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月夜に兎・静かの海06





 元老院が神威に与えた任務は神威にはいささか意外に思えた。
 この取引に不満があるならば悉く潰せ。白兎を売る組織を、すべて滅茶苦茶に。お前が責任を持って破壊し尽せと老人は命じた。
「……どういう意味です?」
「わからぬか? アレは確かに金になるが、扱い難い上に危険だ。しばらく泳がせても構わんが、いずれは叩き潰す事になる。ならば、それが早いか遅いだけの違いだ」
「危険?」
「貴様には思いあたりがあるだろう? 飼い慣らしても所詮、獣。こちらに牙をむかれてはかなわん」
 いつかの秘密クラブで見た、白兎たちの惨劇を思い出し、なるほどと神威は納得した。
 白兎は特殊な周波数の音で制御できる。大人しく従順な事が売りだが、あの時がそうしたように、凶暴化させて襲わせる事も可能なのだ。
 もし、クローン兎たちを戦場に投入でもされたら、戦闘力のインフレが起こってしまう。いかに巨大な犯罪シンジケートといえど、春雨にとっては強敵になりかねない。
 それに――――あの一件を知っているという事は、白兎たちを凶暴化させたのが笛の音ではなく、の命令であった事も知っているのだろう。つまり、をあちらに渡した場合、単純に兎の品質向上のためにの遺伝子を利用されるだけでなく、軍事面でも利用される恐れがある。
 それを見越して、わざわざ神威をこの場に招いたのだろう。
「その上、白兎の大多数は雌だそうだ。あんな化物を野に放たれて、有望な師団長をこれ以上、骨抜きにされてはかなわん」
 老人の濁った瞳が見透かすように神威の顔に注がれ、神威はくっと笑みを零した。
 骨抜きという言葉は言い得て妙だ。
 神威との関係は主導権がはっきりしているくせに、その実神威の方が分が悪い。それは愛だの恋だのという言葉で表現できるものではないし、決しての望む形ではないだろうが、あの不安定な強さと弱さに、神威が完全にまいってしまっているのは事実だ。
 骨抜きなのだろう。きっと。
 春雨に喧嘩を売るか、秘密組織をまるごとぶっ潰すくらいには、好いているのだから。
「わかりました」
 神威は大人しく恭順の意を示した。
「俺はこの取引には反対だし、そもそも交渉なんてガラに合わない。だから、ぶっ潰させてもらいますよ。全部。オンナ一人のために」
「よかろう」
 くっくっと喉を震わせるような笑みが、老人の唇から漏れる。
「ただし、条件が一つ。この依頼を引き受ける代わりに、俺の願いをひとつ聞いてください」
 ほう、と呟き、元老は目を細めた。
「依頼を受ける代わりに、は俺の自由にさせてもらいます。今後一切、アレに触れないで下さい」
「くくっ、大概狂っているな」
「ええ、狂ってるでしょうね。だからこんな屈辱的な脅しをかけられても、大人しくしてるんだ。を生かすのも、殺すのも、俺の自由。あんたらがその権利を主張するなんて、ハラワタが煮えくり返っていっそ吐き気がする」
 未だかつてないほど色濃い殺意を漂わせ、神威はにこりと笑みを送る。
 元老は盛大に笑い声を上げると、快く神威の願いを承諾した。
「好きにしろ。それで春雨の雷槍を御しきれるのなら、たかだかオンナ一人安いものだ」
「では、これで取引成立」
 神威はにこにこと笑みを浮かべながら、もはや長居は無用とばかりに殺意を振り撒きながら、元老の前を辞去した。
 第七師団の戦艦に戻るまでの間、運悪く居合わせてしまった船員が何人か気紛れに殺されたが、それこそ神威の機嫌を取るためなら安いものだっただろう。




end


そして天涯号のあの行動へ。