていったのです。




月夜に兎・背徳寓話





「女神様ってのはヤンデレだったのかねェ」
 ソファの上に放り出された絵本を、ぱらぱらと眺めながら阿伏兎はぼそりと呟いた。綺麗な水彩画で描かれた絵本だが、だいぶ古いのかところどころ傷んでいる。
 『つきのうさぎ』というタイトルの絵本だが、すでに絶版になったと記憶していた。一時期はベストセラーになるほど有名な話だったが、内容が背徳的だとかそんな理由で、過激派におされて絶版になったらしい。
「なにが?」
 と、デスクの上に足を乗っけて、暢気に爪を切っている神威が聞き返した。阿伏兎は神威に見えるよう、最後の見開きのページを開いて顔の前に掲げた。
 女神が白い兎になり、兎と一緒に月に昇るシーンだ。
「いや、これアレだろ? フランダースの犬の、僕もう眠いよ的な。自分で力与えたり、光奪ったりしときながら、最期は一緒に昇天ってどーなんだコレ」
 結局、女神が兎を追い詰めたように見えて、阿伏兎は子供の時から疑問に感じていた。兎はそれでいいのかと、そもそも闘う事を望んだのは自分じゃねェかと思ったものだ。
 その女神によって力を与えられ、光を奪われたという描写が、夜兎を貶めると言われ絶版になったのだった。だが、当時の子供達――――阿伏兎のようにひねくれていなかった子供達は、女神の描写に一種の憧れめいたものを感じていた。
 女神とは夜兎が失ったものの比喩だ。いつか月からの使者が現れて、夜兎が届かない光を与えてくれると、太陽を恐れずに済む日が訪れると信じていた。それこそサンタクロースの一種のように。
「まァ、皮肉っちゃ皮肉だなァ。こんな童話があったせいで、白兎なんてモンが生まれちまったんだからな」
 白兎の誕生は今から数十年ほど時を遡る。
 種の危機を迎えた夜兎族の繁殖計画のために立ち上がったそれは、童話になぞらえて白兎と呼ばれる夜兎を生み出した。女神の再臨として生み出されたそれは、白い髪と紅い瞳を持つ雌の兎だった。
 最初の女神一号は、生まれてすぐに死んでしまった。
 次の二号も成長しきらずに死んでしまった。
 そして、三号、四号と女神が使い捨てのように扱われるうちに、プロジェクトの資金は底を尽き、途方に暮れた研究者たちに提供者が現れる。それが、今や九龍の一大勢力として名を馳せる「夜来」である。
 「夜来」の莫大な資金のおかげでプロジェクトチームは、白兎と夜兎の雄の交配に成功したが、その頃には女神は売春婦に成り下がっていた。
 夜兎のために生み出されたはずのそれは、より金を持つ異星の男の慰み者に。
 そして、より飼いやすく愛らしいペットへなるために、声帯を取りのぞかれ、言葉を失い、意思も牙も失くしていったのだった。
「哀れだねェ、女神の末路か」
 幾度か見たことのある白兎の自我のない呆けた顔を思い出す。絵本の中の白兎と見比べて、何ともいえない気持ちになった。
 一方、神威はの出生にまつわる話だと言うのに、興味なさげにぱちん、ぱちんと爪を切っている。関係ないよ、と一言。
「弱かったから、そうなったんだ。弱いから、力がないから、愚かだから、喰われる羽目になった。そもそも俺は、宛がわれたような雌とガキ作るなんてごめんだね」
「あんたはそうでしょうよ」
 この頭の中が極彩色の春でいっぱいな男にとって、他の女など興味の欠片もない。自分にはすでに最高の白兎がついているのだから、それに劣る兎などどうだっていいのだ。
 そこまで溺れてしまう理由は何なのだろうと、時に疑いたくなるほどに。
「しかし、うちの女神様はツンデレだからなぁ。はてさて、素直に振り向いてくれるかどうか」
 にやにやと意地の悪い笑みを向けると、神威は皮肉すら通じないような返答を寄越す。
「問題ないよ。噛み付くくらいが丁度いい」




end


白兎にまつわる物語。
「つきのうさぎ」はオリジナルではなく、
誰もが知る昔話をちょっと脚色したようなそんな物語のつもり。
白兎計画もきっと最初は、純粋に繁栄を目指したものだったのでしょう。